“過疎のまち”から一転、ベンチャー企業のサテライトオフィスが集まる神山町
徳島空港から車で約1時間。徳島県東部に位置する名西郡神山町は鮎喰川の上中流域にある雄大な山々に囲まれたのどかな田舎町だ。もともと神山杉をはじめとする農林業で栄えていたものの、1970年代以降は若者たちの町外への流出が止まらず過疎化に悩んでいた。
しかし、徳島県では2000年頃から地上デジタル放送完全移行に備えるため、ケーブルテレビの普及を目的として県内の隅々まで光ファイバーを整備。人口6000人足らずの小さな過疎のまち・神山町にも大都会に負けないほどの高速通信網が構築され、“のんびり田舎暮らしをしながらオンラインで最先端の仕事をする”という新しい働き方を求め、IT関連企業のサテライトオフィスが続々と開設されるようになった。今では『地方創生の成功例・神山モデル』として注目されており、国内外からの視察者が絶えない。
徳島県内には他にも過疎のまちがいくつかあるが、なぜ“神山町が選ばれた”のか?
そして、“神山の奇跡”はどのようにして起こったのか?
『神山プロジェクト』の仕掛け人とも言える人物に話を聞いた。
きっかけは戦前から残された“青い目の人形”の里帰り活動
▲「都会へ戻りたいと思ったことは一度もないですね。海外へ出てはみたものの、いつか必ず地元に戻ると思っていましたから。ただ、カリフォルニアのカラっとした晴天を思い出すと“あれは気持ちよかったなぁ”と懐かしくなります(笑)」と大南さん「ホンモノをつくったら、必ずそれを評価するひとが出てくると思っていました。過疎のまちを生き生きとさせるには、『移住者を集めること』を目標にするのではなく、『そのまちをステキに変えること』が大前提です」(大南さん談)。
特定非営利活動法人『グリーンバレー』は、徳島県や神山町と連携しながら神山町のまちづくりの中心的な役割を担っている。
理事長の大南信也さんは現在63歳。地元・神山町の出身で建設会社の2代目として会社を経営しているが、「本業に割く時間は生活の5%ぐらい。残りの95%はずっとグリーンバレーのことをやっている」という熱心な活動家だ。自分の本業と『グリーンバレー』の活動は完全に切り離し、公私混同を避けるため「改築や改修などのまちづくりに関わる仕事を自分の会社で請けることは絶対にしない」という信念も持つ。
学生時代は「必ず神山へ戻るから」という約束を父親と交わし、カリフォルニア州のIT先進都市・シリコンバレーの大学へ留学。その後、地元へ戻って数年が経った頃、当時38歳だった大南さんにある出会いが訪れた。大南さんの母校である地元の小学校に、日米友好の証として戦前アメリカから贈られた青い目の人形『アリス』が戦難を免れまだ残されていることを知ったのだ。
英語が堪能な大南さんは“アリスを贈り主の元へ帰してあげたい”と、小学校のPTAをはじめとする地元有志らと一緒に『アリス里帰り推進委員会』を結成。アリスのアメリカ里帰りを無事に果たした後、その推進委員会から5人のメンバーが集結して『神山町国際交流協会』を設立した。
それが現在の『グリーンバレー』の前身組織となった。
故郷をステキに変えようとしたら、自然に移住希望者が増えた
『神山町国際交流協会』では、その名の通り国際交流を目的にして活動を行っていたが、当初はなかなか思惑通りに進まなかったという。
しかし1997年、神山町に国際文化村を作る『とくしま国際文化村プロジェクト』が徳島県から発表されたことで組織が転機を迎える。
1999年にはアートを軸にしてまちづくりを行う『神山アーティスト・イン・レジデンス事業』がスタート。“観光客を集めるためにアートイベントを神山町で開催する”というありがちな企画ではなく、“国内外のアーティストを過疎のまち・神山に呼んで作品づくりを住民とともに行う”という前例のないアイデアが注目を集め、外国人アーティストの間でもその評判が伝わったことから、神山町の名前は“過疎のまち”から“国際交流のまち”として認識されるようになった。
こうした活動の成果を受け、2004年にNPO法人『グリーンバレー』を設立。移住者を増やすことを目標にしていたわけではないが、アート・イン・レジデンスをはじめとして“神山町をステキに変える”をコンセプトに掲げて活動を行っていたら、徐々に移住希望者が増えてきたという。
仕事が人を呼び、人がさらに人を呼ぶという理想的な循環
2010年、神山町のユニークな取り組みに着目した東京のITベンチャー企業が、町内の古い空き家を改装してサテライトオフィスを開設。スタッフが川辺の岩場にのんびり腰掛けながらノートパソコンを開き、東京本社とチャットで打ち合わせをする姿が様々なメディアで紹介されると、“新しい働き方ができるまち”として注目を集め、今度は「神山町にオフィスを置きたい」「神山町で新会社を設立したい」といった企業が続々と名乗りをあげはじめた。
2016年現在、神山町内には、働く場所を選ばないIT・デザイン・映像関連の企業を中心として16社のオフィスがあり、合計30名の新たな雇用を生み出している。最初は単身赴任で暮らしていた社員が、田舎暮らしに魅せられて東京から家族を呼び寄せるケースもあり、まちには移住者も増えた。こうして、仕事が人を呼び、人がさらに人を呼ぶ、というまさに理想的な『神山モデル』の循環が生まれたのだ。
「オフィスを開くにしても、移住をするにしても、“四国なら、あそこと、あそこと、あそこ”と、まずは候補に挙がることが大事ですから、挙がるためにはどうするか?を考えなくてはいけません。普通は、“うちの町に来てくれたら助成金を払います”といってお金で人を集めることを発想しがちですが、お金で集まったひとたちはお金がなくなったら必ず離れていきます。だから、“条件は悪くてもここに来たい”と思わせることが大事なのです」(大南さん談)。
強烈な一人のリーダーは不要!“アメーバーのように”柔軟性を持って前へ進む
大南さんのお話を聞いていると、軽妙な語り口ながらもひとつひとつの言葉に人柄の誠実さが窺えて、ついつい惹きこまれていく。そのキャラクターと強烈なリーダーシップがあったからこそ、いろいろな偶然が重なり“神山の奇跡”が起こったのではないか?と聞いてみたが、ご本人はそれを強く否定する。
「これは“神山だから起こった奇跡”ではなく、ちょっと発想を変えればどこの過疎のまちでも実践できることです。一番大切なのは“役割分担”。実は『グリーンバレー』では、代表者ひとりがみんなを引っ張っていくのではなく、ある局面ではある人が引っ張り、別の局面では別の人が引っ張る…という感じで、それぞれの得意分野で浮き上がった人がお互いを引っ張り合うようにして進んできました。
アメーバーのようになんとなく伸びたり縮んだりしながら、やわらかい組織構造で進んできたから、新しい変化が生まれたときにフレキシブルに対応できた。もしみんなで一丸となってひとつの方向だけを向いていたら、逆に今の状態はなかったかもしれません」(大南さん談)。
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次回【サテライトオフィスが集まる神山町。移住者を受け入れる中で変わった住民の意識とは②】では、神山町で起こったもうひとつの“奇跡”。地元住民たちの変化についてクローズアップする。
■取材協力/特定非営利活動法人グリーンバレー
http://www.in-kamiyama.jp/about-us/
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