成功の鍵は、鉄道・行政・地域の“三位一体”

廃線に追い込まれるローカル鉄道が跡を絶たない中、危機から奇跡的な復活を果たし、52年ぶりに新駅を開業し、路線の延伸計画も持ち上がるなど、ローカル線としては異例の好調ぶりを見せている「ひたちなか海浜鉄道湊線」。前回は、その再生のきっかけをお伝えした。今回は、さらにその内容を掘り下げてお伝えしたい。

一時は年間乗客数が70万人まで落ち込み、存亡の淵に立った湊線。2008年にひたちなか海浜鉄道として再出発すると、乗客数は順調に回復していった。
東日本大震災が勃発したのは、そんな矢先のことである。2011年3月、湊線は運休に追い込まれたが、国や自治体の支援で7月に運行を再開。その後は右肩上がりで業績を伸ばしてきた。

赤字ローカル線が廃止に追い込まれる中、湊線はなぜ存続することができたのか。最大の理由は、鉄道会社と行政、地域が三位一体となって、緊密かつ強固な協力体制を構築できたことにあった。
ひたちなか市から同社に出向中の管理部長・西野浩文氏はこう語る。

「湊線が存続できたのは、やはり本間源基市長のリーダーシップが大きかったと思います。今後、高齢化が進めば交通弱者が増え、湊線は地域の足としてますます重要になる――というのが市長の認識でした。湊線の存続にかける市長の思いは強く、地域の人たちも一緒に活動を盛り上げていただいた。それが、湊線を廃線から救った一番の理由ではないかと思います」

また、湊線が全長14.3kmとコンパクトであることもプラスに作用した。通常、ローカル線は複数の市町村にまたがることが多く、自治体間で利害調整や意見の集約を図るのに時間がかかる。しかし、湊線はひたちなか市内だけを走る路線であったために、迅速な行政判断が可能だった。
ひたちなか海浜鉄道の開業にあたり、市が税金の投入を決めたのも、こうした背景あってのことだ。こうした行政の手厚い支援が、湊線存続への追い風となったことはいうまでもない。

ポスターやチラシに使う写真は全て「おらが湊鐵道応援団」のスタッフが無償で提供している。撮影/船越知弘ポスターやチラシに使う写真は全て「おらが湊鐵道応援団」のスタッフが無償で提供している。撮影/船越知弘

地域の底力を示した「おらが湊鐵道応援団」の活躍

那珂湊駅にある「おらが湊鉄道応援団」のブース。週末にはここで応援団のスタッフが観光客に応対する那珂湊駅にある「おらが湊鉄道応援団」のブース。週末にはここで応援団のスタッフが観光客に応対する

さらに、地域の人々が持続的かつ質の高い存続運動を展開したことも、湊線が存続できた理由の1つであった。
2006年6月、ひたちなか市と自治会、商工会議所、沿線の高校、茨城県などがメンバーとなって「湊鉄道対策協議会」が発足。翌07年1月、地元の自治会や商工会議所が中心となって、「おらが湊鐵道応援団」が結成された。

この応援団は、住民に対する啓蒙活動や駅舎の美化のみならず、あらゆる面で実効性の高い支援活動を展開。その内容は、那珂湊駅への観光ブースの設置から、レンタル自転車サービスの運営、商店街と連携したキャンペーンの展開、歩く会の開催、関連商品の開発にまで及んだ。
「おらが湊鐵道応援団」は、ボランティアの枠をはるかに超えた支援活動により、開業間もないひたちなか海浜鉄道を強力にバックアップ。かゆいところに手が届くサポートを展開することにより、湊線の復活を底支えしたのである。

「ローカル線の応援団は、一時的に機運が盛り上がっても、鉄道の存続が決まった時点で活動をやめるケースがほとんどですよね。ところが、ここでは、鉄道の存続が決まってからも応援団が活動を続け、鉄道を活かしたまちづくりに取り組んでいる。こうしたケースは全国的にも珍しいのではないでしょうか」(西野氏)

現在、「おらが湊鐵道応援団」の登録会員は約2000人。自作の写真やイラストを広報宣伝用に提供したり、駅舎でコンサートを開いたりと、自慢の腕を披露しながら無償奉仕を続けている。
筆者が那珂湊駅を訪れたときには、駅で散策マップを配っていた応援団員が、週末でも待たずに食事できる穴場の店を教えてくれた。本来なら鉄道会社の社員や行政がやるべき仕事を、開業後8年を経た今も、地域のボランティアが担っている。その光景に、湊線再生の秘密を見たような気がした。

商店街を巻き込んで、鉄道開業記念イベントを開催

ひたちなか市から出向中の管理部長・西野浩文氏。鉄道会社と市とが強力なタッグを組み、鉄道経営にあたっているひたちなか市から出向中の管理部長・西野浩文氏。鉄道会社と市とが強力なタッグを組み、鉄道経営にあたっている

では、湊線の利用者が増えたことは、地域の活性化にどう役立っているのか。実のところ、その恩恵に預かっているのは一部の観光地のみ。沿線の商店街では、櫛の葉が抜けるように廃業が相次いでいるという。
「あれだけ多くの人が那珂湊で下車するのに、ものの見事に途中の商店街に寄っていかない。なんとか鉄道のお客さんを町に呼び込めないかということで、昨年から新しい試みを始めました」(ひたちなか海浜鉄道株式会社社長・吉田千秋氏)

2015年5月17日、那珂湊をメイン会場として「ひたちなか海浜鉄道開業7周年記念祭」を実施。集まった鉄道ファンに商店街を歩いてもらおうと、1日かぎりのイベントを行った。
当日は本通りを歩行者天国にして、郷土芸能の上演会やフリーマーケット、のど自慢大会などを開催。スタンプラリーや鉄道グッズ販売を行うかたわら、名物「那珂湊焼きそば」の試食会や『ガルパン(※)』ラッピングバスの展示なども行い、鉄道ファンやアニメファン、海浜公園帰りの観光客を呼び込んだ。

「『お肉屋さんのコロッケって、こんなに美味しかったんだ』と、若い人たちに商店街の魅力を再発見していただくことができた。この日、商店街を訪れたお客さんの数は8000人。これは、ふだん店の前を通る1日の人数の1000倍に相当します。鉄道の集客力をあらためて実感し、鉄道とまちづくりが本当に一体化できるということがわかってきた。この取り組みは、これからも続くと思います」(吉田氏)

※ガルパン:TVアニメ『ガールズ&パンツァー』の略称

空き店舗を利用して、鉄道模型ファンのための“秘密基地”を提供

鉄道模型ファン垂涎・「三鉄ものがたり」の会場。同好の士との鉄道談議に花が咲く鉄道模型ファン垂涎・「三鉄ものがたり」の会場。同好の士との鉄道談議に花が咲く

那珂湊商店街で始まったもう1つのまちおこしが、「三鉄ものがたり」だ。
この企画は、商店街の空き店舗を鉄道ファンの”秘密基地”として開放し、Nゲージの製作を存分に楽しんでもらおうというもの。2015年度から県の補助事業としてスタートし、現在は手弁当に近い形で運営されている。

ちなみに「三鉄」とは当然ながら三陸鉄道のことではなく、「ひたちなか海浜鉄道」と「Nゲージ(鉄道模型)」、那珂湊焼きそばを焼く「鉄板」のこと。ひたちなか海浜鉄道に乗り、鉄道模型を楽しみながら、仲間と一緒に鉄板を囲んで名物の焼きそばを味わってもらおう、というのが命名の由来だという。

「日本の住宅事情だと、家の中にジオラマを作るスペースもないし、高価な車両模型を買えば、ほぼ100%家庭争議になる。ここなら自由にジオラマを作ったり列車を走らせたりできるので、本当にありがたい、とファンの方に喜んでいただいています。そろそろ1店舗だけでは手狭になってきたので、近いうちにもう1店舗増やしたいと考えています」(吉田氏)

鉄道と地域が支え合い、いかに共存共栄を図っていくか

現在、ひたちなか海浜鉄道では、阿字ヶ浦駅から国営ひたち海浜公園まで鉄道を延伸する計画が持ち上がっている。また、海浜公園に隣接して大型商業施設の集積も進んでおり、鉄道の乗客はまだまだ延びる余地がある、と吉田氏は意気込む。

「幸いなことに、ひたちなか海浜鉄道は、ローカル鉄道としては破格の条件に恵まれています。地元や行政の支援体制も万全で、ひたちなか市の人口は16万人、水戸市で20数万人と潜在需要も大きい。なおかつ500万人近い観光客がこの一帯を行き来している。これほど条件に恵まれている以上、失敗するわけにはいきません。我々はローカル鉄道再生のトップランナーであり続けたい。そして、ひたちなか市を公共交通の活性化の発信地としてブランド化したいと考えています」(吉田氏)

とはいえ、課題は少なくない。その1つが、路線の延伸にかかる費用の調達だ。延伸には数10億円に上る費用が必要だが、税金を投入して費用を捻出するためには、市民の広範な支持が不可欠となる。
「沿線以外の地域への波及効果が見込めなければ、路線を延伸することは難しい。しかし、延伸が実現すれば、回遊性の向上による観光振興や、交流人口の拡大など、さまざまな効果が期待されます。その点について市民の理解を求めながら、延伸の事業化に向けて取り組んでいきたいと考えています」(西野氏)

湊線の延伸が実現すれば、国営ひたち海浜公園や大型商業施設へのアクセスは格段によくなるだろう。しかしながら、それは地域にとっては両刃の剣ともいえる。場合によっては、それが地元の商店街をさらなる窮地に追い込む可能性もあるからだ。
鉄道と地域が互いに支え合いながら、共存共栄を図るためにはどうすればいいのか。その難問は、ひたちなか海浜鉄道に突きつけられた新たな課題といえる。ローカル鉄道のトップランナーとして、同社がどのような解を導き出すのか。その取り組みに、今後も引き続き注目していきたい。

地域の人々の熱い思いに支えられ、湊線は今日も海岸をひた走る。撮影/船越知宏地域の人々の熱い思いに支えられ、湊線は今日も海岸をひた走る。撮影/船越知宏

公開日: