勇壮な岸和田のだんじり祭り

岸和田のだんじり祭は勇壮さで知られ、全国各地からたくさんの人が、見物に訪れる。
だんじりとは、山車(だし)を意味する西日本の方言で、「だんじり」という言葉が使われ始めたのは、大阪北部からのようだ。岸和田では祭りの季節以外にも、だんじりが通りやすいように道を整備したりと準備に余念がない。祭り当日は、多くの人が訪れ、商店の売り上げがアップするなど、経済効果も大きく、岸和田市民には重要な祭りである。

岸和田のだんじり祭りの様子は勇壮で、スピード感にあふれている。だんじり祭りはどのように準備され、運営されているのか、岸和田市観光振興協会の武田吉清氏にお話を聞いてきた。

岸和田のだんじり祭りが始まったのは、岸和田城三代目城主の岡部長泰公が1703年、三の丸に神社を建立して伏見稲荷を勧請し、一般参拝を許したことがきっかけ。庶民の間で、二の丸広場で相撲をしたりにわか芸をしたりした後、宮参りをするのが習慣となったとされる。

だんじりの原型は長持に車をつけたもので、その上で太鼓を叩き、笛は周囲で吹いていた。その後、泉大津から屋根つきのだんじりを借りて使うようになったが、江戸時代はだんじりを作るにあたっては、彫物の題材などで制約が厳しく、また、派手に騒ぐのも禁じられていたので、現代より大人しいものだった。

今のような勇壮な祭りになったのは、戦後。引くスピードを上げるには、鉄製のコマの軸が必要だし、大きな通りや舗装された道路がなければだんじりを走らせるのはむずかしい。岸和田に昭和大通りができたのは、日本復興の機運が高まった戦後だから、だんじりのやりまわし(※やりまわしとは曲がり角を曲がることを指す。岸和田だんじり祭りの見どころの一つ)が、現在のように勢いをつけて行われるようになったのは、その後だろうと考えられる。

だんじり祭りの日は多くの見物客が集まり、商店の売り上げがアップするなど、経済効果も大きいだんじり祭りの日は多くの見物客が集まり、商店の売り上げがアップするなど、経済効果も大きい

岸和田市民のほとんどが、いろいろな役目で祭りに参加

「岸和田には、岸和田地区、春木地区、東岸和田地区、八木地区、南掃守地区、山滝地区、山直地区、山直南地区の8つの地区があり、それぞれから年番を選出し、祭りの一切を運営します。また町会ごとに各町が所有するだんじりの運営をし、町会長は町会連合会の構成員となります」と、武田氏。

年番組織とは江戸時代から存在し、各町が互選で選出するもの。年番長をトップに200名弱の構成員からなり、だんじり祭りの一切を運営する最高機関だ。9月に祭りが終わると、11月には次年の準備が始まり、6月には曳き手の警備方法やコースなどが具体的に決まるという。コースは毎年ほぼ同じだが、安全対策がとれない道や交通規制ができない道路は、祭礼組織などで調整をして対策を決める。

だんじりを動かす人員は、大きく分けると曳き手と鳴り物、大工方、前梃子、後梃子。大工方は屋根の上に乗って調子をとる役目で、前梃子は前に突き出た二本の梃子を二人で持ち、ブレーキをかける。そして後梃子は後ろに突き出た梃子を持ち、遠心力をつけて回す役で、もっとも力が必要だ。

若い鳴り物係が笛や太鼓を上手に演奏するので驚くが、岸和田の子どもたちは幼いころから青年団の練習を見学し、自然と楽器を覚える。楽譜がないので先輩から習ったり、見よう見まねで習得するそうだ。

だんじりの屋根の上に乗る大工方は花形で危険な役目の一つだが、体重のかけ方を覚えればある程度リスクは軽減できる。一番危ないのは、前梃子という役目。ブレーキをかけるときに轢かれてしまう危険もあるし、やりまわしの際、片コマにブレーキをかけると他方に重心がかかり、電柱にはさまれる危険性もある。だから、特に息の合った2人がペアを組むことが多いのだそうだ。とはいえ、だんじりを動かす技術の上達を行っており、事故は以前より減ってきているという。

だんじり祭りには女性の活躍も見られる。岸和田の住人女性の多くが婦人会に属し、炊き出しや休憩後の片付けを担当するなど、岸和田市民のほとんどが、なんらかの形で祭りに参加している。
「岸和田に人情家が多いのは、だんじり祭りが連帯感を生み出しているからかもしれません。だんじりは息が合わないと動きませんから」。

スピードを上げたままカーブを曲がる「やりまわし」は、ことに勇壮だスピードを上げたままカーブを曲がる「やりまわし」は、ことに勇壮だ

自分の属している町の法被を着ることで「わが町」への愛が深まる

参加者が着ている法被は各町で配布しており、自分の属している町のものしか着てはいけない。法被を着ている際にトラブルが起きると、町全体の連帯責任になるから、同じ法被を着るもの同士はとても協力し合うのだそうだ。胸当てとパッチはそれぞれ黒と白と紺があり、各町で組み合わせを決めている。

「やりまわしがどれほどきれいでも、曳くスピードがいくら速くても、表彰されるわけではありません。ただその後の一年間『あのやりまわしは良かった』などと話題に登るので、『わが町が一番、二番はない』の精神から、他の町に負けないように力を出すだけです」と武田氏。

岸和田市民は母親のおなかの中でだんじり囃子を聞き、生まれてすぐにだんじりが走っている姿を見るので、だんじりへの思い入れはひとかたではない。祭りのない季節でも、定期的にだんじりの埃を落としたり、コマの手入れも、定期的に行っている。装飾品を綺麗な状態で祭礼の日までにそろえるのも、大切な世話だ。

だんじりの準備風景だんじりの準備風景

次代と共に変化していく祭りのいろいろ

お話しを聞かせてくださった岸和田観光協会の武田吉清氏お話しを聞かせてくださった岸和田観光協会の武田吉清氏

だんじりは岸和田市民のアイデンティティ。
とはいえ、時代とともに変化もあるようだ。たとえば、現在、だんじりを曳く際に歌われている「地車音頭」も、学校の先生を務めていた石川純一郎が昭和25年に作ったもの。武田氏は「それ以前に歌われていたのは漁師の歌を原型にしており、卑猥な歌詞もあったようです。それで『そんな歌を子どもたちに聞かせるのはどうか』と考えられたようです」と、教えてくれた。

また、一昔前までは一晩中鳴物の練習をしていても苦情がこなかったが、今は時間を決めている。祭りだからと簡単には会社を休みづらい風潮になってきたので、休日法が改正された平成16年の2年後には、平日開催から、敬老の日直前の土日開催に変わった。

だんじりは男性だけのものではなく女性でも曳けるが、大人になると婦人会の仕事があるので、だんじりを曳くのは高校生以下の女性が多い。そんな若い女性たちにとって、近年は、走っても崩れない編み込みヘアが定番になっているという。

危険な祭りは許可をますます得づらくなっていくと予想されるので、
・自主警備
・自主運営
・自主規制
をスローガンにして、だんじり曳行のために十分な安全を確保したり、けが人が出たときの救急車の対応をしたりなど、安全への取り組みもしっかり考えられている。だんじりは300年続いてきた祭り。次世代に引き継ぎたいからこそ、無法ではいけないのだ。

だんじり祭りは毎年9月の敬老の日の直前の土曜日の午前6時から始まる。
歴史に育まれた勇壮さを、ぜひ体感してみてほしい。

2018年 03月11日 11時00分