「憧れの街」はどう変わる?自由が丘の現在地

人も車も通行しにくそうな、自由が丘駅前のロータリー付近人も車も通行しにくそうな、自由が丘駅前のロータリー付近

自由が丘と聞いて、どのような街を思い浮かべるだろうか。カフェやスイーツ、お洒落なブティック、雑貨店や個性的な飲食店。駅の改札を出ればさまざまな店が連なり、少し歩けば落ち着いた住宅地や緑豊かな場所も現れる。長年にわたり「住みたい街」「お洒落な街」として人気のある街のイメージではないだろうか。

しかし、自由が丘の街を歩くと、人気がある街だからこそ見えてくる課題もある。駅周辺には幅の狭い道路が多く、歩行者と車の両方が通行しにくそうに見えた。路上での荷さばきによる混雑や、建物の老朽化なども課題となっている。目黒区も、自由が丘駅周辺について「落ち着きがあり回遊性のある商業集積地」と評価する一方、道路の狭さや歩行者と自動車の交錯、建物の老朽化などを課題として挙げている。
ただ、様々な課題があるとしても、自由が丘は、決して衰退へと向かっている街ではない。むしろ、現在も多くの人を引きつける魅力を持つ街だからこそ、その価値を維持しながら更新するという難しい局面を迎えているのである。

自由が丘駅前ではいま、大きな変化が始まっている。2026年(令和8年)9月には新たな複合施設が完成し、さらに東地区でも再開発が動き出した。自由が丘はこれから、どのような街へ変わっていくのか。街の歴史を振り返りながら、その現在地と未来を探る。

■関連リンク
自由が丘駅周辺の不動産・住宅を探す
自由が丘駅周辺の投資用不動産を探す

鉄道と文化人が育てた街、自由が丘

お洒落な自由が丘の象徴、「マリ・クレール通り」お洒落な自由が丘の象徴、「マリ・クレール通り」

自由が丘の発展を語るうえで欠かせないのが、鉄道と文化の存在である。
自由が丘駅の前身となる、東京横浜電鉄(現在の東急東横線)の九品仏前駅が開業したのは1927年(昭和2年)のこと。その後、1929年(昭和4年)に大井町線が延伸される際、九品仏駅との混同を避けるために駅名が「自由ヶ丘駅」(後に自由が丘駅に改称)へと改められ、街の新たな歴史が本格的にスタートした。

戦前から戦後にかけて、この地域には文化人や芸術家が多く移り住み、知的で自由な空気が醸成されていった。昭和中期に入ると、駅周辺には個性的な専門店や飲食店が集積し始める。1970年代以降にはお洒落なブティックやカフェが立ち並び、西洋の街並みを思わせる「九品仏川緑道」や「マリ・クレール通り」などが整備された。

この歴史から見えてくるのは、自由が丘が単に鉄道駅を中心として発展した街ではないということだ。駅の誕生と同じ時期に教育(自由ヶ丘学園の創立)や文化の活動が始まり、そこに住宅や商店が集まり、徐々に街の個性が形づくられていった。
その後、東急東横線と大井町線が交わる交通の結節点として利便性が高まり、住宅地としての性格も強まっていく。戦後になると商店街が発展し、飲食店やファッション、雑貨などの個性的な店舗が集積。現在の自由が丘につながる「暮らしの街」と「訪れたい街」の両方の顔が育っていった。鉄道、住宅、商業、文化が時間をかけて重なり合ったことが、自由が丘の街の個性を生み出す土台となったといえるだろう。

お洒落な自由が丘の象徴、「マリ・クレール通り」会話を楽しんだりお茶をしたり、読書をしたり。多くの人がゆったりと過ごしていた「九品仏川緑道」。
九品仏駅近くから自由が丘駅の近くを通り、緑が丘駅に続く遊歩道で、季節の移ろいを感じながら散歩が楽しめる

大型施設だけではない。「歩いて楽しい」が街のブランドをつくった

駅から徒歩3分ほどの場所にある「熊野神社」。自由が丘の、お洒落な街だけではない一面を見ることができる駅から徒歩3分ほどの場所にある「熊野神社」。自由が丘の、お洒落な街だけではない一面を見ることができる

自由が丘が長年にわたって人気を集めてきた理由は、交通利便性だけではない。駅を中心に広がる多様な店舗と通り、そして住宅地が近接していることに大きな特徴がある。
駅前には商店街や飲食店が集まり、その先には個性的なショップやカフェなどが点在する。さらに少し歩けば、落ち着いた住宅街へと風景が変わる。目的の店を訪れるだけでなく、街を歩きながら別の店を見つけたり、通りの雰囲気を楽しんだりできる。こうした「回遊できる街」であることが、自由が丘の魅力を支えてきた。

目黒区が策定した「自由が丘未来ビジョン」でも、これまでの自由が丘が持つ強みとして、文化性やファッション性の高い店舗などによる商業集積に加え、「回遊の魅力」を発展させた歩行者本位のまちづくりが掲げられている。

自由が丘の最大の特徴は、ターミナル駅によく見られる大型デパートや複合ビル主導の開発ではなく、大小さまざまな店、商店街、住宅地、通り、そしてそこで暮らす人や働く人によって、街の魅力が作られてきた点にある。だからこそ、これからの再開発では、単純に建物を新しくするだけでなく、新しい施設を整備しながら、歩いて楽しいという街の魅力をどのように引き継ぐかが、大きなテーマになるだろう。

駅から徒歩3分ほどの場所にある「熊野神社」。自由が丘の、お洒落な街だけではない一面を見ることができる自由が丘駅からすぐの場所に位置する、レトロな雰囲気とモダンな要素が融合した商業施設「自由が丘デパート」。
小さな路地沿いに個性的なショップや飲食店が集まっている

人気の街にも老朽化の波。「更新」が避けられない理由

大型車は通行できないであろう、自由が丘駅近くの道路。上は東横線大型車は通行できないであろう、自由が丘駅近くの道路。上は東横線

街の魅力が長く維持されてきた一方で、その時間の積み重ねは建物や道路の傷みなどにも如実に現れている。
自由が丘駅周辺は道路が狭く、歩行者と自動車が交錯する場所があるほか、路上荷さばきによる混雑や建物の老朽化などが課題となってきた。目黒区は、こうした状況を改善し、安全で快適な回遊性のある街をつくるため、駅周辺の街づくりを進めている。

また、自由が丘の未来を考えるうえでは、防災性も重要である。古い建物が残る市街地では、建物の耐震性や火災への備えに加え、災害時に緊急車両が通行できる道路や、避難・救援活動に必要な空間の確保も求められる。目黒区の資料では、駅周辺の道路基盤について、歩行者が安全に歩ける環境だけでなく、緊急車両のアクセスという観点からも積極的な改善が必要とされている。

自由が丘が直面しているのは、人気がなくなった街を再生するという問題ではない。長年人気を維持している街を、どのようにして安全で使いやすい街へと更新していくのかという問題といえるだろう。

駅前に新たな拠点。「JIYUGAOKA MUSE SQUARE」が誕生

自由が丘一丁目29番地区のマップ</br>(目黒区ホームページから抜粋)自由が丘一丁目29番地区のマップ
(目黒区ホームページから抜粋)

自由が丘の変化を象徴するのが、自由が丘一丁目29番地区で進められてきた再開発である。
施工面積約0.5haの区域を対象とした同事業では、建物の共同建替えによって老朽化した建物を更新するとともに、歩行空間を広げ、商業・業務・住宅などの機能を導入する計画が進められてきた。そして2026年(令和8年)7月31日、複合施設「JIYUGAOKA MUSE SQUARE」が竣工。建物は、地上15階・地下3階、高さ約60m、延床面積約4万6,000m2。地下1階から地上5階には食やライフスタイル、子育て関連などの多様な商業施設があり、9月17日にオープンした。

自由が丘一丁目29番地区のマップ</br>(目黒区ホームページから抜粋)2026年9月にオープンした「JIYUGAOKA MUSE SQUARE」
取材に訪れたのは「JIYUGAOKA MUSE SQUARE」がオープンする少し前。新しいショップが気になるのか、多くの人が案内板を覗き込んでいた取材に訪れたのは「JIYUGAOKA MUSE SQUARE」がオープンする少し前。新しいショップが気になるのか、多くの人が案内板を覗き込んでいた

ただし、このプロジェクトの意味は、新しい大型施設が一つ増えることだけではない。施設1階の貫通通路整備による駅を中心に集散する歩行者ネットワークの強化のほか、電線共同溝の整備による無電線化の促進、地域共同荷さばき場なども整備。建物の更新とともに、駅周辺の歩きやすさや防災性の向上を目指している。
自由が丘にとって、これは一つの建物の誕生であると同時に、駅前エリアの賑わいを創出し、街の魅⼒を更に高めるための一大プロジェクトといえるだろう。

成熟した街はどこへ向かうのか。自由が丘の挑戦が照らす日本の都市の未来

線路の手前側が、再開発予定の東地区。踏切を通過しているのは大井町線の車両線路の手前側が、再開発予定の東地区。踏切を通過しているのは大井町線の車両
再開発予定の、自由が丘東地区のマップ。自由が丘東地区の区域は、自由が丘一丁目10番、11番、12番、13番となる(目黒区ホームページから抜粋)再開発予定の、自由が丘東地区のマップ。自由が丘東地区の区域は、自由が丘一丁目10番、11番、12番、13番となる(目黒区ホームページから抜粋)

自由が丘の街づくりは、一丁目29番地区の再開発だけで終わらない。次の大きな動きとして注目されるのが、自由が丘東地区である。
約0.9haを対象とする再開発事業では、店舗、住宅、事務所などを備えた延べ約6万2,000m2の建物を整備し、約250戸の住宅を計画。さらに、都市計画道路補助46号線の整備、約250m2の多目的広場の新設なども予定されている。都市計画は2025年(令和7年)10月に決定された。

自由が丘東地区の再開発では、建物の大型化だけでなく、道路の拡幅や再編、歩行者を中心とした街路環境、オープンスペースの整備などを通じて、安全で快適に歩ける「ウォーカブル」な市街地をつくることが掲げられている。
これは、自由が丘がこれまでに育んできた魅力に、さらに磨きをかける開発といえるだろう。自由が丘では、目的地へ最短距離で移動するだけでなく、店を眺めながら歩いたり、気になる路地へ入ったり、街の雰囲気そのものを楽しんで周遊することも価値になってきたからである。再開発したエリアを既存の商店街や住宅地とシームレスにつなげることで、自由が丘が目指す「歩いて楽しめる街」の魅力を、より強固なものにできるはずだ。

日本全国には、高度経済成長期からバブル期にかけて急速に発展し、現在は老朽化や同質化に悩む商業地が数多く存在する。巨大なショッピングモールに客足を奪われ、アイデンティティを失いかけている地域も少なくない。
そうした中で、地域が持つ歴史や街歩きの文化を守りながら、先進的な都市更新とウォーカブルな街づくりを推進する自由が丘のモデルは、日本の都市政策や商業地再生における重要なケーススタディとなるのではないだろうか。