「恵方」は吉方位。ただしいつも吉とは限らず、恵方巻き以外にもさまざまな風習が

2025年の干支は乙巳。干支の十干が乙の年の「恵方」は庚(西南西)の方位2025年の干支は乙巳。干支の十干が乙の年の「恵方」は庚(西南西)の方位

2月の節分が近づくと、スーパーやコンビニに豪華な太巻きのポスターが並び始める。恵方巻きである。

恵方巻きとは、節分にその年の吉方位である「恵方」を向き、海苔巻きを一気に食べるというユニークな風習であるが、実は「恵方」がいつも吉とは限らず、また恵方巻きを食する以外にも、吉とされる風習が数多く存在する。

恵方巻きの由来には、江戸の通人のお座敷遊び説や、戦国時代の武将の戦勝祈願説などがあるが、現在のブームの火つけ役となったのは全国展開をしているコンビニという説が根強い。

こんな風習は商業主義の産物だという声もあるが、江戸時代に平賀源内が考え出した「土用の丑の日に鰻を食する」というアイデアもいわば商業主義の産物であり、現代でも当たり前のように受け入れられているところを見ると、バレンタインしかり、クリスマスのチキンもしかり、分かっていながらも乗せられるのが好きな民族性と言えそうである。

ちなみに2025年の大河ドラマの主役は江戸時代の出版王である蔦屋重三郎は、多くの浮世絵師や戯作者を世に出し、平賀源内と同様に江戸の文化を大いに発展させた。さしづめ蔦重が恵方巻きを見たら、「恵方巻きとは豪気だねぇ。べらぼうな数の寿司の一気喰いたぁ、源内先生を超えた上上吉だねぇ」くらいの地口は出そうである。

筆者としては家族や友人と楽しい時間を過ごせるイベントならどんどんやればいいとも思うのだが、厳しい販売ノルマや多量のフードロスにつながるようであれば、これからの時代、企業側が一考を案じていくのは必須であろう。

さて最初から脱線してしまったが、今回のテーマの「恵方」は陰陽師が活躍していた時代から重要視されていた「吉方位」である。今回は、2025年にフォーカスして「恵方」の意味や、なぜいつも吉とは限らないのか、また吉を呼ぶ風習などを紹介していこう。

平安時代には既にあった「恵方」の概念。吉神と凶神が座する方位は毎年変わる

古の陰陽師たちは、吉凶占いをこのような方位盤で行っていた。太陰太陽暦では、四方位、八方位、十六方位、二十四方位を組み合わせて占っていた古の陰陽師たちは、吉凶占いをこのような方位盤で行っていた。太陰太陽暦では、四方位、八方位、十六方位、二十四方位を組み合わせて占っていた

「恵方」とは方位占いのなかのひとつである。「恵方」は「あきのかた」とも言い、吉神である「歳徳神(としとくじん)」が座する方位を指す。この方位は毎年変わり、古来、吉方位として大切にされてきた。

「恵方」の概念は平安時代には既に存在し、当時の占い手引書である「具注暦(ぐちゅうれき)」にその記述が見られる。この暦を作成したのは、古代日本の官職のひとつである陰陽師である。

「具注暦」には、毎年変わる吉神の「歳徳神」と、凶神の「八将神(はっしょうじん)」が座する方位とその意味が記され、それをもとにさまざまな占いが行われていた。ちなみに、正倉院には現存する最古の「具注暦」(746年)が保管されている。

「歳徳神」は大吉の象徴とされる。対して「八将神」は8柱存在し、それぞれ凶方位を司る。

「八将神」には、訴訟や葬儀に凶となる「太歳(たいさい)」、土を動かすことを禁じる「大将軍」などがあり、このような吉凶方位の概念は、古代から人々の生活に深く関わってきた。

この方位占いは、360度を15度ずつ分割した24方位制となっている。
北から東回りに、十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)と十干(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)のうち、戊(つちのえ)と己(つちのと)を除いた8つに、艮(うしとら)・巽(たつみ)・坤(ひつじさる)・乾(いぬい)の4つを足した24で構成されている。

「恵方」は、甲(きのえ)、丙(ひのえ)、庚(かのえ)、壬(みずのえ)の4方位を年々に巡回する。そしてそれによって「八将神」の位置も変わる。それぞれの神様が座する方位とその意味については、「恵方の方角にはどんなよいことがある? その由来と歴史」で詳しくご紹介しているので、ご興味のある方はご覧いただければと思う。

さてここで問題になるのが、「恵方」が毎年必ず万人にとって吉方位とは限らないことである。

「恵方」の神は強力だが、3つの凶方位に重なると凶事に変わることも

姫路にある牛頭天王の総本宮、広峰神社。吉備真備が奏上して天平6(734)年に創建されたと伝えられる姫路にある牛頭天王の総本宮、広峰神社。吉備真備が奏上して天平6(734)年に創建されたと伝えられる

奈良時代の学者である吉備真備(きびのまきび)が唐から持ち帰った学問を安倍晴明が大成したとされる「簠簋内伝(ほきないでん)」によると、「歳徳神」の正体は、「牛頭天王(ごずてんのう)」という疫神の妻である「頗梨采女(はりさいじょ)」とされる。これには諸説あるが、どちらにしても女神である。

「八将神」は、「牛頭天王」と「頗梨采女」の間にできた子どもとその配偶者とされ、彼らの座する方位は「歳徳神」の位置や諸々の条件のもとで決まる。

そしてその席順が吉凶を大きく左右するというわけだ。神々の座る位置や角度によって吉凶の判断が変わり、昨年まで凶だった方位が吉に変わることもあれば、その逆も起こる。ちょっとした席順の違いで吉凶が逆転するのである。

しかし「歳徳神」は別格である。絶大な力を持つため、大方の凶神の影響を受けないとされる。だからこそ「歳徳神」の座する位置が「恵方」として大切にされてきたのである。

しかし、そんな強力な「歳徳神」であっても、無効化できない疫神の力が存在する。それが「歳破(さいは)」「暗剣殺(あんけんさつ)」「五黄殺(ごおうさつ)」という3つの大凶方位だ。

これらの大凶方位が「恵方」と重なってしまった年は、縁起担ぎのはずの恵方巻きの行事が一転して凶事となってしまうというわけである。

2025年の「恵方」は西南西。まごうことなく吉方位に向かって何をする?

京都上京区にある、方位神の1柱を祀る大将軍八神社。3年塞がりの異名を持つ大凶神京都上京区にある、方位神の1柱を祀る大将軍八神社。3年塞がりの異名を持つ大凶神

では、2025年はどうだろうか。「恵方」は庚(かのえ)、すなわち西南西である。3つの大凶方位である「歳破」は亥(北北西)、「暗剣殺」が未申(南西)、「五黄殺」が丑寅(北東)なので、重なりはなし。まごうことなき吉方位となる。

2025年の「恵方」である西南西に向かって恵方巻きを食べるもよし、また「恵方」に向かって散歩や旅行、習い事に行く、引越しをする、「恵方」で採取した水を飲水にする、「恵方」にお参りをするのもいいだろう。

日本各地に「恵方」にまつわる風習は数多く存在し、積極的に「恵方」に向かって行動をすることが、ご利益を得る秘訣とされる。なかでも多いのが、出産や子どもに関するもので、産湯や産剃り用の水は「恵方」で採取する、50日・100日の乳児に含ませ残った餅は「恵方」に埋めるといった風習もある。古来、出産や育児は難事業であり、「恵方」に加護を願ったことがうかがえる。

受験や引越しなどの大イベントの際には、いったん「恵方」に向かって移動、そこで寄り道をしてから、目的地に行くという方法もある。これは、「方替え(かたがえ)」と呼ばれるゲン担ぎで、単純に目的地に向かうのではなく、吉方向へ向かっていったん寄り道をすることで、凶方向を避けることができるとされている。

凶方位は人によっても異なり、毎月変わる凶方位もある

歳徳神の恩恵とは、多くの凶神の力を無効化できることである。しかし歳徳神でも抗えない強大な力が存在する歳徳神の恩恵とは、多くの凶神の力を無効化できることである。しかし歳徳神でも抗えない強大な力が存在する

ここで少し凶方位にも触れておこう。凶方位には、「神殺」と「方殺」の2種類がある。「神殺」とは、先述の「八将神」、そして「金神」、「土公神」など、神によって障りが出る方位である。

「方殺」とは、その年の方位盤から割り出される方位自体に障りがあるというものである。「八将神」については、先ほどご紹介した別記事の「恵方の方角にはどんなよいことがある? その由来と歴史」でご紹介しているので、今回は「方殺」について、神宮館暦よりいくつか簡単にご紹介しておこう。

本命殺
本人の本命星が在泊している方位。この方位を犯すと必ず災厄を被るとされる。この方位に向かって普請・造作・家宅修理・動土・植樹・移転・旅行・嫁取り・婿迎えすべて凶とされる。

本命的殺
本命殺の正反対の方位。この方位を犯すと本命殺と同様の災厄を被るが、この方位に相生の星が在泊している場合、それは軽減するとされる。

五黄殺
2025年は北東。いかなる吉神の力をも突き破る大凶方位とされる。この方位に向かってことを為すはすべて凶とされ、特に動土は大凶で、重きは主人の生命に関わることありとされる。

暗剣殺
2025年は南西。闇夜に切りつけられるごとく、回避しがたい大凶方位とされる。この方位を犯すと降って湧いたような病難・火難・家庭不和・商売失敗などに遭うとされる。

歳破
2025年は北北西。その年の十二支の反対に位置し、いかなる吉神の会吉制化も受け付けない大凶方位とされる。この方位への動土・乗船・移転・旅行は大凶とされる。

月破
12ヶ月の月別方位盤の十二支の反対に位置するので毎月変わる。如何なる吉神の影響を受け付けない、その月限定の大凶方位とされる。この方位への動土・普請・移転は大凶とされる。

などとなる。このように凶方位は数多く存在し、生まれ年や月によっても変わり、毎年吉凶が変化する。これらをすべて把握するのは容易ではなく、だからこそ凶神の影響を受けにくい「恵方」のありがたみが際立つ。とりあえず「恵方」を向いておけば安心と、大切にされてきたことがよく分かるのである。

凶方位の詳細を知りたい諸兄姉は、運勢暦などをご覧いただくのがいいだろう。旧暦の世界観へ誘う書物として秀逸な一冊だと思う。

2025年の旧暦の元日は1月29日、春節に「恵方」が変わる

簠簋内伝に記された牛頭天王と頗梨采女を祀る京都八坂神社。ここには2人の子どもたちである八将神たちも祀られている簠簋内伝に記された牛頭天王と頗梨采女を祀る京都八坂神社。ここには2人の子どもたちである八将神たちも祀られている

こういった方位占いは、和暦を中心として動いていた旧暦の社会で暮らす人々によって盛んに行われ、信じられてきた。旧暦は古い東洋思想である「陰陽五行説」に基づいて成り立っているもので、方位、時間、季節など世の中の森羅万象と密接な関係を持つ。

現代社会に生きる我々は、西洋歴である新暦の社会に暮らし、新暦を通じて季節を感じ、折々の行事を行っている。8月15日が中秋の名月と言われても、8月は夏真っ盛りでとても秋とは思えない。それに15日が必ず満月である保証もない。

旧暦社会では毎月1日は必ず新月で、15日は満月であった。春は1月から始まり3月まで、夏は4月から6月まで、秋は7月に始まり9月まで、冬は10月から12月まで、故に8月15日は中秋の名月なのである。

方位もしかり、旧暦社会では方位は単なる地理的な方向ではなく、神や運勢と密接に結びついていた。だからこそ、方位占いや「恵方」が身近な存在であったのである。

旧暦社会に暮らす人々は、吉凶方位にかなり気を使っていた。江戸時代には、吉日にしか行事はしないし、吉方位にしか出かけないし、凶方位の家宅修理などはどれほど不便でも避けていた。どうしても凶方向に出向かなければならないときは「方替え」でゲン担ぎをした。

さて、現代日本では「恵方」のイベントは一般的に節分に行われる。旧暦の新年の始まりの頃がちょうどその時期にあたるため、一年の始まりにその年の幸運を祈るということなのであろう。

厳密に「恵方」の行事を楽しみたいなら、「恵方」が変わる旧暦の元日、2025年は1月29日、中国でいう春節にするのも一興である。「恵方」を向いて何を願うかは人それぞれ。楽しみながら、日本の古き風情の世界に想いを馳せるひとときを過ごしていただければと思う。

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