京都や江戸は誰にとって良い土地なのか?省略された肝心な言葉

四神相応の地形とは、四聖獣による万全の守備陣である四神相応の地形とは、四聖獣による万全の守備陣である

以前、風水関連の編集者に「風水で幸運な土地を見極める際、京都や江戸は風水では最高の土地とされているのだから、そこに住む人はみな幸運であるということか」と聞かれたことがある。

確かに京都や江戸はいわゆる風水都市である。共に四神相応の地であり、加えてそこに多様な呪法で結界を張り巡らせ霊域としていた。このことはさまざまな史料に残されていて、例えば「大猷院殿御實記(だいゆういんどのごじっき)」という徳川幕府の公式史書には、鬼門除けの呪法のために上野寛永寺が建立されたと記されている。

四神相応とは風水上、最高の運気を持つ土地のことを言い、山の形や連なり、川や谷の方向などで判別される。四神相応について詳しくは「風水都市、京都は想像を超えるほど複雑で綿密な呪法によって創られた都だった」で記しているので、ご興味のある方はご覧いただければと思う。

四神相応は、日本後記や続日本記にも登場する。それぞれ「この国は、山河襟帯、自然に城を作す」「方に今、平城の地、四禽図に叶ひ、三山鎮を作し、亀筮並に従ふ」と記されていて、「山河襟帯」「四禽図に叶ひ」とはともに四神相応を指している。

もともと幸運な土地に呪法を施した場所だと聞けば、そこに住めばどれだけ恩恵に恵まれるかと思いがちだが、実はそこには肝心な言葉が省略されている。それは「為政者にとって」という文言である。

天皇家や将軍家はこれらの風水や呪術を駆使し、その因果関係は別として、1000年以上の繁栄や300年近い栄華を結果として手に入れた。風水都市とは為政者が権力の永続を目的としてつくられたものであり、京都に住んで幸運が訪れるのは天皇家であり、江戸に居を構えて吉なのは将軍家なのである。

そんな大げさな話ではなく、降りかかってくる不運を避け、身の丈にあった願いを叶えてくれる風水の土地選び方法も存在する。それが安倍晴明の秘術「五龍の相」である。今回は、土地選びの風水秘術「五龍の相」を使った、自分にとって幸運な住み処の見極め方をご紹介しよう。

安倍晴明の「五龍の相」とは、人と土地の相性を知る土地選びの秘術

史上、最高の陰陽師の呼び声も高い安倍晴明。彼の子孫には多くの天才占い師が輩出した史上、最高の陰陽師の呼び声も高い安倍晴明。彼の子孫には多くの天才占い師が輩出した

「五龍の相」とは、単純に良い土地を探すというものではなく、中国の古代思想である「五行説」をベースに、「土地」と「住む人」の吉凶や相性を占うものである。

安倍晴明の家伝書『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでんいんようかんかつほきないでんきんうぎょくとしゅう)』に詳しく記されていて、土地の形による吉凶があるだけでなく、人と土地には相性があり、どの土地に暮らすかで貧富や栄枯、健康や精神状態などが変わるとしている。

五行説とは世の中のすべては5つの元素に分類され、それぞれが独自の特性を持ち、それらの組み合わせによってさまざまな事象を生み出すという思想である。風水もこの五行説をベースに生まれた。

「五龍の相」でも、人を生まれた干支で「木・火・土・金・水」の「五行性人」に分類、住む土地の形状から「青・赤・白・黒・黄+禁忌」の「五龍の地」を判別し、その相性と吉凶を占う。

「五龍の相」を知るためには、まず自分がどの五行性人に属するのかを見つけることから始める。これは意外と簡単で、生まれた年の干支、つまり十干と十二支それぞれの相対数を加算した数から導く。注意しなくてはならないのが、節分前に生まれた人は前年の干支になることである。

例えば、1960年生まれの人の干支は庚子(かのえ・ね)なので、十干は庚(かのえ)、十二支は子(ね)になる。それを下記の表の数字と相対させ、加算すると五行性人がわかる。

【十干に相対する数字/干数】
甲、乙=1
丙、丁=2
戊、己=3
庚、辛=4
壬、癸=5

【十二支に相対する数字/支数】
子、午、丑、未=1
寅、申、卯、酉=2
辰、戌、巳、亥=3

【行性人の分類=干数+支数】
1、6=木性人
2、7=金性人
3、8=水性人  
4=火性人  
5=土性人

上記の相対表で見ると、庚子の年の生まれの場合、庚は4、子は1なので、干数+支数=5。行性人は土性人となる。

同じように1980年生まれなら干支は庚申(かのえ・さる)なので、4+2=6で木性人、2000年生まれなら庚辰(かのえ・たつ)なので、4+3=7で金性人となる。

土地の相を見極める、五龍の地のそれぞれの地形の特徴とは

自分が何行性人か分かったら、次は土地が五龍の地の何に属しているかを見る。五龍の地のそれぞれの特徴は以下のようになっている。等高線地図で確認すると分かりやすい。

青龍の地とは、自分の家を中心にして、東方が低く西方が高い土地
赤龍の地とは、自分の家を中心にして、南方が低く北方が高い土地
白龍の地とは、自分の家を中心にして、西方が低く東方が高い土地
黒龍の地とは、自分の家を中心にして、北方が低く南方が高い土地
黄龍の地とは、自分の家を中心にして、中央が低く周囲が高い土地
四龍の地とは、自分の家を中心にして、周囲が低く中央が高い土地

龍の色は5種類、加えて禁忌として四龍がある。このように自分の家を中心にして、周囲の高度を調べ、その高低で五龍の地を判断する。問題はどの程度の範囲を見ればよいかということだが、当時の状況を考えると、目視可能距離おおむね半径5㎞程度が妥当ではないかと考えられる。

実際にいくつかの例を挙げてみよう。東京駅の場合、国土地理院の標高がわかるウェブ地図で確認すると、西方向の千代田区が高く、東方向の中央区が低いので東京駅は青龍の地だとわかる。大阪駅の場合は、同じ国土地理院の地図で確認すると、東が高く西が低いので白龍の地。ついでに国会議事堂も調べてみると、北方向が高く南方向が低い赤龍の地であった。国土地理院の標高がわかるウェブ地図は3Dで見せてくれるので、五龍の地を調べるのに非常に使い勝手が良かった。

五龍の地を判別する際、盛土や石垣、堀など人工的な地形の高低では無く、自然の起伏を見極めることが重要である五龍の地を判別する際、盛土や石垣、堀など人工的な地形の高低では無く、自然の起伏を見極めることが重要である

「五龍の相」が示す貧富災栄楽患病亡没半の意味、明智光秀は患の地から本能寺へ

自分の行性人と、住んでいる土地の五龍がわかったら、いよいよ吉凶と相性を占う。以下に一覧で記したので、それぞれの意味を解説しよう。

青龍地は、木性人は貧、火性人は冨、土性人は病、金性人は災、水性人は栄
赤龍地は、木性人は栄、火性人は貧、土性人は富、金性人は亡、水性人は患
白龍地は、木性人は没、火性人は患、土性人は栄、金性人は貧、水性人は富
黒龍地は、木性人は楽、火性人は没、土性人は患、金性人は栄、水性人は貧
黄龍地は、木性人は半、火性人は楽、土性人は貧、金性人は吉、水性人は病
四龍地は、五行いずれの性の人も大凶

貧富災栄楽吉については字の如く、そのままの意味である。患は心配事など心の病のことであり、病とは体の病気や怪我のことを指す。亡は無くす、死ぬことで滅亡を意味し、没は凹む、少なくなることで衰退を意味する。半とは、吉凶半々でどちらでもないといった意味である。

一例として、この安倍晴明の秘術「五龍の相」を使って、2020年の大河ドラマの主人公である明智光秀の運勢を検証してみよう。

明智光秀の行性人はというと、実は生没年共に詳細はわかっていない。一応、信頼できる史料として明智軍記があり、それによると生年は1528年とのこと。その年の干支は戊子(つちのえ・ね)なので、行性人は火性人となる。

次に五龍の地を見てみよう。居城のスタートは出生地の明智城、座標は北緯35度25分16.43秒 東経137度5分4.22秒で、標高がわかる地図を見ると白龍の地である。火性人と白龍の地は「患」であり、心配事が多い組み合わせである。

この時代の光秀は負け戦ばかりで、斎藤道三に使えていたが、親子対決の長良川の戦いで龍興に城攻めにあい敗走している。その後、朝倉義景を頼り仕官するも織田信長に敗れた。

次に居城としたのが、織田信長に任された宇佐山城で、座標は北緯35度2分0.99秒 東経135度50分46.88秒、ここは青龍の地である。火性人と青龍の地の組み合わせは「富」。

この時代は、織田軍の中で徐々に頭角を表し、順調に出世している。特に叡山焼き討ちでは武功を挙げ、近江国滋賀郡を与えられ坂本城を築城している。ちなみに坂本城も青龍の地であった。

最後に住んだ城が亀山城で、座標は北緯35度0分48.82秒 東経135度34分52.32秒の白龍の地であり、この組み合わせは最初の明智城と同じ「患」、この城から挙兵し本能寺へと向かっている。

丹波国を平定した明智光秀が築城した福知山城。実際には娘婿の秀満を城主に据え、光秀自身はこの城に入ることはなかった丹波国を平定した明智光秀が築城した福知山城。実際には娘婿の秀満を城主に据え、光秀自身はこの城に入ることはなかった

信長存命中の秀吉は「患」、当たるも八卦当たらぬも八卦の意味

難波津の地に建てられた大阪城は、火性人の秀吉にとっては楽の地だったが、水性人の秀頼に取っては病の地であった難波津の地に建てられた大阪城は、火性人の秀吉にとっては楽の地だったが、水性人の秀頼に取っては病の地であった

明智光秀を検証したので、本能寺の相手方、織田信長も見てみよう。織田信長の生年は1534年で干支は甲午(きのえ・うま)で金性人である。居城は安土城で座標は北緯35度9分21.29秒 東経136度8分21.87秒、安土山山頂にあったので四方が低く中央が高い四龍の地である。これはすべての行性人に大凶の地である。

ついでなので、明智光秀を討った豊臣秀吉を見てみると、生年は1537年で干支は丁酉(ひのと・とり)で火性人。居城は天正9年までは長浜城で座標が北緯35度22分39.65秒 東経136度15分40.87秒の白龍の地。この組み合わせは「患」である。信長存命中の秀吉は、精神の休まる暇もないほど、さぞや必死に働いたのではと思わせる。

本能寺の変のあった天正10年は、信長に領地を召し上げられて毛利攻めに向かわされたため居住地は不詳。事実上の天下人の地位を固めた清洲会議の時点では大阪城で、座標は北緯34度41分14.56秒 東経135度31分33.04秒、もともと石山本願寺の跡地で湿地帯なので中央の窪んだ黄龍の地となる。

秀吉は大阪城という黄龍の地に住むことで「楽」となり、関白太政大臣まで進み、位人臣を極め聚楽第を造営しわが世の春を堪能した。

このような占いは受けとる側の気持ちひとつで、どうとでも解釈ができるものであるが、戦国武将たちが五龍の相を知っていたら、別の場所に築城していたら、もっと違う結果になっていたかもしれないと思うと、それもまた楽しい。

占いは当たるも八卦、当たらぬも八卦。この言葉は、一般的に占いなんて当たるかどうか判らないものという意味だと思われているが、本来の使い方は悪い卦が出たときの慰めの言葉であって、決して占いの確率に言及するものではなかった。安倍晴明の土地選びの秘術も、良いことが出たら信じれば楽しい、悪いことが出たら「当たらぬも八卦」と受け流す、そんなふうに楽しんでいただければと思う。

2020年 03月22日 11時00分