昭和レトロな商店街の近くに新たな拠点が
首都圏では人気のある東急東横線だが、その沿線のうちにもあまり知られていない駅がいくつかある。沿線住民としていくつか想起するうちのひとつに横浜市神奈川区にある白楽駅がある。駅前広場もないコンパクトな駅なのだが、通りに出て少し行くと、目の前には賑やかな六角橋商店街が広がる。
さらに右手には木製の古いアーケードのある六角橋ふれあい通りがある。路地に小さな店が集まる昭和レトロな商店街は、しばしばロケ地としても使われており、どこかで見たことがあるという人もいるのではなかろうか。
その商店街からほんの10mほどのところに、昭和レトロとはちょっと異質の、見る人によっては改修中に見える建物がある。これが元質店を改装して生まれた「六角橋プロジェクト」の始点となる多目的複合施設ロッカクパッチだ。
この建物とプロジェクトの話に入る前に、この地域の歴史と課題を簡単に見ておこう。
白楽駅近くの六角橋エリアは1927年に横浜市に編入されるまでは「武蔵国橘樹郡六角橋村」、「橘樹郡城郷村大字六角橋」という農村エリア。だが、地域の歴史は古く、地名の由来がそれを物語る。
日本武尊が東征時、この地の大伴久応という人の家に泊まり、翌朝、日本武尊が使った五位木(ごいぎ)という木製の六角の箸を久応に賜ったことが由来という説があるのだ。ただ、古い地名だけに諸説あり、そもそも、この当時の箸は木製ではなく竹製だった、トング状だったともいわれている。また、もう一説は昔、この地に架かっていた橋が六角形の材木で組まれていたためとある。
実際、白楽駅から商店街を南へ下ったところを走る県道12号横浜上麻生線の六角橋交差点は、かつて流れていた滝ノ川を跨いでおり、そこに橋があってもそれが地名の由来となっていても不思議はない。
戦後に一気に発展、現在は見えない高齢化が進む
1927年の横浜市編入以降、白楽は大きく変わり始める。神奈川県では関東大震災以降、土地区画整理事業が復興事業として進められるのだが、組合施行として最初に行われたのがこの横浜市六角橋地区。旧耕地整理法を準用して1929年に始められている。先取の精神のあったこの地の旧家の当主・山室周作さんが事業を推進したのだが、その子孫が現在、この地域を変えようと動き始めた山室興作さんである。
その時期には他にも変化が起こっている。横浜市編入の翌年には市電六角橋停留所(前述の県道12号横浜上麻生線の六角橋交差点あたり)ができ、横浜中心部へのアクセスが良くなった。その2年後の1930年には横浜専門学校(現・神奈川大学)が移転。ここでも移転のためのお膳立てをしたのは山室さんの先祖・周作さん。これを機に六角橋は学生街へと変貌していく。
交通の利便性は商店街の発展も促した。戦後、日本全国の交通利便性の高い、人が集まりやすい場所には闇市と呼ばれた市場が作られたが、六角橋周辺にもそうした場が生まれ、それが現在も商店街として残り、賑わいを伝えているのだ。かつては横浜上麻生線周辺(六角橋交差点以遠は後日の延伸)にも商店街が連なっており、映画館も2館あったという。
だが、こうした繁栄が次第に斜陽化してきたのはいずこも同じ。六角橋も同様で、特にアーケード街であるふれあい通りは2000年代に一時、シャッター化が進んだ。その後、イベント開催などで盛り返し、現在は他にない雰囲気が人気でそれほど空き家化が進んでいるようではない。
「といっても街全体が問題を抱えていることには違いありません」と山室さん。「大学があるため、街中に若い人が多く、高齢化が見えにくくなっていますが、間違いなく進展しています。学生は学生時代にここで過ごしても卒業後には六角橋を離れてしまい、定着しません。今後を考えると住み続けたり、また戻ってきたいと思える面白い街、子育てする人にとっても住みやすい街にしていきたいと考えています」
徒歩10分圏で4つの不動産を動かす計画がスタート
山室さんは長男として生まれ、昔から跡を継ぐものとして育った。最初は美大を志したものの、建築なら街につながるのではないかと大学で住宅設計を学び、大学院では都市、まちづくりを研究した。そこで知り合った人たちと大田区蒲田でのまちづくりなどに関わりながら家業である大家業を手伝ってきた。
そんな中、現当主である父に2020年に提案したのはエリアのビジョンづくり。白楽駅から徒歩10分圏にある4つの敷地をベースに、暫定利用も含めてこれからの六角橋をどうするか、全体から見て各不動産の使い方を考え、それぞれが緩やかにつながるものにするというプロジェクトである。
「まだ、完成前でしたが、小田急線の下北沢駅近くでボーナストラックを手がけたツバメアーキテクツの山道拓人さんに依頼し、一緒に街を歩いてもらい、六角橋にふさわしい開発のあり方を一緒に考えていきました。両親もこれに賛同し、少しずつ動き始めました」
家業としてはこれまで土地を貸すことがメインだったのだが、そろそろ世代交代の時期がきているのだろう、その借地が上物付きで返還されるようになってきていた。それをどうするか。時代に合わせて仕事のやり方を変えなくてはいけない時期にもきていた。
「もともと、収益優先でワンルームを建てるのではなく、保育園、障害がある方のための賃貸住宅など、地域に必要と思われる物件を建ててきました。2021年には駐車場と貸家があった跡地に1階に保育所、シェアオフィスの入った賃貸住宅を造っており、それは子育てしているファミリーが住みやすいことを考えてのことでした。ただ、これまでは借地が返ってくるタイミングで主にメーカーからの提案を受けて建ててきたところがあります。今後は大家業にシフトしていく中で自分たちで企画し、プロジェクト同士で連鎖が起きるように地所をコントロールしていければと考えています」
第一弾は小商いのできる木造2階建ての長屋
4つの敷地を考えるプロジェクトで第一弾となったのは、私道に面して駐車場があった三角形の土地。隣にあるデイケアの送迎用車両の駐車場として貸していたのだが、そこに集合住宅を建てることにしたのだ。最初は鉄骨の4階建てという計画だったが、土地があっての計画のため、そこまで収益を追うことはないと木造2階建ての長屋4戸を計画した。
「六角橋ふれあい通りは長屋が連なる商店街です。風情も人情もありますが、防災上その他の問題を抱えており、ずっとこのままの形で残せるものか、難しいところがあります。検討も始まっています。そこでここには新しい形の六角橋ふれあい通りのモデル、新しい長屋形式を作れないかと考えて造りました」
プロジェクト名は「六角橋の四軒長屋」(物件名称はN4 エヌヨンと読む)。1階に広い開口のある、使い方フリーの空間があり、上階には住居を想定した、下階とは逆に閉じられた感のある空間が重なる。1階は店舗としても、オフィスとしても、趣味の空間としても使える。最近増えている小商い可能な住宅の長屋版というところだろうか。じぐざぐに配された1階外壁が印象的な建物である。
現在のところ、3戸の入居が決まっており、1戸は住宅としての使用だが、他2戸は今後ドライフラワー作家のアトリエ兼ワークショップ会場、ボードゲームコミュニティの拠点として使われていく予定とか。
周辺には内部だけをリノベーションして貸している一戸建てなどもあり、一見、ごく普通の住宅街に種が蒔かれたのである。
時間をかけてようやく四軒長屋が着工というタイミングで、突然、違う物件の話が舞い込んできた。それが冒頭で紹介した現在、ロッカクパッチとなっている建物だ。借地人が質店として営業してきたが廃業、上物も含めて借地を返したいという話だった。一度に2つの物件を動かすのは大変だ。だが、商店街に近い、ある意味拠点性の高い建物を取り壊すのはもちろん、放置しておくわけにはいかない。そこで2軒は同地進行。大変だったそうだ。
元質店の蔵や建物を活かして人が集まれる場を
ロッカクパッチは、借地人によって増築に増築を重ねられてきた建物で、築年は不明。最後の記録が1953年の増築というから一番新しい部分で70年前(2023年時点)ということになる。しかも強引に継いで、継いで大きくしてきたようで、途中で柱が切られていたり、内装材が引き剥がされていたりと大胆に手が入れられている。その一方で建築面積で146m2、延べ床面積で223m2と規模があり、強度を担保する工事だけでも費用がかかる。
そのため、建築家の石井大吾さんをはじめとする改修チームと検討を重ね、既存を活かしてシンプルな仕上げとなった。間取りも同様で、1階の商店街に近い場所には広い共用スペースがあり、道路に面しては縁側的なちょっと腰掛けられるような空間が作られている。置かれているテーブルや椅子は山室家で使われなくなったものを引っ張り出してきたそうで、時を経た渋い感じが建物にマッチしている。
1階の奥側には蔵がある。一段高くなっており、現状、内部はその当時のまま。暫定的に作業スペースとして使われているが、いずれは蔵の前面にも手を入れて店舗などとして貸し出すことを考えているという。
1階の一番商店街から遠い一画にはコーヒーショップがある。もともとは質店のカウンターのあったところを利用、国内外で修業してきたというバリスタと、焙煎士の2人組が経営。周囲に美味しそうな香りを振りまいている。さらにその奥には住戸もある。レトロ感満載、小さな庭もある住戸だ。
2階は4区画のシェアオフィスとなっており、すでに満室。特に2階は既存の姿が残されており、時間が止まったような印象を受ける。
もうひとつ、建物の裏手には減築して生まれた庭がある。ここはまだ手がついていないが、建物をL字型に囲むようになっており、広さはある。自分たちでイベント会場として使うほか、商店街のイベント時にキッチンカーを呼ぶなど、地域の盛り上げに使える空間といえそうだ。
今でも十分楽しい六角橋エリア
2023年3月に開業したばかりのロッカクパッチだが、これまで地元で集まれる場所が少なかったためか、1階のラウンジは六角橋商店街の今後を考えるための勉強会など地元のイベントに使われるようになっている。今後は建築を学ぶ学生の展示なども考えているそうだ。
それ以外の時間は近隣の方々に開放してはいるものの、あくまでも建物内のオーナーの私有空間でもあり、今後は使い方その他のルールを考えていきたいそうだ。
「街に新陳代謝が必要な時期がきていると思います。2011年に当家が建設する建物に横浜六角橋地域ケアプラザができたくらいから学生と街が交わるイベントなどが増えていますし、この地域は町内会も、お祭りも続いてきています。商店街にも若い人の開業があり、ジムやクラフトビール、スパイスカレーの店など新しい店も増えました。一方で、六角橋ふれあい通りのように問題も山積しており、それをこれからどうしていくか。自分にできるところから、でも、地域の全体像を見ながら次の一手を考えていきたいと思います」
そもそも、ツバメアーキテクツと構想したビジョンづくりプロジェクトも、ロッカクパッチが同時に始まってしまったためにまだ1軒目に留まっている。今後、その他の敷地が動いていけば、六角橋はより面白くなりそう。山室さんは地元のプロジェクトが始まり、やるべきことが膨らんできたため、現在は家業に専念。次の一手を模索している。
久しぶりに訪れた六角橋商店街、現時点でも六角橋ふれあい通りは十分に楽しく、思わず、あれこれ買い物をしてしまったほど。まだ、訪れたことがないという人がいたらぜひ。これから変わるだろう街を事前チェックしてみてほしい。
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