坂の街、尾道の課題と「尾道空き家再生プロジェクト」
広島県尾道市は、海と山の距離が近く、いわく「坂の街」である。
古くから瀬戸内海に面し海運による物流の要地として繁栄した街で、海運業で潤ったまちには、立派な建物などもあり、お寺も多い。自然と時代を重ねた建物が様々な表情を見せる街であることで、多くの文学や映画の舞台にもなってきた。また今は、しまなみ海道のひとつとして多くのサイクラーが訪れるサイクリストのまちとして、国内だけでなく海外からも注目を集める。
尾道の坂の小道に面した建物は、多くの街と同様に老朽化してきている。表情のある細い道は接道義務が果たせないため、接している建物は老朽化しても建て替えができず、高齢化が進むことで坂を上り下りする大変さもある。時代を表す貴重な建物が多い一方で、空き家が増え、建物も取り壊さざるをえず、空地が増えスポンジ化が進んでいったという。
「このままでは、尾道らしい“坂の街の風景”が消えてしまう」と、危機感をもったという豊田雅子さん。増えてしまった空き家をなんとかしようと15年前に仲間たちと起ち上げたのがNPO法人の「尾道空き家再生プロジェクト」だった。
「尾道空き家再生プロジェクト」の取組みは、LIFULL HOME'S PRESSでも何度か取り上げてきた(約760人の移住希望者が待つ、尾道空き家バンクの成功・ガウディハウス、みはらし亭…尾道に残る建物の魅力と活用・尾道空き家再生プロジェクト”の新たな挑戦。クラウドファンディングも活用した『みはらし亭』再生)などである。豊田さんたち尾道空き家再生プロジェクトの活動は、少しずつ尾道の建物を再生し、人を呼び込んできた。今では、地方の空き家再生の成功例として多くの媒体にも取り上げられている。
復元再生に10年かかった「尾道ガウディハウス」。有形登録文化財の貴重な建物が一棟貸しの宿に
以前の記事でもお伝えしたが、豊田さんの尾道の空き家再生の大きな転機となったとりわけユニークな建物がある。1933年(昭和8年)に建てられた木造建築で、その不思議な外観から地元でも有名な旧和泉家別邸、通称“尾道ガウディハウス”である。昭和初期の木造建築の建物は、地元大工さんが当時の技術を駆使し、3年がかりで建てられた。
その旧和泉家別邸が20年余り放置され、空き家となっていることを知った豊田さん。
「私はここ尾道で育ったので、不思議な建物のことは見知っていました。空き家になって、家の中を見る機会があり、その建物の大工技術の素晴らしさと造りの美しさにびっくりしました。この魅力的な建物を壊してはいけないと思い、購入して復元することを決めたのです」と豊田さんは言う。
2007年その家を自費購入し、大工をしている夫と建物の再生に着手する。その後、旧和泉家別邸は国の有形登録文化財にも指定された。
その通称「尾道ガウディハウス」。以前の取材時(2015年時)は、まだ再生中であった。しかし、2020年2月無事復元再生され、なんと一棟貸しの宿としてスタートしたという。
復元再生後の尾道ガウディハウスを訪ね、尾道空き家再生プロジェクト代表の豊田さんにお話を伺ってきた。
「大工の腕が最高潮だった時代」昭和の良き時代の複雑で細やかな建築
尾道駅北口から徒歩約3分ほど。さっそく尾道らしい坂がはじまる途中にその建物はある。
急傾斜地の下からみあげると不思議な形の木造住宅が崖の上に立つ。建物に向かう坂の下の道に、新たにデザインされたガウディハウスのロゴが記されていた。坂の階段を少し上ると、その途中に玄関がある。
「この建物は、昭和8年に尾道で箱物製作・販売を手がけていた和泉家の別宅として建てられました。昭和8年といえば、まだ第二次世界大戦に入っておらず、日本も海外からたくさんのものが入ってきたとても豊かな良い時代。豊かな時代ゆえに多くの建物をつくる機会もあって、大工さんたちは腕を競っていた時代です。国内外の建築材が豊かになり、大工さんの腕と技術が生きる最高潮だったときではないでしょうか?」と、豊田さん。
外観からみると不整形な急斜面の土地、しかも広い敷地にはみえない狭小地に立つ住宅だ。屋根や庇が複雑に様々な方向に向いており、どこからどこまでが1階なのか2階なのかがわからない。純粋な和風建築と思いきや、外壁は着色したセメントを叩きつけたドイツ壁で上げ下げ窓もある、擬洋風の建築。まさに変わった建物……しかし、その複雑さもあり、人の手でしか造り得ないであろう圧倒的な存在感がある建物である。
この不思議さと存在感から、旧和泉家別邸は、いつしかスペインの建築家にちなんで「尾道ガウディハウス」と呼ばれるようになった。
レトロな玄関に入ると2階に上がる階段がある。アールを描く階段は、不整形な立地のため、すべての階段の板の形が違うという。階段下にはデッドスペースを利用した物入までつくられており、大工が細部までこだわったことが伝わる。
「この階段をみたときにこの建物の素晴らしさと魅力にとりつかれました。この建物は一人の大工さんが3年をかけてつくった、と伝えられていますが、この階段にはそのうちの1年を費やしたそうです」
立地の難しさもあったのであろうが、大工さんがこだわりを持ちながら、慎重に苦心して造り上げたようだ。
2階に上がると左手に隠し扉のような造りがある。「実はここから外に出られるようになっているんです」と、崖の細い道に出られる扉のようだ。ここにも住む人の利便性を考えた大工の心遣いがみえる。
和洋折衷の2階の室内。モダンでこだわりぬかれた「今ではつくれない」造り
さて、2階には和室と洋室がある。和洋折衷のつくりとなっているのだが、これがまた素晴らしい。小さな廊下を挟んで左が洋室、右が和室と次の間になっている。
まずは洋室。ここは執務室として使われていたようだが、昭和初期の和洋折衷が多い時代のレトロな空間だ。以前訪れた際は、こちらはほぼ朽ちていて落ちてしまっていたので、こんな空間だったのかと、驚いた。
漆喰で木枠の窓は上げ下げ窓、天井もデザインが凝らされており、吊るされたすりガラスのランプがまた素敵な表情。豊田さん曰く「このランプにも心を持っていかれた」のだとか。変形の土地で曲がった台形のような空間のため、家具も壁に沿って造りつけられている。手前の2つの棚は変形した間取りを感じさせない形状になっており、デザインが施され凝った造りである。洋室の奥は折上天井で木材が組み合わされた菱形のデザインで手前の漆喰の天井とはまた違った様子をみせている。
かなりモダンな雰囲気なので、今回再生した時にデザインをしリノベーションしたのかと思ったが、「この家は、ほとんど当時の状態に復元しています。洋室も再生前、朽ち落ちていましたが元の状態に近づくように復元しました。実は漆喰の壁や天井にはまだ装飾があって、今はまだ復元の途中なんです」という。部屋に置かれたミシンも、この家にあった当時のもの。時代が戻ったような雰囲気のある洋室だ。
廊下右には和室がある。床の間のある和室は、建具にもひとつひとつ手が加えられ凝った造りになっている。欄間の彫刻や組子障子、丸窓、床の間は、磨き丸太の床柱と狆潜り、筆返しと海老束を持つ違い棚があり、今では、多くの材が手に入れるのに苦心するだろうし、つくるとしたらかなりの費用がかかりそうだ。襖も元のものを活用。カビや傷みの酷い下部分には、別の襖紙を貼って、金彩を使った元の襖紙を月のように見立てたそうだ。
和室の窓側には、窓台があり、桟のふちに思わず座りたくなる。よく見ると窓台の勾欄は木材の角4面すべてに銀杏面取りという加工が施されている。こちらも凝った造り。そして、窓からは尾道のまちが見渡せる。坂に立っているからか、2階とは思えないほど見晴らしがよい。
和室横にそなえられた2畳ほどの次の間には、外に向いた小さなテラスのような露台がある。可愛らしい空間で、玄関側の道を2階から眺められる。こちらには、豊田さんが床部分に小さなタイルを貼ったのだとか。メダカや金魚が泳ぐ鉢を置くとよさそうだ。
複雑な印象を与える外観から、内部は小さな間取りで迷路のようになっているのかと思うのだが、室内は、驚くほど広々とした開放感のある空間だ。天井が高いのと、窓が大きくとられていること、そして次の間のほうにも小さなテラスがあるからかもしれない。これも大工が考え抜いた間取りなのかもしれない。
窓と露台側を開け、和室と次の間の襖を開け放すと風が抜けて涼しい。取材に伺った日は、梅雨の暑い最中であったが、クーラーがいらないほどだ。
「昔の家はクーラーがなかったからか、空気の流れも考えられて設計されているんですね。自然の恩恵をうまく使っていて、すごく風通しがよくて気持ちいいんです」と豊田さん。
1階には和室と小さな台所、レトロな水回りを。
台所の下には時代の世相がみえる防空壕も
1階に下がると和室と水回りがある。和室に続く少し下がったところの土間に小さな台所とお勝手口が備え付けられている。
台所には、タイル張り竃(かまど)がそのまま置かれていた。簡素な台所は、この家が「別邸」であったことも理由かもしれない。そして、台所の土間には地下に続く階段があるのだが、ここは防空壕だ。昭和初期の時代をあらわれている。
1階の奥には、新しくお風呂やトイレをつくったという。
豊田さんは「水回りは別邸のため、なかったのですが、ここを活用するにあたって新しく設置しました」という。
しかし、最新設備を置くのではなく「できるだけ時代とこの家の雰囲気にあったものを」ということで、猫足のバスタブと陶器の洗面台やトイレが備えられている。
バスタブの横には、はめ殺しの窓が備えられているが、石積みの崖の一部がライトアップさせて見えるようにしており、この家がどんなところに立っている建物なのかを思い出させてくれる。
尾道ガウディハウスは、ゲストハウスとして利用が可能
この尾道ガウディハウスを機に始まった「尾道空き家再生プロジェクト」。今ではその再生した建物は20戸に及ぶ。空き家バンクのマッチングも含めると180軒くらいの空き家の再生に関わっているという。この空き家活用により、多くの移住者も受け入れることができ、新しいまちの住民として活躍している人も多いという。
「NPO起ち上げ時は、なぜ古い建物を大切にしなくてはいけないのか、空き家を活用するのか、理解を得られなかった事もありましたが、この活動を続けてきて、今では多くの方の理解と協力が得られるようになりました。尾道は大きな戦災を受けなかったため、時代ごとの貴重な建物が残っています。私は特に昭和初期の和洋折衷の建物が大好きなのですが、そういったものもまだあるので、これからも活用したい人と建物の再生を続けていきたいと思っています」と豊田さん。
ちなみに尾道ガウディハウスは、この建物と尾道のまちを感じてほしいということで、2泊3日からの宿泊が可能。条件によっては、時間でのレンタル利用もできるということだ。登録有形文化財のこの不思議な建物、大工の技と当時の空気を体験するために、尾道を訪れたときには泊まってみてはいかがだろうか。
■尾道ガウディハウス
https://gaudhihouse.com/?page_id=653
■NPO法人 尾道空き家再生プロジェクト
http://www.onomichisaisei.com/
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