若い人の入居を促すなら、若い人の発想、設計で
東京都足立区にある興野町住宅は、JKK東京(東京都住宅供給公社)が管理する団地で、総戸数は560戸。建設されたのは1959年だから団地としては初期のものに属し、住民の高齢化が進んでいる。
「興野町住宅の再生に向けた取組みとして、一部の住棟の建替えを行うとともに、他の住棟は、建物の長寿命化を図りながら長期的に活用していくこととしています。長期活用住棟ではリノベーションや改修などを行い、若い人や子育て世代の入居を促進します」と、JKK東京住宅総合企画部住宅総合企画課長の藤田隆氏。
若い人の入居を促すなら、同じ若い人の発想、設計でリノベーションしてはということになり、JKK東京は、同じ足立区にあり、建築学科のある東京電機大学に相談を持ちかけた。
相談を受けた東京電機大学は快諾。早速、建築・都市空間研究室、建築設計研究室の大学院生に、今回のリノベーション企画の趣旨などのオリエンテーションを実施した。学生たちは、興野町住宅の現地調査や居住者との意見交換会などを行ったうえで、リノベーションの対象になった4戸(うち隣接する2戸は、子育て世帯向けとして1つの住戸に改修するため、合計3戸)の設計にチャレンジした。
学生たちは、JKK東京などに対し、自らの企画や設計に関するプレゼンテーションを実施。審査によって選ばれたのが、加藤未来氏の「伸び縮みする家」、藤沢裕太氏の「趣味人たちの空間」、そして川田啓介氏の「湾曲壁の隠れ家」だった。この3案は、一般社団法人団地再生支援協会主催の「第17回集合住宅再生・団地再生・地域再生学生賞」も受賞することになった。
実際の空間を相手にできるまたとない機会
今回の取り組みを、加藤氏は「実際の空間を相手にできるまたとない機会」ととらえていた。自らの設計プランについては、「もともとの住戸は建具が多く、空間も動線も限られていました。なので、仕切るものを最小限にして自由度を上げました。従来の団地では端にある水回りを、空間の中央に置いて多様な使い方ができるようにもしました」と解説している。さらに、興野町住宅は最寄り駅から距離があるので、駅近くのマンションなどとは異なる魅力を持たせて差別化を図ることや、コストをあまりかけないことにも留意して設計にあたったそうだ。
藤沢氏の「趣味人たちの空間」は、隣接する2戸を1戸にしたプラン。キッチンやトイレ、浴室などの水回りを、あえて2戸の住戸に分散させて往来を生み出すとともに、さまざまな趣味を持った人や、子育て世帯が多様な暮らし方ができるような間取りを採用している。また、「土間」を設けて、住戸の内と外を曖昧にしているのも特徴のひとつ。子どもの頃に団地で暮らし、団地ならではの近所付き合いを経験している藤沢氏は、「昭和の建築遺産ともいえる団地を、新しいものにすることに魅力を感じて設計にあたりましたが、ただリノベーションするだけでなく、団地らしいコミュニティをアップデートするハブになる提案を目指しました」と語る。
新しい生活スタイルや暮らし方を提案
川田氏の「湾曲壁の隠れ家」は、曲線の壁を室内に大胆に設けた斬新なデザインだ。曲線の壁で区切られた空間は、茶室のような、あるいは隠れ家のような雰囲気を生み出している。中央に撤去できない耐力壁があるなか、南北に気持ちのいい抜け感があることに気がつき、この構図を生かせないか考えたという。湾曲壁によって3つの空間を作ることで、ワンルームながらメリハリのあるプランとなった。建具には従来の扉を残すなど、団地の歴史も感じられる不思議な空間だ。JKK東京 住宅総合企画部住宅総合企画課担当係長の鈴木芙美子氏も「元の部屋からは想像できない変わりようです」と驚きを隠さない。
60年以上も前の設計である興野町住宅は、「天井が低く、間口も狭い」(藤沢氏)ので、いずれの案でも天井を抜いて、空間を広げる工夫をしている。そのほかにも、「室内に洗濯機を置くスペースがなかったので、必ず設けようと思いました」(加藤氏)というように、60年前と今の生活スタイルのギャップを埋めることに苦心したようだ。
学生、JKK東京双方にとって有意義だった作業現場
設計案は続いて、実際の施工に用いる実施図面の作成へと移ったのだが、そこに「ハードルがありました」と藤沢氏。施工に携わったことのある人なら当たり前のことが、実務経験がないのでわからず、図面に反映することができなかったのだ。「そんな細かいところにまで注意して、設計とはするものなんだと驚くとともに、自分のデザインは見た目しか考えていなかったと思い知らされました」と振り返っている。
加藤氏も「たとえば、キッチンなどの水回りからきちんと排水されるためには、配管に少し勾配をつけなければなりません。そうした常識も知りませんでした」と話し、実施図面作りは修正を重ねることになった。ようやく仕上がった図面とJKK東京が作成した設備・電気図面をもとに、リノベーションの作業はスタートした。
リノベーションの現場について、「思い描いていたものが、次第に形になっていくのを見るのはうれしいですね」と加藤氏。しかも、その中心に自分の設計図があるのだからなおさらだと言う。
藤沢氏も「自分が設計した空間は、これまではCGの中でしか見ることができなかったわけです。それが現実のものになっていくので感動しました」と語っている。
一方、JKK東京も、リノベーションの現場を見て驚いたそうだ。鈴木氏は、「加藤さんが室内の各所に使用している合板は、通常は押し入れの中に用いるような材質のものです。それを〝表〞に使うのはどうだろうと思いましたが、出来上がった空間は全く違和感がなく、むしろ合板だからこそ、新しい生活スタイルの提案ができていると感じました」と明かす。
内見して応募してほしい3つのリノベーション物件
リノベーション工事は、新型コロナウイルス感染症の影響で予定より遅れ、2021年5月に完成した。JKK東京では現在、募集に向けて家賃などの検討を行っている。
「従来の住戸なら検討するまでもないのですが、家賃をいくらにするか、どういう形で募集の告知をするかといったことを相談しています」と鈴木氏は笑う。JKK東京の賃貸住宅は人気が高く、募集があるとすぐに応募があるが、今回の3戸については「ぜひ内見してください」と、鈴木氏は呼びかけている。「家賃やロケーションもさることながら、デザインや提案している生活スタイルを気に入った方に入居していただきたいからです」と言う。
今回の取り組みについて、JKK東京では「学生の皆さんは研究熱心で、その姿勢や若い感性には学ぶものが多くありました」と高く評価。「住まいの設計は、デザインだけでは成り立たず、住む人や空間の使い方を深く考えることが必要ということを学びました」(藤沢氏)、「リノベーションの現場作業を見て、建築とは多くの人が関わる大変な仕事だと改めて感じました」(加藤氏)と、学生たちも得るものが多かったようだ。
建築学生といえども、自らの設計が形になる機会はなかなかない。この経験は、進路を考えるうえで大きな影響を与えたという。3人の学生は大学院を修了し、それぞれの道に進んでいる。
■参考リンク
JKKxTDUリノベーションチャレンジ
公開日:












