過去にも頓挫した計画があった
今を遡ること7年半前、西武新宿線新井薬師前駅のすぐ近くに同じ人が所有する2棟の建物が並んで立っていた。1棟は木造2階建ての風呂無しアパートで築年数は60数年といったところだろうか、建物はかなり傷んでおり、改修には多額の費用を要する。入居を希望する人も減っていたことから、改修を考える所有者から相談を受けた株式会社スピークの宮部浩幸氏は「事業としては難しいと思う」という答えを返した。高額な改修費を投じたとしても、木造アパートで設定できる家賃では回収に無理があると判断したのだ。
それからしばらく間が空き、今から4年ほど前に、宮部氏に同じ建物に関する相談が入った。隣にあるRC造の、やはり賃貸物件物件の4階建て、6戸のマンション「パブリック・ハイツ」の2棟をセットにして再生を考えることはできないかというのである。
こちらは築50年ほど。もともとは所有者の自宅として一戸建てが建っており、その後、庭に木造アパートを建設。それからしばらくして自宅をRC造のマンションに建替えたのである。だが、いずれも老朽化。アパートだけでは建替えて事業を続けるのが難しいとしても2棟同時に建替えその他を考えるならどうだろう?というのが2度目の相談だった。
「最初の相談は息子さんからアドバイスを受けた先代からのもので、今回はそれを受け継いだ息子さんからのもの。依頼を断る会社は珍しいので印象に残ったのか、再度の相談となりました」と宮部氏。
木造アパート、RC造マンションをセットで計画
2棟セットなら再生の余地があるかもしれないとあの手この手の策を検討し始めてすぐに直面したのが資金問題だった。新築するならまだしも、古い木造アパート改修には融資できないと銀行が渋ったのである。となると木造アパートはそのままの形では残せない。なんとか一部だけでも残す手はないかという結果が木造アパートは建替え、パブリック・ハイツに木造アパートの建具その他を移し替え、記憶として残すというものだった。
アパートの新築に関してはコストを抑えることを重視した。そのため、建築はローコストでの建築が可能になるハウスビルダーに依頼、ワンフロアに1LDK1戸を配するプランに。周囲からはワンルームを勧められたが、西武新宿線沿線は以前から学生向けのワンルームが多いエリア。そこに新たにワンルームを作っても競争力を維持するのは難しい。そこで以前の8戸からは大幅に戸数を減らし、でも、広い部屋を作ることとした。
同時にパブリック・ハイツは改修に。ここでは所有者と物件の記憶を建物内にどう残すかがポイントになった。「所有者の祖父は俳人で谷崎潤一郎など著名な作家との交流もあったそうです。それを示すような品もいくつか残されていました。また、父はジャーナリストで、絵画や、仕事で利用したのであろう原稿、イラストなどが残されていました。そこで、まず、そうした品々を建物内の随所に配することにしました」
絵画などを飾る場所として思いつくのはエントランスホールである。以前のパブリック・ハイツ1階はがらんどうのピロティ、奥に倉庫があっただけだが、改修ではそこにブロックを積んだ壁を作り、郵便受けを設置、オートロックのドアを作ってエントランスホールをしつらえた。郵便受けの目隠しなどに既存アパートの建具が使われており、インテリアが気になる人なら入った途端に、他とは違う物件であることに気づくだろう。
また、エントランス部分は新築したアパートとも共有されている。アパート住民もオートロックのある空間を共有しているのである。
新設したエントランスはギャラリーに
そのエントランスホール正面、脇に飾られているのはオーナーの父が所有していたというティモシー・アキスの版画。作品が引き立つよう上からの照明も用意、入ってきた瞬間に目に付くように配慮されている。同じ画家の作品は階段脇にも飾られてもおり、エントランス周辺はちょっとしたギャラリー。
さらに面白いのは作品の脇に二次元コードが掲出されていること。これはオーナーが自作したもので、読み取るとウェブページに飛び、そこに掲げられている作品の説明を読むことができる。建物内には版画以外にもいくつか、祖父、父が所有していたり、関わっていた作品が飾られているのだが、入居者、来訪者は作品をただ見るだけでなく、二次元コードを通じてその歴史をも知ることたできる仕組みになっているのである。
ちなみにティモシー・アキスはパプアニューギニアの画家で、死後に海外のあちこちで展示会が開かれるなどして評価された人とか。オーナーの父は現地で作品を買い求めたそうで、日本では希少な作品といえるのではなかろうか。
希少性でいえば玄関にはもう1点、谷崎潤一郎の原稿を額装した作品がある。パブリック・ハイツが一戸建てだった時代には祖父宅で屏風として使われていたものを額にしたもので、あちこちに入る修正、校正の墨が時代を感じさせる。文豪の思考の跡が読み取れるようでもあり、日本文学に関心のある人であれば詳細に読もうとしてしまいそうである。
古い建具をあしらった使い勝手の良いワンルーム
壁に飾られた版画を見ながら階段を上ると2階以上が住戸。2~3階に2戸、1階、4階にも1戸あって全6戸。各戸の入口脇に掲げられているのはジャーナリストだったオーナーの父が残した原稿に添えられていたイラスト。各戸ごとに異なるユーモラスなもので、それを見て歩くのも楽しい。
以前の間取りは6畳、4畳半の2Kだったが、改装にあたっては仕切りを取り払い、広いワンルームに。専有面積は30m2弱。
古いアパートの建具は玄関から室内への引き戸、玄関とキッチンを仕切る壁やトイレの欄間などに利用した。壁、床、設備などは新しくなっているものの、建具の古い雰囲気が功を奏してか、室内全体としてみると古すぎず、新しすぎず、新旧が上手に入り交じっているといったところ。揺らぎのあるガラス、使い込まれた建具の木の色に落ち着く空間である。
雰囲気だけでなく、使いやすさへの細かい配慮もあちこちにある。洗濯機置き場の照明は壁に渡した棒材に設置してあるのだが、その棒材は同時に洗濯物を干す場となるように作られているし、既存建具を組み合わせて作った壁の一部の、建具が配されていない部分は小物が置けるように作られている。窓の枠や桟の上も棚として使えるし、収納+ワークスペースとして作られた空間内のデスクは可動式。ぱっと見ると雰囲気、インテリアに目が行くが実は使い勝手もよく考えられた空間なのである。
窓の多さ、庭付き住戸も魅力
また、1フロアに2戸しかないことから、どの住戸もトイレ、お風呂、キッチンに窓があるのもうれしいところ。風通しの良い、明るい住まいなのである。個人的には1階の、4畳半ほどの庭のある住戸が気になった。もともとあった塀を壊して拡張、庭にしたもので、庭から住戸に入ることもできる。わが家を仕事場にしている人なら来客にはここから入ってもらうようにするとよいかもしれない。
賃料は相場よりも1割ほど高めとのことだったが、募集から3週間くらいで満室に。周辺のワンルームよりも広めであるのに加え、他にないインテリア、建物の歴史が目を惹いた結果だろう。
加えて最寄り駅である新井薬師前駅は現在改修中。現在でも駅から徒歩4分ほどと便利な立地だが、改修が終わるとパブリック・ハイツのすぐ前に新しい駅出入口ができる予定とか。住んでいるうちに便利になる、珍しい物件というわけだ。さらに新井薬師前駅から中央線中野駅も徒歩圏という知る人ぞ知る便利な場所。この時点でパブリック・ハイツを借りられた人はけっこうラッキーだったかもしれない。
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