変化しつつある駅西エリアにできた古民家の宿
名古屋駅から徒歩10分ほどのエリアにある「駅西銀座通商店街」。駅西エリアと呼ばれる昭和レトロな面影を残すこの一帯が、じわじわと変化している。
例えば、一日中モーニングが食べられる「喫茶モーニング」、外国人向けのホステルを併設した「グローカルカフェ」、フリーペーパー専門店とカフェ、ギャラリーを併設した「ホリエビル」など、古い建物をリノベーションしたお店が次々とオープンしている。
そんなエリアに2年前、「古民家宿 菊の屋」がオープンした。こちらは、女性オーナーが一念発起して開業した宿。築90年の三軒長屋をリノベーションしたという建物は、なんとも雰囲気のある佇まいで、外国人観光客を中心に予約が集まっていたという。「いた」というのは、昨今の新型コロナウイルス感染症の影響で、例にもれずこちらの宿も宿泊客は激減、大打撃を被ったから。「一時は、やめることを考えた」とオーナーの菊池博美さん。しかし、せっかくここまで形にしてきたものをなんとか残したいと、継続することを選んだ。
窮地に立たされながらも奮闘する菊池さんのストーリーに迫った。
人生のラストチャンス! 妊娠をきっかけに踏み切った宿の開業
飲食店を営む両親を見ながら育ってきた菊池さん。実家の手伝いをしながら、いつか自分も事業を始めたいと考えていたそう。
「宿をやろうと思ったのは、単純に旅行が好きだったからという理由です。でも、実はゲストハウスには泊まったことがなくて。それなのにゲストハウスをやりたいと思って始めちゃったんですよね(笑)」
宿の開業に踏み切ったのは、第1子の妊娠がきっかけ。子どもができたら動きをセーブする女性も少なくないと思うが、菊池さんは逆にアクティブになるほうに舵を切った。
「人生のラストチャンスだと思ったんです。25歳くらいからずっとモヤモヤしていました。このまま実家の手伝いを続けていていいのかな、自分のやりたいことは何なのかを考えていたんです。子どもが生まれてしまえば、家事や育児に奔走してやりたかったことがやれないままになってしまうんじゃないかという焦りもありましたが、逆に妊娠をきっかけに思いが強くなった、というか、今やらなきゃ!という気持ちが大きくなったんです」
三軒長屋を借りてリノベーション
宿をやるなら、名古屋駅から徒歩圏内と決めて物件探しを始めた菊池さん。たまたま見つけた不動産屋さんで紹介されたのが、1920~30年代の昭和初期に建てられたこちらの三軒長屋だったという。
「大家さんがとてもいい方で。本当は住宅用の賃貸だったんですけど、宿をやりたいと相談したら快諾してくれたんです。最初は3軒のうち1軒だけを借りていたんですが、昨年、もう1軒借りることができて“はなれ”をオープンさせることができました」
物件は無事に見つかったものの、古い建物ゆえ大がかりなリノベーションが必要だった。
「右も左もわからないし、どうしようと思ったときに、古民家を改築した素敵な古道具屋さんがあったのを思い出して、飛び込みで訪ねていきました」
訪ねたのは、名古屋駅を挟んで東側にある「古道具めぐる」。こちらも古い建物をリノベーションして日本のアンティークや古道具、民具などを扱っているお店だ。
「リノベーションして宿をやりたいんですけどと相談したら、そういうことが得意な人たちを紹介してくれたんです。大きな力となったのは愛知県扶桑町にある『山本左官』の山本さんです。宿の全ての土壁の下地を作ってもらいました」
山本さんの指導のもと、菊池さんと友人たちで上塗りをして壁を仕上げた。
ベニヤを剥がしたら太くて立派な梁が出てきた
土壁の上に張り付けてあったベニヤはすべて撤去。床や天井も剥がしすべてスケルトン状態に。すると、太くて立派な梁が出てきた。
「最初は仕切りの壁や天井が張ってあって梁があるのは知りませんでした。この梁は宿泊されるお客さんがみんな『いいね』といって褒めてくださいます」
水場の傷みはそれほど激しくなかったため、キッチン、トイレは少し手を加えるのみ、お風呂はそのまま使用できる状態だったそう。最初に手がけた本館には、2段ベッドが2つ入ったドミトリー式の部屋、和室が2部屋、屋根裏を利用した和室1部屋が完成。古民家ならではの雰囲気を損なわず、必要最小限の手入れをしてオープンとなった。
泊まりに来る人のなかには、自身でゲストハウスを経営している人もいるそうで、そういった人たちから「部屋の仕切りが引き戸になっているので、『他のゲストたちが出入りするときに音が気になる。立て付けを見直したほうがいいよ』とか、設備面でアドバイスいただくことが多いんです。何もわからないところからスタートしているので、こういった意見をいただけることは本当にありがたいなと思っています」と菊池さん。
宿泊客たちの声を取り入れながら手探りで始めた宿は、外国人バックパッカーたちを中心に賑わいをみせ、徐々に軌道に乗り始めた。
1日1組限定の貸し切り宿に形態を変更。“未来宿泊券”で運営を継続
宿の開業からちょうど2年が経った2020年3月、新型コロナウイルスの影響で外国人の渡航が制限。外国人の利用が多かった「菊の屋」は、大きなダメージを受けた。宿を継続させるため、菊池さんはゲストハウスから、1日1組限定の貸し切り宿に形態を変更させた。
「外国がダメなら国内の需要をなんとか獲得しようと思いました。ちょうど2人目も産まれて手が回らないこともあったので、1日1組のほうが納得のいくサービスが提供できるという思いもありました」
より多くの人の目に留まるよう、ホテル管理システムに登録し、予約を訴求。名古屋エリアにある会社の集まりや同窓会、卒業旅行での利用客が増えたという。しかし、国内の移動も制限。外出自粛、営業自粛と規制が厳しくなり、宿をたたむかどうかの判断を迫られることに。
「今まで泊まりに来てくださった方々が、『大変だけどがんばって』と、応援してくれて。まだやりたいことをやり切れていなかったし、せっかくここまでがんばったんだから、もう少し踏ん張ってみようと思いました」
助成金や融資を受けながら、宿を継続。5月からは“未来宿泊券”の販売をスタート。事態が収束し、安心して旅行に出かけられるようになったら使ってもらえるようにとのアイデアだ(6月末で販売は終了)。
「宿を始めて、国内や海外の人にたくさん出会って自分が大きく成長したなと感じています。何よりお客さんと関わることが楽しくて仕方がないんです。“未来宿泊券”はこれまで宿を利用してくださった人たちや、地元の方たちが買ってくださっていて、この宿に対する応援の気持ちがこもっているのを感じますし、がんばって継続していかなきゃというモチベーションになっています」
ふんわりとした優しい一面と、エネルギッシュなパワーを持つ菊池さん。話していると元気をもらえそうだ。「宿に来るお客さんと深夜まで語り合うこともある」そうだが、お客の気持ちがわかるような気がした。
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今回の取材もお子さんと一緒に引き受けてくれたが、子育てをしながら宿を仕切る大変さについては「下の子がまだ0歳なので、子どもの世話をしながらだと寝不足になることも多いです。抱っこしながらお客さんをおもてなしすることもありますが、皆さん子どもに話しかけてくれたり、優しく接してくれて。お客さんに助けられている面が本当に大きい」と話していた。
宿を始めてから、同世代の女性から相談を受けることが増えたそうで「30代前後の女性は、結婚や子育てに直面する年代。自分の生き方や働き方について悩むことが多いと思います。自分がやってきたことが、そういった女性たちの参考になればいいなと思います」とも。
子育てをしながら走り続ける姿に勇気づけられる人は少なくないだろう。菊池さんの挑戦はこれからも続いていく。
【取材協力】
「古民家宿 菊の屋」
http://yado-kikunoya.com/
2020年 08月12日 11時05分