都心から約1時間の歴史ある自然豊かな温泉街が、危機的状況を脱するためにまちぐるみで改革に取り組み始めた
湯河原といえば、古くは万葉集にも詠まれ、夏目漱石や島崎藤村が定宿にするなど文人や歌人たちにも愛されてきた歴史ある温泉地。都心からも約1時間で気軽に行ける、自然豊かで温泉のある癒し場として宿泊客で賑わってきた。しかし、1990年の約846万人をピークに観光客の減少が続き、2017年には約330万人まで落ち込み、ホテルや旅館の老朽化や廃業、遊休地も目立つ危機的状況に陥っていた。
これに対して、湯河原は官民が一体となって動いた。湯河原町、湯河原温泉まちづくり協議会、一般社団法人ノオト、株式会社横浜銀行、地域経済活性化支援機構(REVIC)の五者で「湯河原町の歴史的資源を活用した地域活性化に向けた連携協定」を締結。「かながわ観光活性化ファンド」などの資金援助も受け、まちぐるみの大改革に取り組んでいる。その成果もあってか、宿泊客数も前年と比べ10万人増で上昇に転じているという湯河原の現状をこの目で見ようと、JR湯河原駅に降り立つ。すると、すでに駅前に大きな変化が。
湯河原の駅前が、隈研吾建築設計事務所デザインの木材をふんだんに使った温もりある広場に
湯河原観光の中心となる温泉街はJR湯河原駅から約3キロあるため、バスまたはタクシーを利用することが多い。その駅前広場が、木材をふんだんに使った大きな屋根のロータリ―になり、明るく広々したモダンな空間に。
湯河原のまちづくりを推進する株式会社 癒し場へ の代表取締役でもあり、湯河原温泉旅館協同組合の理事長など数々の要職を務める山本一郎さんによると、デザインは新国立競技場の設計で更に注目されている隈研吾建築都市設計事務所。大きな屋根のある広場の中心には、足湯ならぬ手湯コーナーが。なるほど、足湯は腰を掛けて靴や靴下を脱いで、と、ひと手間かかるが、手湯ならハンカチひとつで利用できる。「木のぬくもりと湯けむりを感じる」というコンセプトを手軽に体感できるというわけだ。
大屋根のおかげでバス・タクシーともに雨でも乗り降りしやすく、木のベンチに腰掛けて寛ぐこともできる。「駅前広場は利用する市民や観光客だけでなく、JR、タクシー会社、バス会社など多くの関係者がいます。そのため、2010年に立ち上がったまちづくり協議会のなかに駅前開発を考える分科会を設け、長い時間をかけて関係者で話し合いを重ねてきました。結果、限られた駅前のスペースを譲り合うことで新たに手湯のスペースやベンチを設けることができ、夜間はライトアップされた明るく広い駅前広場が2018年10月に完成しました」と、山本さん。湯河原温泉街への玄関口にふさわしい駅前広場は、湯河原町の多くの関係者が集まり街全体で長期にわたって取り組んだプロジェクトの成果なのだ。
かつての温泉場の中心・湯元通りにもリノベーションで新しい風
駅前からタクシーで温泉街の中心部へ。細い路地に昔ながらの旅館やお屋敷が並ぶ湯元通りは、県道ができるまではメインの通りで湯河原温泉発祥の地なのだという。「この湯元通りだけでも、ここ数年でずいぶん変わりましたよ」と山本さん。
「湯元通り」の名称が入った看板ができ、道路は風情のある石畳で整備された。ランドマーク的な旅館もリノベーションされ、夜間はライトアップが美しい。世代交代などでシャッターが閉まったままだった商店も、有効活用が進んでいる。
元々旅館で食事をする人が多かったため飲食店が少なかったが、昨今は宿泊形態も多様化。素泊まり客や日帰りの観光客を受け入れるため、街全体に飲食店を増やそうという動きも始まった。湯元通りでも、次々に空き店舗を活用した飲食店がオープン。地元密着のお肉屋さんが自店舗隣の空き店舗を食堂に。ハンバーグなどが観光客や地元住民にも大好評で「忙しすぎて困っている」、と笑う。元スマートボール店の空き店舗は、気軽に立ち寄ることができるワインバルに。湯元通りは元々歴史ある通りだけに、こういった新旧入り交じった建物を見ながらの散歩も楽しい。
芸術と文化を発信する場、町民の憩いの場としての町立湯河原美術館
次に案内いただいたのが、町立の湯河原美術館。ここはかつて夏目漱石も逗留したという老舗旅館を改装して平成10(1998)年に開館したもの。文化を発信するランドマーク的存在にしようと常設展の他、企画展を行う常設館と湯河原ゆかりの現代日本画家・平松礼二館がある。平松礼二氏のアトリエも公開されており、製作途中の作品や日本画の画材の美しい色を目の当たりにできる。
この美術館に、平成30(2018)年3月にミュージアムカフェがオープン。老舗旅館を改装した美術館というだけあって、お庭は見事な和風庭園。四季ごとに変化するこの庭を眺める広々したデッキスペースもあり、実に気持ちがいい。地元の豆腐店プロデュースで、ヘルシーかつ美味しい豆腐料理や豆腐スイーツという、こだわりメニューも魅力。この美術館一か所でも芸術、文化、グルメを一度に体験できてしまう。カフェができたことで、観光客だけでなく町民の憩いの場としても利用されているというのも納得だ。
蘇った富士屋旅館、新しいプロジェクトが始まる万葉公園、湯河原の進化は続く
「湯河原は地形的に山や川に囲まれているため限られた土地ですが、この県道沿いも整備を進めてずいぶん変わりました。観光客が歩きやすいように道路拡張をして歩道を設け、街灯を新しくして、電線類は地中埋設を進めて景観をすっきりさせています。17年間休業していた富士屋旅館も、改修工事を経て2019年2月オープン、街全体がパッと明るくなりました」と山本さん。富士屋旅館は「かながわ観光活性化ファンド」の第一号案件で湯河原の象徴として再生され、情緒あふれる見事な姿に蘇っている。その富士屋旅館を眺めながら、川沿いの歩道を歩いて、その先の万葉公園へ。
万葉公園の約2万m2もの広大な敷地内には温泉の神様がまつられた湯権現熊野神社、足湯施設「独歩の湯」など、見所いっぱいの緑地公園。近くには湯河原 二二六事件の現場となった「光風荘」もあり、千歳川の渓流沿いに万葉の歌碑や滝を見ながら散歩をすれば、都心から1時間ということを忘れて森林浴に浸ってしまう。この万葉公園内に、また新たな温泉施設を作る地域活性にむけた大きなプロジェクトが動き始めているという。
都心から1時間で手に入る、豊かな自然と柔らかな名湯。そんな湯河原の官民一体、まちぐるみとなった湯河原改革、これからも目が離せない。
取材協力:癒し場へ
https://iyashiba-yugawara.com/
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