5年近く通い続けた加太に分室を開設。研究者が常駐して課題解決をサポート
「鯛の一本釣り」で知られる和歌山の漁師町、加太(かだ)。
紀伊半島と淡路島が接近する、紀淡海峡に面している。町は海に沿って広がり、海水浴や磯釣り、サーフィンなど、マリンスポーツの聖地でもある。
近年は、沖合の友ヶ島に残る明治の要塞跡がジブリの「ラピュタ」を思わせると評判を呼び、若い観光客が増えているそうだ。南海電鉄は和歌山市と加太を結ぶ支線に「加太さかな線」と愛称を付け、観光列車「めでたいでんしゃ」を走らせ始めた。
とはいえ、観光客は駅から海に直行してしまうようで、加太の町なかは人影もまばらだ。全国の郊外が抱える人口減少・高齢化の課題を、加太も抱えている。
その加太に、2018年6月30日、東京大学生産技術研究所・川添研究室(建築学)が分室・地域ラボを開設した。海へと下る細い坂道に面した、推定築100年の蔵を改修して使っている。
川添研究室はすでに2014年から現地の調査を行ってきた。当初より研究メンバーの一員だった青木佳子さんが特任助教として加太に赴任、分室に常駐している。
まちの人々のサポートで、細い路地を挟んで向かい合う2つの建物を改修
研究室を率いる准教授で建築家の川添善行さんは、加太で研究に取り組む理由を次のように語る。
「和歌山は全国的に見ても高齢化の進行が速く、その中でも郊外の加太はさらに高齢化が進んでいる。人口減少も深刻です。しかし、歴史的に見れば、今の人口は20世紀以前に戻っただけともいえる。問題は、重厚長大産業の成長に伴って拡大した生活圏はそのままに、人だけが流出して空洞化した点にあります。課題先進地である加太で解決の糸口が見つかれば、全国に応用できるかもしれない」。
もちろん、加太の魅力にひかれたからでもある。
「万葉の歌枕があったり、修験道の聖地があったりと、関西ならではの濃密な歴史を持っている。そして何より人が熱い。分室をつくることになったのも、地元の方々の熱心なお誘いがあったからです」と川添さん。
加太では、自治会や漁業組合、観光協会が中心になって、2015年に「加太まちづくり会社」を設立している。このまちづくり会社が、分室開設のために空き家を探し、改修費用を負担して、川添研に貸してくれたのだ。
分室と併せて、地域の交流拠点になるようなものをつくりたいという要望もあった。場所はまちづくり会社が用意し、川添さんがアドバイザーを務める設計事務所・空間構想が建築設計を手がける。立地条件について、川添さんには考えがあった。
「建物とまちとの関係が大切だと思いました。分室と交流拠点をつくることで、少しでも通りを変えていきたい。それには、2つの場所ができるだけ近いことが肝心でした」
いくつかの候補の中から、路地を挟んではす向かいに立つ空き住宅と蔵を選択。分室の開設から約9ヶ月後の2019年3月に、「SERENO seafood & cafe (セレーノ シーフード&カフェ )」がオープンした。
本瓦と漆喰の外観はそのままに、中は開放的な一室空間にリノベーション
分室はかつて漁具の倉庫だったので、道の前に作業用の空き地がある。一方、セレーノの軒先は直接道に面している。道を挟んで2つの建物が関わりを持つことで、狭い路地の中にぽっかりとした広場のような空間が生まれた。
また、分室の床は地面より高くしているが、セレーノの床は道から段差なく続く土間になっている。それぞれ、道=まちとの関係に変化をつけているわけだ。
建物は2つとも、持ち主が手入れして使ってきたため状態は良く、外観にはほとんど手を加えていない。ただ、不特定多数の人が出入りする場所なので、耐震補強は必要だ。
「古い木造の建物の耐震補強は難しいんです。例えば10センチ角の柱があったとしても、それが計算通りの強度を持っているかどうかはなかなか検証できない。そこで、高圧木毛セメント板という強度のある材料を使い、壁を固めて補強することにしました」と川添さん。耐震補強には構造設計事務所KAPの協力を得た。
分室の建物は元は2階建てだったが、2階の床と4本の柱を抜いて全体をひとつの大きな空間にかえた。柱を抜いた代わりに、新しく大きな梁を入れている。あえて、古い部分と新しい部分がはっきり区別できるようにしたのがポイントだ。蔵を事務所に変えるため、開口部を少し増やして光を足している。出入り口の引き戸と高窓には、ガラスの代わりに断熱性と透光性を兼ね備えた「ルメウォール」という素材を用いた。
もう一つの建物には、地元出身の漁師の娘が経営するカフェが開業
分室開設からセレーノ開業まで少し間が空いたのは、「地域交流拠点」をどんなものにするか、誰が運営を担うのか、検討する必要があったからだ。カフェなら利益も出せるし、地域の人だけでなく観光客も入れる。
カフェの経営には、加太で生まれ育った西川晴麗さんが当たることになった。西川さんの父親は漁師で、加太まちづくり会社の役員でもあるという。
「以前から、いつかカフェを開きたいという夢はありました」と西川さん。
「それを知っていた父やまちづくり会社の人たちから、晴麗ちゃんやりなよ、と声を掛けていただいて。加太は小さなまちですから、みんな私が小さい頃から知っていて、親戚みたいな間柄なんです」
セレーノの改修は、西川さんの意見も入れて進められた。高圧木毛セメント板で補強し、古い部分と新しい部分を対比させるコンセプトは分室と同じだ。天井と欄間や小壁は既存のものを、そのままの位置に残し、開口部もほぼそのまま。床の間のように見える部分は、かつての押し入れを利用したものだ。グレーを基調とした無機的な空間に、昔の家の間仕切りが重なるのが面白い。
西川さんの「明るくしたい」という要望もあり、奥の壁には大きなはめ殺し窓をつくった。この窓から見える景色は、通りからは見えない、町の“内側”だ。川添さんは「町の額縁」と呼んでいるそうだ。
「セレーノ(SERENO)」はイタリア語で「晴天」を意味する。西川晴麗さんの名前の一文字であるだけでなく「漁師町のイメージも掛けているんです」と西川さん。「漁師は太陽に合わせて仕事をする。父の背を見ながら感じていたことでした」
セレーノで出すシーフードは、すべて西川さんが父親から直接仕入れている。サービスするときには、素材と調理法をひとつひとつ丁寧に客に説明する。定食のほか、軽食として白と黒のフィッシュバーガーも用意した。パンも自分で焼くそうだ。
「黒いほうには備長炭が入っています。これも和歌山の名産ですから」と西川さん。
今後はもっとメニューの種類を増やしていきたいそうだ。
観光資源の掘り起こしやお土産の開発。学生・研究者が地域課題に取り組む
川添研が属する東京大学生産技術研究所は、加太分室開設に先立って、和歌山市と地域連携協定を結んだ。地域ラボと加太まちづくり会社、和歌山市の関係各課とで「加太プロジェクトチーム」をつくり、定期的に会議を開いて意見交換を続けている。
前出の青木さんは、地域活性化協議会にアドバイザーとして参加したり、小・中学校の学校協議会委員を務めたりと大活躍だ。観光協会からは「加太観光鯛使」にも任命されている。
「今、漁師さんと一緒にお土産のプロデュースに取り組んでいるんです」と青木さん。
加太伝統の「鯛の一本釣り」は、魚にストレスを与えず、海の環境を荒らさない漁法で、だからこそ美味しい鯛が捕れる。奈良や京都に近い加太は、その鯛を鮮魚のまま出荷してきた。
「つまり、これまでは魚を加工する必要がなかったんです。でも、それではお土産になりにくい。せっかく若い観光客が増えているので、持ち帰って話題にしてもらえるような、かわいい鯛のお土産があれば、もっと加太らしさをアピールできるのではないかと思っています」(青木さん)
学生たちも、分室を拠点に加太の地域課題を考える調査研究を行っている。2018年には川添研の大学院生14人が約1週間加太に滞在し、4チームに分かれてまちなかや友ヶ島を調査、地域の人々を前に、まちの将来に向けた提案を発表した。2019年は、研究室の枠を超えて建築学専攻の大学院生たちが加太に集結。同じように研究発表会を行う。「スイスやスウェーデンなど、さまざまな国からの留学生が参加するので、国際的な視点が得られるはずです」と川添さん。
川添さんは、地域活性の戦略に「大きな目的地とたくさんの小さな居場所をつくる」を掲げる。「大きな目的地」とは、旅のモチベーションになりうるもの。たとえば伊勢参りとか、温泉とか。そして、その「大きな目的地」を目指してきたひとびとに「小さな居場所」を提供することで、滞在時間が延び、まちが賑わう。その「小さな居場所」はまちの人々のビジネスとしても成り立せる必要がある。
加太の「小さな居場所」として、まずセレーノができた。では「大きな目的地」は何か。川添さんは、友ヶ島にポテンシャルがあると見ている。
今でも「ラピュタの島」として観光客を呼ぶ友ヶ島だが、要塞跡以外にも修験道の聖地があり、特徴的な地形がある。「トレッキングルートができれば島の滞在時間も長くなる。今年は一週間ぐらい泊まり込みで調査に入ろうと思っています」と川添さん。
土産物のプロデュース、観光資源の開発と、川添研の取り組みは、建築の枠を超えて広がっている。川添さんは言う。
「建築家が、公共建築や住宅を建てていればよい時代は終わりました。都市や地域、社会の課題をデザインで解決する。それが、次の建築家の仕事の領域だと考えています」
2019年 08月26日 11時05分