市に寄付された土地を活用、地元企業が建設
城下町だった山形市内にはその歴史を彷彿とさせる地名が多く残されている。中心部にある旅籠町もそのひとつ。江戸時代から続く町名で、羽州街道が通り、弘前藩や秋田藩などの本陣、そして多くの旅籠が並んでいた場所である。2018年3月、その歴史あるまちの、御殿医の流れを汲む医師の診療所・住宅「旧木村邸」があった場所にレストラン、クラフトストア、ラウンジホール(以下ホール)、広場からなる複合施設「gura」が誕生した。
「旧木村邸は昭和に入ってからも診療所、住宅として使われていたのですが、最後はおばあちゃん1人が居住、相続人がなかったことから遠縁の人を通じ、2001年に土地・建物が山形市に寄付されました。その後、しばらくは使われずに、市が管理をしてきたのですが、2015年に当選した佐藤孝弘市長が中心市街地活性化計画の中でここを賑わい拠点として使うという計画を立上げ、そこから活用へと動き始めました」と運営に当たる株式会社旅篭町開発の後藤寛典氏。
といっても店舗などを行政が運営するのは難しい。そこで公募が行われた。市が事業者に土地を貸すので、そこで中心部の賑わいに資す場をつくり、盛り上げて行ってほしいというわけである。何社かが手を挙げ、最終的に選ばれたのは地元で長く続く建設会社・山形建設株式会社だった。ちょうど、同社が100年を迎えようとするタイミングでもあり、その記念事業という位置づけもあったそうだ。
かつて取り壊された石蔵を現代風に復活
当時、残されていた建物は築100年超と推察される母屋、物置、そして土蔵。そのうち、母屋は老朽化が進んでおり、既存建物を利用するのは難しいと判断された。物置は小さいのでこれまた除去。土蔵は耐震改修をして残すことになった。guraには3棟の蔵が並んでいるが、そのうち、中央にあるのが旧木村邸の土蔵である。
残りの2棟の石蔵は一見、旧木村邸の土蔵同様に古いもののように見えるが、実は新築。鉄筋コンクリート造の躯体の上に石を外壁材として利用したものである。「え~、なんだ、つまらない」と思うなかれ。石はかつて山形市内にあった歴史的な建造物に使われていたもので、それがここで再生されるにあたっては面白い歴史がある。
guraとは線路を挟んで西側に霞城(かじょう)公園がある。もともとは山形城があった場所で、明治時代以降は陸軍の駐屯地となっており、そこに弾薬庫があった。戦後、弾薬庫は地元の半田商店の飼料倉庫として使われていたが、2002年に山形駅西土地区画整理事業で取り壊された。それを手がけたのが山形建設である。
見事な蔵で壊すのは惜しい、いつか使う日が来るかもしれないと同社では石にナンバリングをし、図面を起こし、ラッピングをして県に返した。そして20年近くの時間がたち、このプロジェクトが立ち上がった。「もしかして、あの石が使えるかもしれない」と県に問い合わせてみると石はきちんと保存されていた。そこで、石を払い下げてもらい、外装材として使うことにしたというのである。いつか使うかもしれないとは私たちも日常的に使う言葉だが、それがリアルに起こったのだ。社内には当時、石の保存に関わった人もまだいらっしゃったそうで、長い間ひとつの土地で仕事をし続けてきた会社ならではの逸話だろう。
古いものを残すには新しい技術が必要
3棟の蔵ともに物語、歴史のあるものだが、実際の建築は大変だったと後藤氏。
「既存の蔵に手を入れ、店舗などに使うことはできても、現行法規下では石蔵の新築はできません。そこで鉄筋コンクリート造の躯体の外装材として石を使うことにしたのですが、当時の組み方以外にはできない一方で、かつての姿をそのまま復元するわけにもいきません。以前の蔵は狭かったし、窓や排気口、開口部がとれないからです。幸い、復元の義務があったわけではないので、いろいろ試行錯誤して現在の姿に造り直すことができました」
組み方だけではなく、石そのものの問題もあった。使われているのは山形県南陽市産の中川石という、現在は採掘されていない石。柔らかく加工しやすいものの、表面は崩れやすく、石同士をモルタルで組むだけでは崩れてくる可能性がある。そこで石をつなぐように鉄筋を入れてあるという。
「古いものをきちんと使っていくためには新しい技術が必要です。安全であることは建物に課せられた義務ですから、空き家、空き店舗の活用でも意匠だけ、景観だけを考えるのでは足りません。誰がどうやって、どんなお金を使って安全を担保し、残していくのか。古い建物、景観を残したいから利便性、安全性は無視してもいいと考える人もいますが、それでは残ったとしても使われなくなる。兼ね合いが難しいですね」
地元の良さに気づき、表現する場に
こうした苦労を経て完成した建物だが、運営に当たっても苦労が続いている。事業自体は100%民間に任されているが、無償で土地の貸与を受けていることもあり、市の意向を汲むという見えない制約があるのだ。
「収益を考えたら全部飲食店にしたほうが儲かります。でも、それでは単なるフードコートになってしまう。テナントを入れてお任せにしたくてもそれでは統一感のある空間にならない。クラフトストア、ホールともにどう地域に資する存在になるかを考えると誰かにやってもらうわけにはいきません。結果、すべて直営で試行錯誤し続けています」
施設の配置は、道路沿いにあるレストランがこの場への入り口、隣にあるクラフトストアは地域性に気づき、この場の想いを感じてもらう空間、そして一番奥にあるホールは自分たちを表現してもらうために使える公民館的な場所と位置づけられおり、入り口のレストランは予約しないと入れないほど盛況。だが、その先のクラフトストア、ホールに関しては課題もある。
「クラフトストアでは地元の作家による作品を中心にしていますが、興味は持っていただけるものの、なかなか売れません。イベント企画会社ではないため、ホールの利用もまだまだ。自分たちで3ヶ月に1度イベントを開催、地元のイベントに参加するなどしているので、少しずつ来場者数は増えていますが、これからも苦労しそうです」
開放的な空間、広場を使って野外パーティーも
さて、最後に実際の現地を。通りに面したguraは周辺から見ても低層の建物がゆったり建てられており、とても贅沢。手前の広場には石蔵に使われているのと同じ中川石が使われ、その奥、右手には緑の芝生。建物は左手にあり、開口部の大きなレストランがまず目に入る。レストラン、庭はウエディングにも使われているそうで、気持ちのよい野外パーティーの様子が目に浮かぶ。
レストラン、ホールは天井が高く開放的に造られており、それは新築ならでは。レストランには広場に面して大きな窓が取られているのも同様だ。一方のクラフトハウスは低い天井に並ぶ現しになった太い梁が印象的な空間となっており、かつての姿がイメージできるというもの。建物の経緯を聞いてから見ると、ああ、だからこうなっているのかと納得できる。
レストランの名物はふんだんに使われる地元の野菜や果樹。植物はストレスを与えると自己防衛のために糖分を出し甘くなる。山形の野菜、果樹が美味しいのは厳しい寒暖差がストレスになっているからで、この地で味わうべきもの。残念ながら今回は食べ損ねたが、次回はそのストレスに耐えた味を楽しみ、賑わいを目にしたいものである。
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