常識を疑え。不動産価値の本質とは
国土交通省は、「土地」の有効活用を目的として、毎年10月を「土地月間」・10月1日を「土地の日」と定め、都道府県、市町村、土地関係団体等の協力を得て、様々なイベントや啓蒙活動を展開してきた。2018年の土地に関する動きで言えば、所有者不明土地の利用円滑化等に関する特別措置法の6月成立があり、空き家や空き地等の今後に注目が集まっている。
各地で行われた土地月間の講演会だが、今回、10月19日に熊本市で行われた土地月間記念講演会に参加してきた。
主催は公益社団法人熊本県不動産鑑定士協会、講師は全国でリノベーションまちづくりを牽引する建築家の大島芳彦氏(株式会社ブルースタジオ専務取締役)である。講演テーマは、「選ばれるまちへ〜まちづくりと不動産価値の本質」。
たくさんのまちで商店街のシャッターが閉まってしまった時代となり、「かつてのように」と望まれる賑わいは、なかなか成り立たなくなってしまった。人口が減り、地域から人がいなくなる時代の「不動産の価値」とは何なのか。私たちはどうやって「選ばれるまち」をつくっていけばよいのだろうか。
「つくる時代」から「使いこなす時代」へ
「不動産の価値」、それは「自らが権利を主張できる敷地境界内の専有部分にある」と信じている人は多い。しかし大島氏は次のように述べる。
「今の時代、どれだけその境界内部に投資をし、専有部分が素敵に変わったとしても、まちや地域から人がいなくなってしまっては、その権利を主張する専有部分の価値もなくなってしまうのです。」
ゆえに、不動産価値の本質は、「敷地に価値なし・地域に価値あり」だという。つまり、地域を、まちをどうするか、不動産を考えるにあたってその視点が重要なのである。
また、これまで建物は「残念ながら消費する対象になってしまっていた」とも。経済が右肩上がりの時代は、土地の値段が建物に勝るもの。建物には資産価値がなく、むしろ建物は土地の価値を落とすものですらあった。建築家にとってはあまりうれしくない時代でもあったという。けれども今は、建物がどれだけ収益性を上げ、どれだけ社会に必要とされるかを考える時代になってきた。
「つくるだけの時代は終わり、つくってきたものを使いこなす時代になったのではないでしょうか。これは、我々建築家にとっても、とてもやりがいのある時代が来たのだと捉えています。」
「使いこなす」とは、経営するということ。他のビジネスではあたり前の発想だが、建物の保守・維持などのライフサイクルコストを考え、経営・編集するという考えは、不動産においてはまだまだ発展途上であり、公共不動産や地域でも同じことが言える。既存環境の使い方を総合的に考え、経営的に実践する、今後の不動産活用やまちづくりにはそんな考え方が必要なのだ。
空き家は「資源」である
人口減少と少子高齢化が進む今、空き家が急速に増えていくことは大きな社会問題となっている。2033年頃には全住宅の3戸に1戸が空き家になるという民間予測も出ているほどだ。
別の見方をしてみよう。下の表を見ると、日本では住宅における投資額の累計とストックとの差が500兆円にものぼる。アメリカでは住宅への投資がきちんと資産になって残るのに対し、日本では一生懸命働いて住宅に支払ったお金のうち資産として残るのは半分以下。少しショッキングな事実だ。支払ったお金は、いったいどこへ消えているのだろう…これは、国富の毀損とも見てとれる。
しかし大島氏は、「空き家は問題ではない。空き家は『資源』である」と言う。ただ放ったらかしにされ、活用されていない500兆円もの「社会的資源」が日本には眠っている、と。だからこそ「使いこなす」という発想になるのだ。
では、その活用されていない社会的資源を、どう活用していけばよいのか。その1つの方法が、リノベーションという「まちを見立てる力」である。必要なのは、俯瞰すること、再構築すること。きちんと周辺を調査し、その地にある様々な関係性や価値を可視化することで、それまで見えていなかった「そこにしかない価値」に人々は気づきはじめるのだという。
次は、それらの事例を紹介しよう。
自分たちの日常に「物語」を感じよう
事例①【テラスコナサーフ】
神奈川県鎌倉市、江ノ電「和田塚」駅から徒歩2分にある築35年の木造賃貸アパートの例である。70代のご婦人から相談のあったその建物は、亡くなったご主人が建てたもの。聞けばご主人はハワイアンミュージックの名手で、地域にはその仲間や生徒達がいるという。大家さんとその家族が暮らす母屋の隣のアパートだから、住人達とは家族のように接したい。ならばと、その「かぞく」達が語らえる広いテラスを設けた。天気のいい気持ちのいい日には、周辺の元気なお年寄りがハワイアンミュージックのリサイタルを行う。亡くなったご主人が築いた周囲との関係性もあり、誰も文句を言ってくる人はいない。むしろ、共にアパートの住人を温かく迎え、助けてくれているそう。そんな雰囲気に惹かれてか、周辺の新築と同等の家賃でも、住みたい人が後を絶たない。
事例②【ホシノタニ団地】
以前お伝えしたホシノタニ団地も、その地に既にあった価値を再構築し、可視化させた例の1つ。場所は神奈川県座間。座間駅の目の前にある鉄道会社の社宅だったその団地は、全4棟(95世帯)。リノベーション前は、老朽化し低利用の状況だった。建て替えをしたところで、周辺相場の賃料では建築費を賄えない。ここで行ったのは、「地域の人たちのために開く」を徹底すること。フェンスをなくし、敷地内に地域の人のための貸し菜園や子育て支援センターを設けた。もちろん、根拠として人口動態を綿密に調査しているのだが、その結果、地域の元気なお年寄りや、30代の共働き世代などの昼間いなかった人たちが駅前に可視化され、人々は賑わいを目の当たりにすることとなった。この環境を聞きつけた人たちが集まり、ホシノタニ団地は入居募集からわずか4ヶ月で全72世帯が満室に。4年経った今も、ほぼ満室稼働中だという。家賃は、周辺相場が4~5.5万のところ、7~9.5万円。もちろん住人達は、家賃が相場より高いことは知っている。知った上で、この環境を選んでいる人達なのだという。
他にも、アパートの造園と武蔵野の雑木林を一体として見立てた吉祥寺の縁木舎(えんぎしゃ)、廃業した倉庫をまちの家事スペースとして開いた喫茶ランドリー、まちぐるみの宿として地域の人と来訪者にホスピタリティを提供するシーナと一平、廃校を活用し、新しいツーリズムを育む場としたユクサおおすみ海の学校などが紹介された。いずれも、まちに既に存在した「人的」「空間的」「文化的」「環境的」資源を活用し、「物語」として再構築したものたちだ。
大島氏は「価値は既にもうそこにある。見立てることが必要なのです。見えないもの、見えなくなってしまったものを、再発見していきましょう。」と語る。
「あなたでなければ、ここでなければ、いまでなければ」のまちづくり
不動産の本質は、人々の暮らしとともにあることである。だからこそ、人々の暮らしの集積が、本来の「不動産の価値」ということなのだろう。
人口が増え、住宅供給が足りなかった時代は、新しくつくることが必要とされた。つくっては壊し、つくっては壊し、まちはどんどん様変わりしていった。それが経済成長の証だった。けれども社会が成熟して、人口が減り、家が余るようになったこの時代、そろそろその価値観から脱却すべきではないだろうか。
未だ日本では、建物へ投資した額は、見向きもされていない。見方を変えれば、あなたの身の回りにある空き家は、誰かが何百万何千万を投じた資産が、埃をかぶって眠っている状態だ。少しずつ、それに気づいている人々も出てきた。
「不動産を、まちを再編集する際、大切なのは『あなたでなければ、ここでなければ、いまでなければ』という視点です。」と大島氏。
まちの人の顔が見える小さな範囲で、歴史や自然環境なども取り込み、その地域に根付いた地域の人がプライドを持てる何かを見出す。見つけて、見立てた価値を、今度はきちんと「伝える」こと。わかりやすく、親しみやすいビジョンや物語は、共感の連鎖を生み、まちの人々を「消費者」から「当事者」へと徐々に変えていく。これこそが、本質的な「まちづくり」だ。
不特定多数の「消費者」に選ばれる必要はない。当事者としてまちを担う、まちを大切に思う人に「選ばれる」まちづくりをしていこう。
不動産への投資と資産価値の乖離は、不動産が金融資産として機能してないマーケット構造に問題があるように思う。例えばコンクリートは100年後に最も強度が増すと言われるし、木造に至っては適宜適切なメンテナンスを施せば半永久的に強度を保つという研究結果も近年は出ている。今後、建物は建てて終わりではなく、良質な資産としてきちんと評価されていくような仕組みが少しずつ広がると期待したい。
■取材協力
ブルースタジオ:http://www.bluestudio.jp
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