今も昔の町並みを色濃く残す、九州で最初の重伝建地区「飫肥(おび)」
宮崎県南部日南市飫肥(おび)地区は、かつての伊東氏飫肥藩5万7000石の飫肥城を中心とした旧城下町である。
現在でも飫肥城を中心として、武家屋敷、寺町、商人町などまち並みが広く残されており、その景観は「九州の小京都」とも言われている。飫肥地区は、1977年には九州・沖縄地方で初の重要伝統的建造物群保存地区として選定された。
通りを歩くとこのまちが景観を大切にしていることがよくわかる。伝建地区の電線は地中に埋める工事が徐々に進んでおり、まちの水路には澄んだ水が流れ、たくさんのりっぱな鯉が放たれて泳いでいる。
この風景が美しいと、外国人の観光客も多くなってきたようだ。
しかし、古いまち並みが残っている一方で、少子高齢化も拍車をかけ、特に空き家の問題は深刻だ。日南市による人口の将来展望は、現状のままであればもちろん減少の一途、生産年齢人口も減り、今後は税収も減ることは目に見えている。かつての栄華を誇る木造の立派な建物は、建物も土地も広く、人が住まなくなれば修繕費や維持管理費がかさむばかりとなる。
建物保存と空き家活用の課題を象徴する「旧飯田医院」
そんなまちに象徴的な物件保存の課題が浮かび上がったという。
1922年(大正11年)に建築されたひときわ目立つ洋館と和館がつながる空き家「旧飯田医院」の保存問題である。市では、地元の方々の意見も聞き、保存を決めたがなかなか実用的な活用のアイディアは出ない。市で行うにも資金的にも、ボランティアで行うとしても人員リソースにも、それぞれ限界が見えていた。
そこで市は、旧飯田医院を含むまちに残る貴重な空き家を活用し、トータルで利活用の仕組み構築をする人材を求めた。飫肥地区まちなみ再生コーディネーターの応募である。
まちなみ再生コーディネーターの徳永 煌季さんに飫肥のまちを歩きながらその取り組みをお聞きしてきた。
現状課題の深刻さから市が採用した飫肥地区まちなみ再生コーディネーター
飫肥の街を案内いただいた徳永さんは、大学を卒業後、外資系大手証券会社に勤務。日南に視察に訪れた際、このまちに残るポテンシャルに驚いたという。
ちょうど次のキャリアを考え始めたときに、日南市のまちなみ再生コーディネーターの募集を知り応募。26件の応募からプレゼンテーションや面接・選考会を経て選ばれ、2015年8月に日南市飫肥地区まちなみ再生コーディネーターに着任した。
徳永さんは、飫肥のまちの再生について
「まちなみがきれいに残っていることに感激するとともに“これは、大変だな”と。修繕費などを考えると数千万どころか億のお金がかかるところも少なくない。重伝建地区であるため、まちの美観のための外装改修には補助金がでますが、建物内部のリノベーションについては、市の予算や個人の資金にも限界がある。これは、きちんと建物のリノベーションだけでなく、利活用を考えるとともにまちの建物のコンテンツ同士が相乗効果で収益を生み出していく仕組みを考えないと…と思いました」と語る。
かせげるコンテンツを上質につくれる「ハード」と「ソフト」
保存から活用へ……最初に手掛けたのは、城下町に残る2つの物件のリノベーションだった。庭園が県の指定名勝にもなっている勝目邸と、江戸時代まで歴史を遡れる武家の長屋門の名残がある合屋邸、どちらも一棟貸しの宿泊施設として再生している。2棟ともまちなみ再生コーディネーターの徳永さんが所属するKiraku Japan 合同会社が事業主体となり、資金調達を実施。2016年11月より着工し、2017年春にはオープンさせたというスピードだ。
これだけではなく、空き家をコーディネーターとして個人に紹介し、飲食機能をもつ場所として再生の予定を進めていたり、現在基本計画や売買契約の交渉を含めて8棟の活用案件をすすめているという。
もうひとつ、このまちのもつポテンシャルに惹かれて古民家を再生しサテライトオフィスとして活用している会社がある。映像制作やWeb制作、ECなどのサイトを手掛ける株式会社プラスディーである。
同社のプロデューサーで日南支社長の小松さんは、
「僕たちの仕事は、価値を見出し優れた商品をつくりだすことで地方産業を活性化する"事業者プロデュース"を通じた地方創生事業です。今のようにリモートワークでどこでも仕事ができるような時代ですから、どこを仕事をする場所として選ぶかはより自由になってきている。日南は、まちにのこるコンテンツの貴重さ、まちづくりに積極的で新しいことをいとわないポテンシャル、民間企業以上に動きが早い自治体、レベルの高い職業訓練校がある。そういったところに魅力を感じます」と話してくれた。
まちに残る数々の「宝」。点を面で結んでいくことがこれからの取り組みのひとつ
古い建物を活用して、観光資源として有効に使うなど新たなビジネスを呼び込むだけではない。地元とのさまざまな連携もひとつのポイントである。
「ギャラリーこだま」は、明治時代の薬問屋であった「小玉家」を改装して、子孫の方々がギャラリー兼お食事処を営んでいる。お食事処では、観光客向けのランチ営業はもちろん、最近では新しくできた宿泊施設のお客様限定で地元食材を使った朝食の提供も始めた。一方、残念だが保存はできずに解体される空き家では、使える部材等は再利用できるようにしている。また、地域おこし協力隊では次のまちづくりのための新たな人材を募り、飫肥地区全体の活性化を継続できるように模索中だ。
「ひとつひとつ、少しずつ…というのでは間に合わない。老朽化が進み風化される建物もありますし、何より人材がそろい始めて少しずつ勢いが付き始めた今、そしてコミュニケーションが円滑なうちに今後のまちづくりの土台を作る必要がある。運用のことも考えながら、パラレルに動かなくてはならない。もちろん、議論を重ねる必要もありますし、協力も同意も得なくてはならない。まちづくりというのは非常に緻密な上にダイナミズムとスピード感が必要だと感じています。日南市の行政の決定と実行のスピードは、飫肥の再生に非常に大きな力となっています」と徳永さんはいう。
飫肥地区全体が目指すのは点と点を面にする地域連動型のまちづくり。
「残っていく建築物は地域のHUB機能が担える利活用をするべきです。古い建物の単なるリノベーションだけでなく、継承と集客を両立できる仕組みをつくっていることを目指しています」(徳永さん)。
一見古く美しい景観の街並みがのこる飫肥は、今、非常に考えられた新しいダイナミックなまちの再生が進んでいるようである。
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