国内最大規模の『うだつの上がる町並み』が残る岐阜県美濃市

JR『名古屋』駅からローカル線に乗って約2時間。岐阜県中濃地方に位置する美濃市には、国内で最大規模とされる『うだつの上がる町並み』が今も残されている。

今どきは『うだつ(卯建・宇建)』と聞いてもおそらくピンと来ない若者のほうが多いだろう。『うだつ』は、町屋の屋根の両端に設置された防火壁で、切妻平入りの建物の両端を一段高くすることによって火事の際に延焼を防ぐ効果があっただけでなく、この『うだつ』をより高く上げることが江戸時代の豪商たちにとって富と粋の象徴とされていた。ここ美濃市は、幸いにも戦火や震災の被害を受けることが無かったため奇跡的にうだつの建物が保存されており、東西2筋・南北4筋に渡る約9.3ヘクタールの町並みには平成の現在も“江戸の意匠の粋”が感じられる。

今回のレポートでは、美濃市の『うだつの上がる町並み』の歴史と成り立ちについて、町並み保存を担当する美濃市教育委員会の学芸員・高木宏和さんに解説していただいた。

▲こちらは地域最大規模の和紙問屋『今井家住宅』の外観。鬼瓦が小さく、懸魚(げぎょ)と呼ばれる装飾も無い簡素な造りは、最も古いうだつ軒飾りの形式だそう。現在は市の文化財に指定され、歴史資料館として活用されている▲こちらは地域最大規模の和紙問屋『今井家住宅』の外観。鬼瓦が小さく、懸魚(げぎょ)と呼ばれる装飾も無い簡素な造りは、最も古いうだつ軒飾りの形式だそう。現在は市の文化財に指定され、歴史資料館として活用されている

地元の産業作りが、地元特有の“豪華な家づくり”につながった

▲紙問屋として隆盛を極めた『今井家住宅』の帳場には、今も帳机や帳箪笥、接客用の火鉢などが残されている。高木さんは学芸員暦23年。ここ美濃市には縄文~弥生時代の遺跡も多く、考古学調査を行いながら地域と関わりあってきた▲紙問屋として隆盛を極めた『今井家住宅』の帳場には、今も帳机や帳箪笥、接客用の火鉢などが残されている。高木さんは学芸員暦23年。ここ美濃市には縄文~弥生時代の遺跡も多く、考古学調査を行いながら地域と関わりあってきた

「もともとこの一帯は上有知(こうづち)という地名で、長良川のすぐ横の段丘だったためたびたび河川の氾濫によって流されてきた場所でしたが、関が原の戦いが終わったあと飛騨高山の領主だった金森長近がこの地を拝領し、築城と城下町の町づくりを行いました。

長良川の水運を利用した物資輸送の玄関口として上有知湊(こうづちみなと)を整備し、製紙業や養蚕業、林業などを育成したのも長近の功績です。しかし、金森家は12年ほどで断絶し、その後領地の大半は尾張徳川家の藩領になったという経緯があります」

美濃和紙の里として知られる美濃は、金森長近が領主となってから周辺地域でいちばんの商業・産業の集積地となった。特に製紙業を営む商家には本来課せられるはずの税金が免除されるなど、地元産業保護を目的として手厚い対応が行われてきた。そのため、この地では紙問屋の立派な大邸宅が軒を連ねるようになったという。

「美濃の『うだつの上がる町並み』の中を歩いていただくとわかると思いますが、建物の間口がみんな広いんです。当時は建物の間口に合わせて税金が徴収されていたため、京都の町屋のように間口が狭く奥へ長い“うなぎの寝床”のような造りが一般的でした。こんなに広い間口の建物であれば、本来は莫大な税金が課せられていたはずですが、和紙は主要な産業でしたから、産業振興のための保護で税金が免除されていたと考えらています。

和紙の原料問屋だった『今井家住宅』は、この地域で最も古いとされている江戸時代中期(1700年代)の建物ですが、当時の文献にも名前が出ているぐらい立派な建物で間口はなんと12間。今井家の繁栄ぶりが窺えます。間口も広いのですが、実は奥にも広い。明治に入ると隣地を買い取ったりしてどんどん増築・増床して建物を広げていったようです。こうして考えてみると、地元の産業作りが地元特有の家づくりにもつながっていたんですね」

水に乏しい町だからこそ、火を出さないための工夫が『うだつ』だった

▲美濃の『うだつの上がる町並み』の随所に見られる庇の上の祠。これは「屋根神様(やねがみさま)」とも呼ばれ、火伏せの神様として祀られているものだ。ちょうど取材時には、各建物の軒先に赤い提灯が掲げられ、屋根神様のお祭り『秋葉祭り』の準備が進められていた。江戸時代から続く組ごとのお祭りが今もしっかり継承されている▲美濃の『うだつの上がる町並み』の随所に見られる庇の上の祠。これは「屋根神様(やねがみさま)」とも呼ばれ、火伏せの神様として祀られているものだ。ちょうど取材時には、各建物の軒先に赤い提灯が掲げられ、屋根神様のお祭り『秋葉祭り』の準備が進められていた。江戸時代から続く組ごとのお祭りが今もしっかり継承されている

上有知(こうづち)時代に水害に悩まされ続けたことから、この地域は町おこしをして高台に移ってきた。

そのため、逆に“水に乏しい町”となり、井戸を掘ると水は出てはくるものの、万一火災が起きてしまったらとてもその水量では鎮火ができなかったという。実際に、この地域は江戸時代に5回ほど大火に見舞われたそうだが、『今井家住宅』は焼失を逃れた。

「水が少ない町でしたから、火を出さないようにすることは住民たちの努め。そこで、延焼を防ぐための『うだつ』を上げるようになったのです。

また、江戸時代には水不足を受けて、北の山すそに人工の貯水池を作って町の中へ流れるようにした『番水(ばんすい)』と呼ばれる防火用水が整備されました。

その防火用水は東西2筋の一番町通り・二番町通りにめぐらされ、今でもちゃんと機能していますし、江戸時代から続く『町組(まちぐみ)』という防火組織がいまだに存続していて組ごとの行事を続けています。 この町では、“困ったときは隣同士お互いに助け合おう”という仲間意識が江戸時代から培われているんですね」

商いのまち特有の“人懐っこさ”で、移住者を積極的に受け入れ

しかし、時代が大正・昭和へと移り変わると製紙業の形態が変わったこともあり、多くの紙問屋が廃業をしたり、家主が他の場所へ移り住んだりして町の様子が変わってきたという。

「この今井家も、家主の方が東京へ出られたので誰も住まなくなり見るみるうちに荒れていきました。しかし、この建物はこの地域で一番の規模の建物なので、“何とか残さなくては”と保存活動を開始し、市民気運の高まりを受けて美濃市が建物を買い取ったのです。『今井家住宅』が市の所有となったことでこの地域全体の歴史的景観の保存が叫ばれるようになり、平成11年5月31日に『重要伝統的建造物群保存地区(以下:重伝建地区)』に選定されました」

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この重伝建地区選定までの地元の方たちの取り組みについては次回【2】のレポートでご紹介するとして、実際に美濃の『うだつの上がる町並み』を歩いてみて驚くのは、それぞれの歴史的な建物に“地元市民の生活”がちゃんと感じられることだ。

これまで筆者はいくつかの重伝建地区を取材してきたが、どの地区でも「映画のセットのような古い町並みを観光スポット的に維持するのではなく、地域の人たちの生活がちゃんとそこに存在していなければ意味がない」という課題を抱えていた。しかし、美濃のまちではそれがちゃんと実践できているようだ。理由はどこにあるのだろうか?

「紙の商いをやっていたお宅が、廃業してそのままこの場所に住み続けているというケースも多く、もともとは豪商だった豊かな方々が住まわれているというのもひとつの理由かもしれません。それと、美濃の『うだつの上がる町並み』の場合はNPO法人が運営する空き家バンクの紹介を通じて、近隣の岐阜県内、特に岐阜市からこちらへ移り住んでくる人たちがとても多い。“この古い町並みで自分の店を持ちたい”と家族みんなで引っ越してくる30代のオーナーさんが多いので、自然に若いファミリーが増え、うまく地域生活の循環につながっているのでしょう」

古くからの町の中に移住者が増えると、古い人と新しい人との間で生活観の違いからトラブルが起こりがちだと耳にするが、「そういう話は、美濃では聞かないなぁ…」と高木さん。

「これはわたしの主観ですが、美濃はもともと商いで栄えた町で、美濃の人たちはみなさん商家特有の“人懐っこさ”を持っています。だからこそ、新しく移り住んで来られる方たちに対しても歓迎ムードで、新旧分け隔てなくお付き合いをしているようです。“行政の取り組み”というよりも“町のひとたちの人柄”に支えられて、町並み保存と地域活性が成功しているんですね」

▲築300年を超える『今井家住宅』は、間口12間(約22メートル)、奥行8間(約14.5メートル)、建坪96坪(316.8平方メートル)で中2階の造り。表からは一見してわかりにくいが奥には見事な中庭が広がっており、水琴窟の涼しげな音色も堪能できる▲築300年を超える『今井家住宅』は、間口12間(約22メートル)、奥行8間(約14.5メートル)、建坪96坪(316.8平方メートル)で中2階の造り。表からは一見してわかりにくいが奥には見事な中庭が広がっており、水琴窟の涼しげな音色も堪能できる

中・高校生の案内ボランティアを育成、“住民意識”がこの町を守る

『重伝建地区』選定以降、美濃市の教育委員会では、地元の中学生・高校生を対象にして町並み案内ボランティアの育成を行うようになった。案内ボランティアというとシルバー世代が活躍するイメージがあるが、美濃ではいま約20名の学生たちが将来のボランティア活動を担うための研修に参加している。若い世代にこの町の魅力や歴史をしっかり認識してもらい、英語力も高めながら、SNS等を使って世界へ向けて情報発信をしてもらうことも狙いとしている。

「嬉しいことに、子どもたちにアンケートを取ると、“将来もずっと美濃に住み続けたい”と思っている子たちが多く、“この古い街並みが好き”とみんな答えてくれるんです。ひと世代前の若者たちは、“冬は寒いし不便だから都会へ出たい”と言って美濃を離れていたのに、世の中がちょっと変わってきているのかな?と感じています。それと、重伝建地区に指定されてからは、テレビや映画のロケがたびたび美濃で行われたりしていますから、“自分たちの町はすごい町なんだ”という自信を持てたのかもしれません。

古い町並みの保存を行う上で、何より欠かせないのは地元の皆さんの“町を愛する心”です。もともとこの町は地域の結束力が強く、地元愛がしっかり根付いているので安心していますが、今後も行政としてはこの町のスピード感で、この町の住民の皆さんの時間軸に合わせながら、サポートを行っていきたいと思います」

次回のレポートでは、美濃『うだつの上がる町並み』の町づくりを支える地元の人たちの活動と、重伝建地区選定までの取り組みについてご紹介する。

■取材協力/岐阜県美濃市教育委員会
http://www.city.mino.gifu.jp/pages/1196

▲『秋葉まつり』の準備が整い夜の帳が町を包むと、一番町通りに賑やかな出店が並び、建物の2階から恒例の餅投げも行われた。お祭りに参加している人の多くは地元の人たちで、観光客の姿はほとんど見られない。“映画のセットのような古い町並み”ではなく、ちゃんと地元の人たちの生活が根付いている歴史ある町であることが窺えるお祭りの一夜だった▲『秋葉まつり』の準備が整い夜の帳が町を包むと、一番町通りに賑やかな出店が並び、建物の2階から恒例の餅投げも行われた。お祭りに参加している人の多くは地元の人たちで、観光客の姿はほとんど見られない。“映画のセットのような古い町並み”ではなく、ちゃんと地元の人たちの生活が根付いている歴史ある町であることが窺えるお祭りの一夜だった

2017年 08月23日 11時05分