商家町として栄えた足助の町並みの成り立ち

足助町の航空写真。色付けされている道がかつての伊那街道(写真提供:豊田市教育委員会 文化財課)足助町の航空写真。色付けされている道がかつての伊那街道(写真提供:豊田市教育委員会 文化財課)

豊田市の中心地から北東へ約15kmのところにある足助町(あすけちょう)。もとは東加茂郡だったが、2005年の市町村合併により、豊田市となった。自然豊かな山あいに位置し、矢作川の支流・巴川がつくる渓谷である香嵐渓(こうらんけい)は、紅葉の名所として知られ、秋になると全国から人々が訪れる。

足助は、かつて尾張・三河と信州を結ぶ伊那街道(中馬街道)の中継地点の商家町として栄えた。さまざまな物資が運ばれたが、なかでも塩はここで詰め替えられ、「足助塩」「足助直し」と言われていたという。

そんな足助の町並みは、足助川の谷筋に沿う段丘上に広がっているのが特徴だ。街道沿いの家は、短冊状の敷地に主屋を間口いっぱいに建て、その背後に離れ座敷や土蔵を配置。限られた敷地を利用するため、切土や盛土による造成地や石垣の上に建てられるなどしたことが、独特の景観を作り出している。現在は江戸時代後期から明治後期までに建てられた建物が多く残る町並みを見ることができる。

今回は、2011年に愛知県で初めて国の重要伝統的建造物保存地区(略称:重伝建)に選定された足助の町並みの魅力と、町づくりについて迫りたい。

平入と妻入の町家が混在することで変化のある景観に

足助地区は、1775年(安永4年)の大火によって大部分が消失し、その後に復興した町並みが今の礎となっている。漆喰塗り2階建ての町家で、防火を意識した瓦ぶきが普及し、屋根が急こう配になっている。そんな江戸時代後期から明治末までに建てられた建物が残るなか、大正期~戦後も伝統的な町家を踏襲することが多く、それが、現代までこの景観が保たれてきた大きな一因だという。

街道沿いの町家を詳しく見ていくと、通りに対して屋根の棟が平行な「平入」と、通りに対して屋根の棟が垂直になっている「妻入」と呼ばれる町家が混在。簡単に言うと「平入」は屋根が直線状、「妻入」は屋根が三角形で、それが景観に変化を生みだしている。また、1階部分に木製格子があり、2階の漆喰の壁に格子を塗り固めた虫籠窓(むしこまど)という窓など、江戸時代の趣を感じる特徴を見ることができる。

もうひとつ、川沿いの建物の造りも特徴的だ。足助川沿いでは、川岸に石垣を築き、座敷などが川にせり出すようになっている。そして、川に降りられる石組み階段を備える。

(左上)手前が平入2階建ての町家。奥が妻入の家屋(左下)川沿いの家</BR>(右)街道脇の小路では、短冊状の敷地で奥に長い建物の様子を見られる。</BR>写真はマンリン書店の脇に伸びる道であることから、マンリン小路と呼ばれているところ(左上)手前が平入2階建ての町家。奥が妻入の家屋(左下)川沿いの家
(右)街道脇の小路では、短冊状の敷地で奥に長い建物の様子を見られる。
写真はマンリン書店の脇に伸びる道であることから、マンリン小路と呼ばれているところ

錣葺(しころぶき)形式の旧鈴木家住宅

古い家々が残るなか、2013年に重要文化財に指定されたのが、商家であった旧鈴木家住宅だ。1,230坪という広大な敷地に16棟の建物が並んでおり、重要文化財のなかでもこれだけの建物があるのは珍しいという。

軒高の低い主屋(おもや)は足助では最も古い町屋の一つとされ、大火の翌年、1776年に建てられたもの。上屋根と下屋根にわずかに段差をつけた錣葺(しころぶき)形式といわれる造りで、大火前の構成を伝える可能性が高いとされる貴重なものだ。

なお、現在は大規模な修理中で、部材を一度解体し復原作業をしている。そのため、残念ながら通常は見学することができない。だが、紅葉など観光シーズンには修理中の様子を見学できる日を設けることがあり、修理中の重要文化財を見られるまたとない機会だ。

写真左側上下が修理前の旧鈴木家住宅。上の写真に見えるのが錣葺形式の主屋。写真右側上下は現在の修理中の様子</BR>(写真提供:豊田市教育委員会 文化財課)写真左側上下が修理前の旧鈴木家住宅。上の写真に見えるのが錣葺形式の主屋。写真右側上下は現在の修理中の様子
(写真提供:豊田市教育委員会 文化財課)

住民主導で始まった町並み保存運動

豊田市教育委員会 文化財課 足助町並み整備担当の足立公平さん豊田市教育委員会 文化財課 足助町並み整備担当の足立公平さん

今回、足助町についての取材に協力してくれたのは、豊田市教育委員会の足立公平さん。足助の町並み整備を担当している。古い町並みが残った歴史について聞くと、
「もともとは伊那街道沿いに物流の拠点として発展した町ですが、バイパスなど新しい時代の主要となる道が足助を通る伊那街道を改めるのではなく、周辺にあらたに造られたことで、商家町としては大きな影響がありましたが、逆にそれが町並みが残った一因とも考えられます」と教えてくれた。
そこからどのような保存がされたのだろうか。

「日本が高度経済成長期に入り古い町並みが壊されていくと、保存しなければいけないという運動が昭和40年代から始まったようです。足助でも早い段階でその動きが始まり、1975(昭和50)年に住民の有志の方で『足助の町並みを守る会』が発足しました。1978(昭和53)年には、『第1回全国町並みゼミ』を名古屋市有松と足助で開催ました。『足助の町並みを守る会』の取り組みとしては、1977(昭和52)年に大正元年に建てられた銀行の建物が空き家になり、取り壊す計画が持ち上がりましたが、歴史的価値が高いのでそのまま活用しようと声をあげ、今では資料館となっています。この運動が盛んになった時も重伝建にという話があったようですが、そうなると補助金がもらえる代わりに規制もあり、規制についての地区住民の合意が十分でないことや、財政的な負担のことから重伝建選定を断念し、自分たちの手で町並みを守っていこうとなりました」。

以降、町並み保存は展開されていったが、次第に保存する難しさも感じるように。「そんなときに文化庁の担当者に町並みを見ていただき、重伝建選定を視野に入れた指導・助言をいただいたようです。それで再度調査をし、これからは重伝建の制度の中で守っていこうとなりました」。

そこには少し問題もあった。「重伝建制度への共通理解が十分ではありませんでした。例えば、雨漏りだけを修理できるかというとダメで、思っていたのとは違うじゃないかと」。

現在では、足助伝建ガイドラインという冊子を作り、補助制度やリフォームプラン例などをわかりやすく紹介している。また町並み景観相談会を月に2度ほど開催。町並みだけでなく、外観を変えたり、看板をつけたりと、景観が変わる場合にはこの相談会で相談してもらうようにしている。

「重伝建に理解のある方のなかでも、江戸時代の建物ばかりではなく、いろいろな時代の建物があってもいいのではという意見もあります。重伝建の制度のなかで、足助らしい町並みを残す難しさがあると思います」。

古い町並みを町の活性化につなげるための今後の課題とは

(写真上)香嵐渓の紅葉。東海エリアを代表する紅葉の名所として親しまれている</BR>(写真下)毎年2月上旬から3月上旬に足助町で開催される、中馬のおひなさん</BR>(写真提供:足助観光協会)(写真上)香嵐渓の紅葉。東海エリアを代表する紅葉の名所として親しまれている
(写真下)毎年2月上旬から3月上旬に足助町で開催される、中馬のおひなさん
(写真提供:足助観光協会)

「重伝建となっても、観光地化するというのではなく、あくまでも住民の方が生活する場です。ただ、足助には観光名所の香嵐渓があり、重伝建の町並みのなかにあるお店が減少している状況でもありますので、観光客の方に来ていただいて、活気のある町並みになればと考えています」と足立さん。

前項で紹介した、重要文化財の旧鈴木家住宅は、2019年から部分公開となるが、修理が全て終わるのは2023年予定とまだ先だ。「今は委員会を作り、どのように公開したらいいかを検討しています。そのほかにもこれから公開しようとしているところがあり、どこにどのような機能を持たせて町づくりをしていくかを考えなければなりません」。

観光シーズン以外にも訪れてもらえる活気があり、住む人にとっても魅力のある町づくりは、全国的な課題であり、足助町も例外ではない。「伝建かわら版」というニュースペーパーを隔月で発行するなど、重伝建の町並みについて地元の人々に対する取り組みをしながら、一つ一つ進めている状況だ。難しい課題を乗り越え、自然の豊かさと歴史を感じる建物をより多くの人が楽しめることを願う。


取材協力:豊田市役所 文化財課 足助支所
参考URL:http://www.toyota-rekihaku.com/bunka/12_asuke/f_asuke.html

2017年 03月14日 11時05分