ル・コルビュジエの弟子・坂倉準三が設計した、日仏の文化交流施設

日仏の文化交流施設として65年の歴史を刻む「アンスティチュ・フランセ東京」(旧東京日仏学院)。フランス政府の公式機関で、フランス語講座の開講のほか、フランス映画の上映、コンサート、演劇・ダンス、展覧会、さらには講演・討論会など、さまざまな文化イベントが開催されている。語学を学ぶ生徒以外でも自由に入場できるという開かれた施設であることも特色だが、建物見学に訪れる建築関係者も少なくない。

1951年に建てられ、鉄筋コンクリート造り3階建て。設計は坂倉準三。
フランスが生んだ近代建築の巨匠、ル・コルビュジエに師事した建築家だ。フランスと深い絆をもつ建築家が創り出した建物が、今も日仏の交流に重要な役割を果たしていることを想うと感慨深い。

高台に建つ「アンスティチュ・フランセ東京」。1952年に東京日仏学院として創立された
</BR>2012年9月にフランス大使館文化部、横浜日仏学院、関西日仏学院、九州日仏学院と統合。それに伴い、「アンスティチュ・フランセ日本」の東京支部という位置づけになり、名称も変わった高台に建つ「アンスティチュ・フランセ東京」。1952年に東京日仏学院として創立された
2012年9月にフランス大使館文化部、横浜日仏学院、関西日仏学院、九州日仏学院と統合。それに伴い、「アンスティチュ・フランセ日本」の東京支部という位置づけになり、名称も変わった

「シャンピニオンの柱」が特徴的な建物

「アンスティチュ・フランセ東京」は東京・飯田橋にある。「逢坂」というやや急な坂道に入ると、その建物が見えてくる。大きくせり出した屋根とバルコニーの柱は、柱頭が逆円錐状に広がる独特の意匠。壁の白と柱の青のコントラストも特徴的だ。

「柱がキノコのような形をしているので、私たちは『シャンピニオン(フランス語でキノコの総称)の柱』と呼んでいます。シャンピニオンの柱は、教室など館内のところどころに配されていて外観との統一感が図られていると思います。坂倉準三がなぜこのような形の柱を用いたのかは記録が残っていないので、わかりません。ただ、張り出し屋根やバルコニーなどを支える部分に用いているのは、日本が地震の多い国であることを考慮して、シャンピニオンの上部、上に大きく広がった部分で建物を支えられるように、と考えたのではないかともいわれています」と、「アンスティチュ・フランセ東京」広報の山下沙耶佳さんは話す。

「アンスティチュ・フランセ東京」の始まりは、第二次世界大戦の終戦からまもない1949年のこと。日仏会館(1924年設立の財団法人)によって東京都に語学学校「東京日仏学院」の開設申請が出され、翌1950年に許可が下りた。かつて相馬男爵が所有していた土地に建てられたという。

「なぜ、この場所が選ばれたのかは、記録が残っていないのでわからないのです」と、山下さん。坂倉が設計・建築を任された経緯も不明というが、ル・コルビュジエの門下生であり、1937年のパリ万国博覧会日本館の設計で建築部門グランプリを受賞した経歴などが評価されたであろうと想像はできる。

坂倉が建築家を志してフランスへ渡ったのは、東京帝国大学(現・東京大学)文学部美学美術史学科卒業後の1929年。フランスの専門学校で建築の基礎を学び、ル・コルビュジエのアトリエには1931年から1936年まで勤務した。いったん帰国し、その後、前述のパリ万博日本館の設計のため、再び渡仏。その日本館の仕事がグランプリを受賞したことで国際的に高い評価を受けたのだった。

そうしてフランスから帰国後、1940年、東京に坂倉建築事務所(現・坂倉準三建築研究所)を設立。その後、戦時中の時期を経て終戦となり、本格始動となった作品のひとつが当時の「東京日仏学院」の建物だった。ちなみにほぼ同時期、坂倉が手がけた大きなプロジェクトが、神奈川県立近代美術館の建築である(1951年11月竣工)。

上左)1970年代半ば頃の東京日仏学院(写真提供:アンスティチュ・フランセ東京)</BR>上右)かつての図書室は1995年に改修され、「メディアテーク」という資料室に。</BR>その一角には、1952年創立当時の建物の模型が置かれている</BR>下左)バルコニーの「シャンピニオンの柱」が印象的</BR>下右)中庭から建物を見る。L字型の建物の折れ曲がり部に付設して塔が建っているが、その内部の構造は「二重のらせん階段」上左)1970年代半ば頃の東京日仏学院(写真提供:アンスティチュ・フランセ東京)
上右)かつての図書室は1995年に改修され、「メディアテーク」という資料室に。
その一角には、1952年創立当時の建物の模型が置かれている
下左)バルコニーの「シャンピニオンの柱」が印象的
下右)中庭から建物を見る。L字型の建物の折れ曲がり部に付設して塔が建っているが、その内部の構造は「二重のらせん階段」

塔の中は、珍しい構造の「二重のらせん階段」

東京日仏学院の建物は1950年12月に工事が開始された。複数の教室、ホール、事務所、学院長の居住スペースといった構成で設計され、1951年5月完成という計画だった。だが、当時は朝鮮戦争の影響を受け、物価が高騰していた時代。建設資材が不足し、ホール建設を断念するにいたった。設計案の見直しを経て、建物が完成したのは当初の予定より4ヵ月ほど遅れての1951年9月のこと。開校は1952年1月16日。開校式には高松宮殿下、当時の首相・吉田茂、駐日フランス大使・デジャンらが出席し、盛大に行われたという。

4つの教室に学生約200人でスタートした東京日仏学院は、日本の高度成長期の波に乗るかのように生徒数が増えていった。1960年には生徒数は約2850人と開校時の10倍以上にもなっていたという。1964年の東京オリンピックを控えていた時代であったことも、フランス語学習者の増加につながったのだろう。

そうして1960年から1961年にかけて、建物の拡張工事が行なわれた。この増築を手がけたのも坂倉だった。教室の数を増やし、図書室を2階に移すといった語学学校としての充実を図ったほか、創設時に実現できなかった多目的ホールを新設。この多目的ホールの完成で、東京日仏学院は映画の上映、コンサート、講演会などを開催することが可能になった。坂倉によって、東京日仏学院の文化交流施設としての形が整えられたといえるのだろう。

そんな坂倉の東京日仏学院における仕事を、端的に伝えている場所がある。L字型に配置された建物全体の中央に位置する塔だ。この塔の中は二重のらせん階段になっていて、「構造的に非常に珍しいものです。世界にはここと、フランスにあるシャンボール城にしかないと聞いています」と、山下さんは言う。

扉を開けると、左側に階段があるのはすぐにわかるのだが、よく見ると、右側の壁の向こう側にも裏階段がある。不思議な二重構造なのだが、「開校当時はこの塔に学院長の居住スペースがあったため、生徒さんが教室へ行くために使う階段と、自分の部屋に行くためのプライベート用の裏階段の2つに分けて作ったのではないかといわれています」と、山下さんが教えてくれた。筆者も2つの階段を通ってみた。一般用の階段では貝殻の中に迷い込んだかのような楽しい錯覚を感じ、裏階段も明るめの洞窟を探検しているような愉快な気分になった。

こうした創設時につくられたものを土台に、改修、改装を重ねながら今にいたっている。

左)塔の中に入ると、目に入ってくるのが一般用の階段。奥の半月型の部分が裏階段への入口</BR>右上)一般用階段を見下ろす</BR>右下)裏階段は一般用階段とは異なり、装飾性がほとんどなくてシンプルな印象左)塔の中に入ると、目に入ってくるのが一般用の階段。奥の半月型の部分が裏階段への入口
右上)一般用階段を見下ろす
右下)裏階段は一般用階段とは異なり、装飾性がほとんどなくてシンプルな印象

歴史ある建築物を活かしながら時代のニーズに合わせて改修

坂倉による増築ののち、館内が大きく変わったのは、1994年から2001年にかけての頃だ。21世紀を迎えるというターニングポイントの時期に東京日仏学院の改修、改築に関わったのは、横浜を拠点に活動する建築設計事務所の「みかんぐみ」。メンバーのひとり、フランス人建築家のマニュエル・タルディッツが指揮をとり、多目的ホールの映画館への改修、1階受付の改修、コンピュータの導入に伴う図書室の改装・改築などが行なわれた。

多目的ホールを映画館に全面改修したことで、多様なフランス映画を日本に紹介することが、東京日仏学院の文化活動の核になった。開校以来、東京日仏学院へは哲学者、作家などフランスを代表する多くの文化人が訪れ、講演などを行なっているが、多目的ホールが映画館となった1990年代半ばからは映画監督や俳優ら映画人の登場が増えている。

そして、21世紀に入り、2004年にはスイス、フランス、日本で活躍するデザイナーのクラウディオ・コルッチによって1階エントランスホールとカフェが改装された。斬新な色彩感覚で知られるコルッチとあって、赤い色などが大胆に使われている。そんなエントランスホールでは、筆者が取材に訪れたときにはコンテンポラリー・アートとデジタル・アートをテーマにした展覧会が開催されていた。

「この建物はフランス語を学ぶ生徒さんと先生、文化イベントに足を運んでくださる方々が集まり、フランスを軸にしたコミュニティが生まれる場です。そんなコミュニティをより活性化させるためにも、最前線で活躍するアーティストの作品を紹介するという取り組みを、今後も続けていきたいです。それは、この建物をより魅力的にすることにもつながると思います」と、山下さんは語る。

上左)取材時、1階エントランスホールでは「ポールという名のロボット」と題したインスタレーション作品展が開催されていた</BR>上右)フランスに関する7万5000タイトル以上もの資料を所蔵し、60種類の新聞・雑誌、現代文学、絵本、CD、DVDなどを揃えるメディアテーク。室内奥にある木製の本棚とはしごは、東京日仏学院創立当初から残るもの。</BR>戦後の日本は木材も職人も不足していたため、フランスに特注し、現地から船で届けられたものという</BR>下左)取材に対応してくれた広報の山下沙耶佳さん(左)と、インターンのエマニュエル・ビュローさん。</BR>ビュローさんはフランス人だが、生まれも育ちも日本で、「日本は私のふるさと」と話してくれた</BR>下右)数々の文化イベントで、「フランスの今」を発信。</BR>写真は「音楽の日」イベントでのコンサートの様子(写真提供:アンスティチュ・フランセ東京)上左)取材時、1階エントランスホールでは「ポールという名のロボット」と題したインスタレーション作品展が開催されていた
上右)フランスに関する7万5000タイトル以上もの資料を所蔵し、60種類の新聞・雑誌、現代文学、絵本、CD、DVDなどを揃えるメディアテーク。室内奥にある木製の本棚とはしごは、東京日仏学院創立当初から残るもの。
戦後の日本は木材も職人も不足していたため、フランスに特注し、現地から船で届けられたものという
下左)取材に対応してくれた広報の山下沙耶佳さん(左)と、インターンのエマニュエル・ビュローさん。
ビュローさんはフランス人だが、生まれも育ちも日本で、「日本は私のふるさと」と話してくれた
下右)数々の文化イベントで、「フランスの今」を発信。
写真は「音楽の日」イベントでのコンサートの様子(写真提供:アンスティチュ・フランセ東京)

現代アートで彩られた教室

フランスの現代アートは、教室の中でも見ることができる。16室の教室の壁は、部屋ごとに異なるアート作品で彩られているのだ。2012年、創立60周年の記念プロジェクトとして16人のフランス人アーティストが思い思いに描いたアート作品という。壁一面が斬新なアートに溢れた教室というのも、フランス文化発信の施設らしい遊び心の現れといえるだろう。そして、それらの教室空間のアクセントになっているのは、坂倉が設計した「シャンピニオンの柱」。65年もの歴史ある建物に、新しい生命が吹き込まれているようにも感じた。

開校時の建設から65年が経過し、建物の老朽化が進んでいるため、改修兼増築が計画されているというが、これからも建物として現役であり続けていくことには変わりはない。

坂倉は、前述の神奈川県立近代美術館というモダニズム建築の傑作を残しているが、2016年3月31日で美術館は閉館となってしまった。また、日本の高度成長期に東京・渋谷駅周辺などの再開発計画に関わり、数々の施設を設計している。しかし、渋谷の東急文化会館など、姿を消してしまった坂倉作品もある。

そんななかでこうして建物が残り、使われ続けている。それはとても貴重なことだと思う。

■取材協力
アンスティチュ・フランセ東京
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/

※参考資料
『教室の中のアート フランス、モダンアートの16人』(東京日仏学院・編/集英社インターナショナル発行)

上左)創立60周年の記念プロジェクトで教室の壁に描かれたアート。写真はジャン=リュック・ヴィルム―トのオブジェ作品。木製の掛け時計と、それを取り囲むのは8Bの黒鉛筆で描かれた直径2.4mの同心円</BR>上右)同じく創立60周年記念の際に描かれた教室アートで、イザベル・ボワノが墨とアクリルで描いた壁画。</BR>フランスと日本の出会いを描いたという</BR>下左)中庭には、フレンチレストラン「ラ・ブラスリー」がある。</BR>ワイン・セミナーなど、フランスの食文化を紹介するイベントも開催されている</BR>下右)毎年夏に開催される「パリ祭」(写真)や春に開催の「フランコフォニーのお祭り」には、大勢の人たちでにぎわう</BR>(写真提供:アンスティチュ・フランセ東京)上左)創立60周年の記念プロジェクトで教室の壁に描かれたアート。写真はジャン=リュック・ヴィルム―トのオブジェ作品。木製の掛け時計と、それを取り囲むのは8Bの黒鉛筆で描かれた直径2.4mの同心円
上右)同じく創立60周年記念の際に描かれた教室アートで、イザベル・ボワノが墨とアクリルで描いた壁画。
フランスと日本の出会いを描いたという
下左)中庭には、フレンチレストラン「ラ・ブラスリー」がある。
ワイン・セミナーなど、フランスの食文化を紹介するイベントも開催されている
下右)毎年夏に開催される「パリ祭」(写真)や春に開催の「フランコフォニーのお祭り」には、大勢の人たちでにぎわう
(写真提供:アンスティチュ・フランセ東京)

2017年 04月26日 11時05分