大正時代の町家をクリエイター向けの“共同アトリエ”に
京都、大阪それぞれの中心部から20kmほどに位置する大阪府高槻市。淀川と西国街道が通過するこの街は、古くから流通の拠点として発展してきた。江戸時代に3万6千石の城下町として栄え、今も町名や曲がりくねった道にその面影を残す。
その旧城下町の一角で町屋再生によるプロジェクトが進行中である。舞台は高槻市城北町に佇む築116年の元酢醸造所。大正時代に建てられた町家をクリエイター向けの共同店舗・共同アトリエにリノベーションするものである。その昔、福寿酢という商品が人気だったことから「福寿舎(ふくじゅや)プロジェクト」と名付けられた。
目的は、築100年以上もの町家を保存し、次世代につなげていくこと。そして、食・工芸・デザインなどの「高槻ブランド」が継続的に生まれる環境を提案することだという。
福寿舎のオープンはこの9月。とはいっても、ここまでの道のりは決して平坦ではなかったようだ。
この町家のオーナーであり、不動産業を営む株式会社 福島屋の永井孝夫社長と、企画からこのプロジェクトに携わる株式会社HLC 石川秀和代表にお話を伺ってきた。
町家の景観を残し、利活用を考える
「縁あって遠い親戚筋から受け継いだ町家。10代目で途絶えた福島屋は、かつて酢の製造とお酒の販売で栄えたところでした。この建物をどう生かせばいいのか?」
サラリーマンを勤めあげ、シニア起業で『福島屋』という屋号を復活させた永井社長はいろいろ思案したという。
「老朽化した町家は、ビー玉が転がる状態だったんです。何をはじめるにしても、保存のための改修費用はそれなりに大きくかかる。しかも、利用者がいなければ、資金回収もできずビジネスとしては成り立ちませんからね。いっそのこと、ぶっ潰してマンションにしなはれ…とアプローチされることもあって。そりゃ、迷いましたよ」
同じ城北町1丁目にある横山医院と一緒に「登録有形文化財にしてはどうだ」という話もあり、その歴史的景観としての価値を再認識したという。
「潰してしまうのは簡単だけど、再現するのはとても難しい。なんとか保存する方向で、事業をできないか?と模索した」と永井社長は話す。
そんな時、リノベーションコンサルタントである石川代表が企画・運営する京都・五条の「つくるビル」を訪問。築50年の古ビルに若い作り手たちが集まり、アトリエやショップとして運営する様子が目に留まる。
石川代表から、「資産運用プラス、まちづくりに参画できるソーシャルビジネスを考えてみませんか」という提案を受け、アーティストやクリエイターが集まる共同アトリエの構想が描かれていった。
「ものをつくる人の場をつくる」ソーシャルビジネスを
「実はね、本当にアーティストが集まるんかいなと疑問視していたところがあったんです。文化的なものが、はたして経済に貢献するのだろうか…と。だけど、石川さんは『この場所には、若い人を惹きつける強みがある』と言ってくれた。そうであれば、ビジネスとしても成り立つんじゃないかと考えたわけです」と、永井社長。
社会的な利益も考えた時、とにかくやってみる価値はあると確信したところから
福寿舎プロジェクトは動き出す。
『ものをつくる人の場をつくりたい』という民間版インキュベーションの事業計画が認められ、大阪府経営革新計画認定企業となる。こうして、気になる改修資金の融資目途が立った。
不動産業としては、かなり珍しいケースだという。
木造耐震診断の専門家と神社・仏閣の修繕に携わる工務店に老朽化した町家をくまなく診てもらったところ、「改修可能」というGOサイン。
耐震補強のことを一番に考えると、建物に筋交いを入れ、耐力壁を増やすことが必須。結果的に12部屋プラス共用スペースとなり、ギャラリーにちょうどよい大きさとなる。
入居者の一人ひとりがコンテンツ
同プロジェクトの特徴のひとつに、「アーティストやクリエイターの入居審査」がきびしいことがある。
「これは石川さんから受けたいろいろなアドバイスのひとつでもあるんですけどね。ビジョンを持ち、将来、羽ばたいていける人かどうか面談させてもらっています。趣味の延長線で“ちょっとお店をやってみたい”という動機だけでは、続かないと思うんですよ」と、永井社長。
内装の完成を待たず、すでに5人の作り手が出店の契約済みで、今までに倍以上もの人が面談に訪れたという。
これは、入居者の一人ひとりが大切なコンテンツであり、その集合体が福寿舎のイメージや
“高槻ブランド”を創っていくという考えからだ。
点が面になった時、まちの賑わいが生まれる
福寿舎プロジェクトでは、アートイベント、工事現場見学会、まちあるき、マルシェなど完成まで様々なイベントを開催している。
「高槻には、大阪でも京都でもない独自のマーケットがあります。本屋やカフェ・飲み屋など文化的なインフラも成熟しており、若者たちにとっても魅力的なまちです」と、石川代表。古い建物からお祭りを創っていこうというコンセプトは、自ら手がけた「つくるビル」の京都・五条界隈で起きた事象などからも確信があった。
点を面で想像できるようになった時、まちの変化に気づくのだという。
工場現場見学会を兼ねた「開き家(あきや)」は、入居予定者をふくめ複数のアーティストやクリエイターがブースを開く。
福寿舎を訪れる人たちや、出店者同士の横のつながり、大家さんや大工さんなどプロジェクトに関わる人など“顔の見える関係”が、さまざまな相乗効果を生み出している。イベント出店を機に、東京からの移住を決心したアーティストもいるそうだ。
昔ながらの原風景を残しつつ、高槻の新たな魅力をつくり、発信していく福寿舎プロジェクト。これからの展開がますます楽しみである。
取材協力: 福寿舎 http://fukujuya-takatsuki.com/
2015年 06月20日 10時53分