2006年、静岡県熱海市は「熱海市財政危機宣言」を出した。この時点の熱海市の連結財政赤字比率(一般会計収入の標準額に対する、公営事業を含んだ全会計の赤字額の割合を示す)は30%超で全国ワースト6位。いつ財政破綻して第2の夕張になってもおかしくない状況だったのだ。それから20年。熱海市はどう変わったのか。地域は再生されたのか。特にこの10年にフォーカスをあて現場で聞いてきた。

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20年前の市長選が熱海再生のきっかけだった

2026年、市長選挙の直前の熱海。平日だというのに賑わっていた(筆者撮影)2026年、市長選挙の直前の熱海。平日だというのに賑わっていた(筆者撮影)

2026年9月、現職の齊藤栄市長が新人候補に大差をつけて6期目の当選を果たした。20年前の2006年に前市長を破った時にはわずか62票の僅差だったことを考えると、この20年間の齊藤市政は広く支持されてきたようである。

その熱海市の20年間を見る前に、まずは熱海市そのものと低迷の時代について簡単に振り返っておこう。

熱海の歴史と低迷の時代

火山国日本は同時に温泉大国でもあり、道後温泉(愛媛県)のように3000年以上の歴史を持つと言われる温泉すら存在する。そのうちでも静岡県の熱海温泉は神奈川県の箱根温泉と並んで首都圏では人気が高い。熱海の場合、新幹線利用なら東京駅から30~40分。二拠点居住の地として選ぶ人がいるのも分かるほど首都圏のすぐ近くにある温泉地なのである。

2026年、市長選挙の直前の熱海。平日だというのに賑わっていた(筆者撮影)熱海の湯は温度が高く、湧出量が豊富なのが特徴。写真は駅のすぐ近くにある共同浴場。市内には宿泊しなくても入浴できる施設も(筆者撮影)

昭和30~40年代には新婚旅行先として熱海は大流行。同時に企業の社員旅行先としても選ばれるようになり、ホテルや旅館は大型化が進んだ。団体でやってきて大広間で宴会という旅のスタイルが主流の時代だった。

だが、その後のバブル崩壊で社員旅行に代表される団体旅行から家族、個人主体の個人旅行へと旅のスタイルは大きく変化した。大型化したホテルや旅館は方向転換ができず、廃業が相次ぐことに。それに伴い、熱海の基幹産業である観光業からの税収が大幅にダウン。ホテルや旅館のみならず、市内に立地していた数百件の企業の保養所などの閉鎖も相次ぎ、そこからの固定資産税減も市には痛かったはずだ。
 
転換できなかったのはホテル、旅館だけではない。税収の減る中、多額の不良債務(赤字)を抱えた熱海市もまた、赤字の原因となっていた水道料金などの公共料金改定や事業のスリム化を図ることができず、借金は増えるばかりだった。市役所の職員数や規模についての見直しも行われず、公共事業の見直しも同様だった。その結果が2006年の「熱海市財政危機宣言」であり、それを受けて起こった変革が僅差での新市長選出である。

財政再建と世代交代が同時に進行、熱海に変化が生まれ始めた

齊藤氏は市長に就任後、最初の任期である4年間で財政改革に取り組んだ。市役所の人員整理なども含む人件費カットや公共料金の見直し、緊急性のない大型事業の凍結などコスト削減を断行。結果、熱海市の財政調整基金残高は5年間で17.4億円増加、不良債務残高は逆に約24.1億円減少しており、財政的にはV字回復を果たしたといえる。

財政改革と同時に観光地熱海復活に向けての布石も着々と打たれた。2007年には熱海市観光基本計画を策定、2009年には熱海の目玉観光施設である熱海梅園のリニューアルを行い、2010年には長浜海浜公園休憩施設「うみえーる長浜」がオープンしている。

また、市長選後には街の世代交代も進んだ。一般に古い街では世代交代はなかなか進みにくい。権力には手放しがたい魅力があるのだろう。だが、熱海ではその時期には世代交代がうまく進んだ。頂点からどん底への振り幅が大きかったのもあってか、観光協会や旅館組合、商店街その他の街の団体のトップの若返りが進んだのである。

新市長誕生前後には、市内でまちづくりを手掛けるNPO、市民活動もいくつか立ち上がっており、街全体が危機感を共有し、なんとかしなくてはと立ち上がった時期だったのだ。

熱海復活が始まった初期に大きな役割を果たしたもののひとつに来宮神社がある。折からの神社、ご朱印ブームもあって訪れる人が増えたのだ(筆者撮影)熱海復活が始まった初期に大きな役割を果たしたもののひとつに来宮神社がある。折からの神社、ご朱印ブームもあって訪れる人が増えたのだ(筆者撮影)
駅ビル開業前夜の熱海。人通りもまだまだ少なかった(2016年 筆者撮影)駅ビル開業前夜の熱海。人通りもまだまだ少なかった(2016年 筆者撮影)

第1期4年で財政再建にめどがついたことから、熱海市は齊藤市政2期目から市のプロモーションに取り組めるようになり、地元の神社や商店と組んだプロジェクト、まち歩きイベントなどと連携。2012年にはあたみ桜糸川歩道を整備、熱海ブランド「A-PLUS」を創設(熱海市商工会議所)、テレビのロケを呼び込む「ADさん、いらっしゃい」などの施策を次々に打ち出した。特に後者の施策は熱海のメディアでの露出を増やすことに大きな役割を果たした。

また、2013年の観光ブランドプロモーション「意外と熱海」、2016年の熱海駅新駅舎・駅ビルの開業のインパクトも大きく、2016年以降、熱海に注目する人は明らかに増えた。2011年に宿泊者数が底を打ち、上昇に向かい始めたのはこうした背景があったのだ。

熱海復活が始まった初期に大きな役割を果たしたもののひとつに来宮神社がある。折からの神社、ご朱印ブームもあって訪れる人が増えたのだ(筆者撮影)駅ビルの開業で駅前の雰囲気は大きく変わった(筆者撮影)

2010年代前半からの取組みが人気店を生み、若年層を呼んだ

熱海プリン。レトロなFん行の瓶入りで、その絵になるスタイルがあっという間に評判になった(筆者撮影)熱海プリン。レトロなFん行の瓶入りで、その絵になるスタイルがあっという間に評判になった(筆者撮影)

2017年には熱海といえば若い女性たちが必ず名を挙げるだろう名物「熱海プリン」がJR熱海駅近くに誕生した。初めてその存在を知った時には、なぜ、熱海でプリン?と思ったものだが、あっという間に行列店になり、今では市内中心部に6店舗を構えるほどに。

その後、2019年には熱海プリンと並ぶ行列店「熱海銀座おさかな食堂」がオープン。これもまた、若い人達を熱海に呼び寄せることになった。丼からはみ出さんばかりに盛られた海鮮が売りで、いわゆる映えるビジュアルが話題になり、翌年には熱海駅の平和通り商店街に「熱海駅前おさかな丼屋」が開業。現在では海鮮を売りにした店舗があちこちに点在。おさかな食堂系列店だけでも6店に及ぶ。これらの店舗の成功を背景に、熱海市中心部へはその他事業者の出店も相次ぐようになった。

熱海プリン。レトロなFん行の瓶入りで、その絵になるスタイルがあっという間に評判になった(筆者撮影)以前は海辺であるにも関わらず、魚を出す店は少なかったが、熱海おさかな食堂が成功したことから中心部では続々と海鮮を出す店が誕生している(筆者撮影)
話を伺った二見さんは老舗の干物屋さんの経営者。話を聞かせていただいた場所は昔の妓楼をクラファンなどを利用して再生した旧つたや内の肉豆富屋「松坂」(筆者撮影)話を伺った二見さんは老舗の干物屋さんの経営者。話を聞かせていただいた場所は昔の妓楼をクラファンなどを利用して再生した旧つたや内の肉豆富屋「松坂」(筆者撮影)

これらの店舗が生まれたことで熱海に昼間の楽しみ、回遊する楽しみが生まれた。2009年以来熱海のまちづくりに関わってきた二見一輝瑠さんは2010年代前半から熱海では昼間の過ごし方が課題とされてきたという。

「かつての団体旅行は夜の宴会を楽しみに来ているものでしたし、当時は食べ歩きという文化もあまりありません。そこで、せっかく熱海に遊びに来ていただいても昼間はお土産を買うような過ごし方になってしまう。また、地元の人達自体も地域の魅力に気づいていない。そこで活動初期には熱海を見直す、まちを歩いて楽しめるコンテンツを作ろうと街歩きなどを行っていました。レトロな純喫茶などを紹介、それは今も熱海観光のコンテンツのひとつになっています」(二見さん)

熱海プリン。レトロなFん行の瓶入りで、その絵になるスタイルがあっという間に評判になった(筆者撮影)熱海銀座商店街の中にあるレトロ喫茶パインツリー(2016年、筆者撮影)
熱海初のゲストハウスMARUYA。近所の干物屋さんの干物で朝ご飯が人気(2016年、筆者撮影)熱海初のゲストハウスMARUYA。近所の干物屋さんの干物で朝ご飯が人気(2016年、筆者撮影)

2009年には熱海のまちづくりのためのNPO法人atamista(アタミスタ)、続いて2011年にはまちづくり会社・株式会社machimoriが作られ、活動はソフトからハードへ。まずは若い人達に向けて回遊性を高めようと駅から少し離れた、当時は空き家が目立った熱海銀座商店を拠点に通り沿いにカフェRoCA(2012年)、ゲストハウスMARUYA(2015年)が作られた。関係人口を増やし、そこから店を出してくれる事業者を呼び込もうと考えたのである。

当初は10年くらいかかるのではないかと考えたそうだが、幸い、想定よりも早く、前述したような人気店が次々登場。温泉街という言葉から想定されるよりもはるかに若い人達が熱海に集まるようになった。

ちなみに熱海プリンもおさかな食堂も経営しているのは熱海出身者が創業した地域活性化カンパニー・株式会社TTC。熱海以外でも伊豆エリアを中心に日本各地でさまざまな地域ブランドを創出しており、伊豆半島では観光土産品のシェアトップという。

熱海プリン。レトロなFん行の瓶入りで、その絵になるスタイルがあっという間に評判になった(筆者撮影)右がゲストハウスMARUYA.道を挟んで反対側にあるのがカフェRoCA。現在はテナント2店が入り、奥はシェアオフィスとして使われている(筆者撮影)

この10年、大手資本が参入、ホテル建設続行中

マチモリ不動産の三好さん。撮影したのは二見さんと同じ、旧つたや内のヨルノアタミという夕方から開く雑貨店。街の案内もしてもらえるそうだ(筆者撮影)マチモリ不動産の三好さん。撮影したのは二見さんと同じ、旧つたや内のヨルノアタミという夕方から開く雑貨店。街の案内もしてもらえるそうだ(筆者撮影)

もうひとつ、この10年間ずっと続いている動きがある。それが大手資本の参入である。熱海に限らず、コロナ前から別府その他も含め、日本各地の温泉地などを中心にホテル建設計画が多数動いており、熱海でもかつての旅館跡地の土地取引が水面下で行われていた。

私は2017年に当時の路線価図を持ってマチモリ不動産(当時アタミスタ)の三好明さんと熱海を歩いているのだが、その時に熱海駅から少し下った、海岸近くの東海岸町の一角に路線価が周辺より明らかに上がっている一角を見つけた。行ってみると地盤調査が行われており、これは!と思って熱海市内の法務局に謄本を取りに行った。土地の登記簿謄本は地元の法務局に行けば誰でも取得できるのである。そこで分かったのはその土地が少し前に売買され、買ったのがビジネスホテル、リゾートホテルを展開している事業者・共立メンテナンスであること。

2026年3月、その地には全室に展望露天風呂があるという、これまでの熱海になかったホテル・ラビスタ熱海テラスが誕生した。2020年以降、熱海ではこれ以外にも複数の新しいホテルが相次いで誕生しているのだが、それらは実は数年から10年くらいの歳月をかけて用意され、現在姿を現しているのである。

マチモリ不動産の三好さん。撮影したのは二見さんと同じ、旧つたや内のヨルノアタミという夕方から開く雑貨店。街の案内もしてもらえるそうだ(筆者撮影)2016年時点では海沿いにこうした場所が転々とあり、寂れた雰囲気を醸し出していた(2016年 筆者撮影)
つたやホテル跡地で建設途中で止まっていた商業施設。現在はきれいなホテルになっている(2016年 筆者撮影)つたやホテル跡地で建設途中で止まっていた商業施設。現在はきれいなホテルになっている(2016年 筆者撮影)

そのうちでも個人的に変遷を感じるものとして挙げておきたいのは上記ホテルのすぐ近く、熱海サンビーチ沿いにあり、かつては熱海有数の知名度を誇ったつるやホテル跡地に建つ熱海パールスターホテル(2022年9月開業)、同じく老舗旅館玉乃井本館跡地のヴィラージュ熱海(2026年8月開業)、そして2023年7月にリニューアルオープンしたホテルニューアカオである。

つるやホテル跡地は2001年の廃業後しばらくそのままで放置された挙句、商業施設になる予定で途中までは建設されたものの、さらにその後も放置が続いたいわくつきの場所。しかし、それが再度賑わうようになったと考えると、熱海の栄枯盛衰を体現した場ともいえる。

玉乃井本館は2008年に閉館した創業150年ほどとも言われる老舗旅館で、跡地は近年駐車場として活用されてきた。中心部の一等地が空き地となる状況から脱したと考えると、これまた熱海の変化の象徴のようだ。

マチモリ不動産の三好さん。撮影したのは二見さんと同じ、旧つたや内のヨルノアタミという夕方から開く雑貨店。街の案内もしてもらえるそうだ(筆者撮影)2026年8月に開業したヴィラージュ熱海。駐車場になった後、再生された(筆者撮影)
写真左手に見えているのがホテルニューアカオ。レトロな雰囲気が受けている(筆者撮影)写真左手に見えているのがホテルニューアカオ。レトロな雰囲気が受けている(筆者撮影)

最後に挙げたホテルニューアカオは名勝・錦ヶ浦の断崖に建つ大型ホテルで1973年に開業。2021年に営業を終了したが、建物は外資系の投資ファンドに売却され、レトロな趣きを活かして2023年に営業を再開した。10年前、20年前にはダサいとされた昭和の趣が1周回って新鮮になった令和だからこそあり得たと考えると熱海は時代の変化を先取りしていたともいえるかもしれない。

さらに海沿いの飲食店街・渚町では長年放置されてきた飲食店ビル・丸源61ビルがようやく解体、建て替えられるという。前述の熱海銀座商店街の入り口でもホテル建設が進むなど他にもいくつか計画があり、ホテル建設ラッシュはまだしばらく続きそうである。

マチモリ不動産の三好さん。撮影したのは二見さんと同じ、旧つたや内のヨルノアタミという夕方から開く雑貨店。街の案内もしてもらえるそうだ(筆者撮影)渚町でながらく放置されていた丸源61ビル。以前は飲食店が入っていたが、ホテルとして再生される(筆者撮影)

コロナ以降、観光は右肩上がり、土地価格も大幅アップ

平和通り商店街の賑わい。最近はいつでもこんな状況が続いている(筆者撮影)平和通り商店街の賑わい。最近はいつでもこんな状況が続いている(筆者撮影)

こうした変化を受け、熱海市の観光は好調である。2011年に236万人だった宿泊客数は以降反転、コロナ前の2019年には312万人にまで増加、その後2021年には153万人に落ち込むが、2025年にはコロナ前を上回る319万人に増えた。

複数の旅行、温泉関係サイトでの人気ランキングでも熱海は20位以上をキープしており、楽天トラベルの人気温泉地ランキングでは長らく1位を占めて来た。

それに伴い、家賃などの不動産価格も上がっている。2017年に街歩きをする際に資料として2007年の路線価図を参考にしたため、私の手元には2007年、2017年の路線価図があり、さらに2026年は現在Webで見られる。

熱海市内で一番地価の高い平和通り入口部分で比較すると20万5000円(2007年。1m2あたり)→22万円(2017年)→44万円(2026年)となっており、直近10年の値上がりの大きさがよく分かる。路線価は実勢価格より安く、公示地価の約8割ほど。そのため、実際の取引価格よりはかなり低いのだが、それでも上昇率としては参考になる。

参照:熱海市 (路線価図・町丁名索引) - 国税庁

平和通り商店街の賑わい。最近はいつでもこんな状況が続いている(筆者撮影)平和通り商店街と並行する仲見世通り商店街。10年前には人通りが少なく、平和通りとはかなり差があったが、現在は行列店もできて様変わりした(筆者撮影)
熱海銀座商店街でもホテル建設が始まっている(筆者撮影)熱海銀座商店街でもホテル建設が始まっている(筆者撮影)

また、2017年に10年前からの値下がりがもっとも大きかった海沿いの飲食店街・渚町の路線価は最安値で7万円台だったのだが、そこが10年後の今、路線価レベルでも10万円以上である。売買事例では3.3m2単価で300万円(!)という数字も出ているほど。借りようとする人のいない古い飲食店街がこの10年ほどで人気エリアに化けたのである。二見さん、三好さんたちが拠点としている熱海銀座商店街ももちろん、大きく変貌、空き店舗は10年以上前から無くなっており、行列店も軒を連ねる。10年前からすると風景は大きく変わった。

だが、と三好さんは疑問を挟む。

「観光地としての熱海という面だけで見れば再生されたのかもしれません。でも、熱海の課題はここ10年、20年、ずっと変わっていません」

熱海の基幹産業は今も昔も観光であることは間違いないのだが、それだけでよいのか。住む、暮らす街としてはどうなのか、課題はそこにある。

平和通り商店街の賑わい。最近はいつでもこんな状況が続いている(筆者撮影)熱海は空き家が多いにも関わらず、住宅が足りておらず、新築も計画があっても頓挫している例も(筆者撮影)

相変わらず住宅は足りない、観光以外の産業は育っていない

かつてはこうした共同浴場があって、家に風呂が無くてもさほど気にならなかったそうだ。この共同浴場も2020年に閉鎖された(2016年 筆者撮影)かつてはこうした共同浴場があって、家に風呂が無くてもさほど気にならなかったそうだ。この共同浴場も2020年に閉鎖された(2016年 筆者撮影)

10年前に訪れた時に課題として聞いたのは主に2点。ひとつは住宅が足りていないということ。2023年度の住宅・土地統計調査のデータによると空き家率は53.4%。2軒に1軒は空き家という計算だが、住める家は少ない。

いくつか理由がある。ひとつには特に中心部では風呂のない築古の物件が多いという点。かつては豊富な温泉湧出量を活かし、市内には共同浴場が多数あり、風呂無しでも問題はなかった。だが、共同浴場の少なくなった今、風呂無し物件が選ばれるかどうか。斜面地に建っている建物も多く、そうした立地も活用を拒む。

かつてはこうした共同浴場があって、家に風呂が無くてもさほど気にならなかったそうだ。この共同浴場も2020年に閉鎖された(2016年 筆者撮影)熱海は長崎や横須賀などと並ぶ坂のまち。そこに細街路となれば住宅の供給には厳しい条件(筆者撮影)
共同で所有されているビルなどが多く、上階が利用されていないように見える建物も見かけられる(筆者撮影)共同で所有されているビルなどが多く、上階が利用されていないように見える建物も見かけられる(筆者撮影)

ビルや集合住宅の場合には熱海独自の事情が活用の障害になっている。熱海では1950年4月に2度に渡る大火に襲われ、その復興時に多くのビル、集合住宅が共同で建て替えられた。区分所有建物が多く、所有者間での合意形成が難しいため、建替えが進まないのだ。

また、変化を嫌う高齢所有者も多く、空き家になっているように見えても情報は表に出てこない。熱海銀座商店街の場合には関係者に理解があったことから空き家が使われるようになってきたが、そうした理解のない場所では長年空いていても、周囲がいくら働きかけても空き家は動かない。

それがよく分かるのは駅前の、人気店が並ぶ通りにも廃業したまま放置されている店舗が並んでいること。行列店のすぐ脇に空き家。このコントラストの強さは他ではあまり見ないもので、見慣れない人には強烈な印象を与えるのではないかと思う。

熱海市では2026年度の予算でまちなか居住の推進のために新たな住政策調査分析経費を550万円計上しているが、今後の、分析後の施策推進に期待したいところである。

かつてはこうした共同浴場があって、家に風呂が無くてもさほど気にならなかったそうだ。この共同浴場も2020年に閉鎖された(2016年 筆者撮影)熱海駅に近いエリアでも行列ができている、人がいる場所とそうでないところは明確に分かれ、それが隣り合っている状況は外から見ると不思議(筆者撮影)

また、産業についても同様である。2021年の従業者数(事務所単位)経済センサス活動調査によると熱海市で雇用されている人のうち、宿泊業・飲食サービス業に従事する人は31.0%に及んでおり、全国平均の8.1%、静岡県平均の8.2%に比べて非常に多い。それ以外も含めて第三次産業従事者の8割を超える。基幹産業である観光業以外の産業が育っていないのである。

「2010年にリノベーションまちづくりの先駆者である清水義次さんに『若い人たちに不動産を貸す高齢者が増えたらまちは変わるよ』と言われたそうで、そこに期待をして活動を続けてきましたが、多少変化してきたところはあるものの、まだまだ、大きくは変わっていません。以前よりも土地や建物を手放す人が増えるなどの変化は出てきていますが、それが地域を変えるところまでは行っていません」(三好さん)

伊豆山、網代、多賀でもまちづくりが始まった

10年ひと昔という言い方がある。人間にとって10年はある意味一区切りといえるわけだが、残念ながら街にとっての10年はそれほど長くないらしい。外から見ると見た目は変わったが、中にいる人達からすると課題自体はそれほど変化しておらず、まだまだ、これからもやり続ける必要があるというわけだ。

とはいえ、いくつか、新しい兆しはある。

「以前はいかにも観光客向けの品を売る店の出店が目に付きましたが、最近では30代手前の若い人達が雑貨や古着など、観光客だけを見ているのではない店を出すようになりました。大手の進出もあり、この10数年ほど熱海に関わってきた立場からすると以前より熱海にも余白が無くなったと感じていますが、まだまだ余白がある、チャンスがあると感じてくれる若い人達が出てきているのは頼もしいことです」と三好さん。

階段の上の空き家を利用して誕生した古着店「静電気」。現在は近くの空き家を宿にしようと作業中とのこと(筆者撮影)階段の上の空き家を利用して誕生した古着店「静電気」。現在は近くの空き家を宿にしようと作業中とのこと(筆者撮影)
階段の上の空き家を利用して誕生した古着店「静電気」。現在は近くの空き家を宿にしようと作業中とのこと(筆者撮影)静電気内部。以前訪れた時よりも改装が進み、来訪者も増えていた(筆者撮影)

もうひとつは熱海の中心部だけでなく、伊豆山や網代、多賀などの周辺地域の近隣商業地域を中心に新しいプレイヤーが登場。ミニ中心市街地を作り始めているということ。

「網代では一般社団法人あじろ家守舎が廃校になった旧網代小学校を活用、人とまちを結ぶ交流拠点・AJIRO MUSUBI として2024年にオープンさせました。伊豆山でもまちづくりに関わる動きがあり、私たちも網代の動きをバックアップさせていただきました。今後も地域間で連携してこのエリア全体に関わっていこうと考えています」(三好さん)

活動を始めた2009年時点には熱海市の中心部だけでなく、あちこちで活動が起き、繋がっていくことを想定していたそうで、その意味では20年前の考えがきちんと形になりつつあるというわけである。

2025年に訪れた時に見学させていただいた改装中の現場。現在は広さを活かしてグループで泊まれる宿になっている(筆者撮影)2025年に訪れた時に見学させていただいた改装中の現場。現在は広さを活かしてグループで泊まれる宿になっている(筆者撮影)

個人的には2019年に三好さんが中心になって設立されたマチモリ不動産が工務店機能を備え、今後、建物の改修などに携わっていこうとしていることを頼もしく思っている。前述したように熱海のビル、集合住宅は建て替えには難を抱えている。このところの建築費高騰などを考えると、建て替えが難しい物件も多いと考えるとどうリノベーションしていくかが大事だが、地方ではそうしたリノベーションができる事業者は少ない。不動産的観点と工務店的観点、できれば建築的観点を備えて事業を進められる事業者がいれば、使われていない市中心部の空きビル、空き集合住宅を使えるものにできるのではないか。

それによって中心部の不動産がさまざまな形で使えるようになれば、そこに多様な暮らし方、働き方をする人達が入ってくる可能性も高まる。それが熱海の課題である住まいの供給のみならず、産業の多様性に寄与することになるのではないかとも思う。

もうひとつ、三好さんが言っていたように、現在は好調な観光地・熱海だが、その好況が熱海の実力なのか、世にお金が余っているための投資先としてとりあえず熱海なのかについては冷静に切り分けて考える必要があろう。大きな資本、社会の流れの変化は年々早くなっており、時にはあっという間に変わる。それに足元を掬われないようにすることも地域のこれからを考える上では大事だろう。

階段の上の空き家を利用して誕生した古着店「静電気」。現在は近くの空き家を宿にしようと作業中とのこと(筆者撮影)取材の最後に見かけた風景。まだまだ課題があるにせよ、熱海、すてきになっている気がする(筆者撮影)