68平方kmにノスタルジックな風景が点在。“まちそのものがテーマパーク”
人口5000人あまりの小さなまち、岐阜県恵那市明智町。JR中央本線の恵那駅から明知鉄道というローカル線に乗って名古屋から約1時間半の山間に『日本大正村(以後:大正村)』はある。
東海エリアには愛知県に『博物館明治村』、岐阜県に『日本昭和村』があり、大正村と合わせると時代を冠したテーマパークが3つ揃っている。
しかし、大正村がほかの2つと違うのは、“まちそのものがテーマパーク”になっているところ。大正村にはゲートも何もない。テーマパークだと思って訪れた人は、どこで入場料を払うのか戸惑うはずだ。
「入村料はいりません。明智町というまち全体が大正村なんですよ」
と大正村観光案内所の水野真理子さんはにこやかにまちを案内してくれた。
石畳のレトロな道の両脇には黒い羽目板の蔵と旧家が並ぶ。
「ここは『大正路地』と呼ばれる、昔の米蔵と呉服屋さんの蔵に挟まれた通りです。この黒い羽目板は桟を外すと土壁になって防火壁の役割をしてくれていたんです。今も大正時代のたたずまいを残した路地で、絶好の撮影スポットになっているんですよ」(水野さん)
そのまま坂道を登ると左手に見えてくるのが旧明智町役場をそのまま使った「大正村役場」だ。
明治39年に建てられた木造の洋館はとてもハイカラ。館内はレトロな電話や当時の生活を彷彿とさせるしつらえが残されていて、現在は観光客が立ち寄る休憩所として利用されている。
坂を登りきった先には堂々とした佇まいの洋館「大正ロマン館」が建つ。初代大正村村長を務めた女優・高峰三枝子氏と村議会議長・春日野清隆氏の記念館とし建てられたもので、大正モダンをイメージし平成6年に建築されたものだ。
ほかにも明治末期の建築でまちのシンボルともいえる「銀行蔵」と「大正の館」やノスタルジックな風景が残る「うかれ横丁」、地名の由来となった明智光秀由来の史跡などが点在する。
明治から大正の空気感が漂うのが明智町であり、このまちそのものもが「日本大正村」というわけだ。
明知鉄道廃線運動から“大正村構想”へ
これらの建物の管理などはすべて町民ボランティアの手で行われている。と言うより、ボランティアの手によって作られここまで続いてきたのが大正村だ。
今でこそ、“まちおこし”という言葉はよく聞かれるが、当時はまだそんな言葉すらなく、自分たちのまちの存続をかけた運動が大正村の立村であり、その結果、まちおこしに繋がったというのが正しいだろう。
そもそも大正村が立村した経緯はどんなものだったのか。水野さんに聞いてみた。
「明治や大正時代には製糸業で活気づいていて、当時は女工さんらがまちを闊歩していたと聞いています。それが昭和に入って産業が衰退。仕事が減ってしまったので人口も少なくなって、さらに明知線の廃線問題も持ち上がって、まちは寂しくなってしまった。そこで、このままじゃいけない、なんとかしなくてはと過疎化を食い止めるための策として生まれたのが“大正村構想”です」
かつては長野県から名古屋を結ぶ中馬街道と、三河から木曽、信州へ塩や織物を運んだ南北街道が交わる宿場町として栄えた明智町の危機。かねてより交流のあった文芸写真家・沢田正春氏の提言により「大正村」を作る計画が持ち上がったのが昭和58年のことだった。
激論の末の立村
「当初、“大正村構想”には賛否両論が寄せられたといいます」と話すのは、大正村理事長の横田晴彦さん。現在で3期目、6年間理事を務める横田さんにも当時のことを聞いた。
「私自身は村のたち上げには関わっていないのですが、立村にあたっては反対派も多く、激論がかわされたと聞いています。
大正村の案は、明知鉄道廃線に端を発しています。廃線となれば人の流れがなくなり、まちは寂れてしまいますからね。沿線上の明智町、岩村町、山岡町が連携してまちの存続をかけて廃線反対の運動が起こったんです。
なんとかもう一度活気を取り戻したいというまちの人たちの願いのほうが強かったんでしょう。次第に反対派を説得し、行政だけでは立ち行かない費用に関しても、半分ほどまちの人たちが寄付をしてなんとか立村にこぎつけたという話です」
当時の人たちがまちのために身銭を切り、自力で革命の波を起こしたということだろう。翌年には明知鉄道が第三セクターとして存続することが決まり、その流れにのって大正村がたち上がった。
ボランティアが自主的にまちを支える
横田さんによると、入場者数は平成8年~10年がピークで、年間45万人の人が訪れたという。
「立村当初、大正村を作りますよという発表だけで、まだ設備も整っていない段階で観光客が訪れるようになってしまったそうです」と横田さん。
それでもせっかく来てくれた人たちにになんとか楽しんでもらいたい、という思いからまちの人たちが自主的にお茶出しなどを始めたのだとか。ボランティアガイドがスタートしたのもこの時だったという。
いまでもその精神は受け継がれ、村役場と資料館では気さくな女性たちがおそろいの法被を着て出迎え、お茶を振る舞ってくれる。『大正ロマン館』や『旧三宅家』の管理をしている方々もみんな町内のボランティアだという。
この日は『大正ロマン館』で、ひなまつりの準備が進められていた。
「たぶん日本で一番大きい」と水野さんがいう幅2メートル近くある押絵雛や、1000体近くあるという恵那地方に伝わる土雛をショーケースに並べていたのは知多市から来たという浅井錠志さん。月に数回明智町を訪れ展示やイベントの手伝いをしているそう。ひな祭りの準備期間中は毎週のようにやってきて、押絵雛や土雛の展示をしているのだという。
「もう4、5年は通っていると思います。最初にここに来たときにね、懐かしいまちの雰囲気に惹かれてしまって。何か力になれることがあれば、と思って顔を出させてもらっているんです」
まちの人だけでなく、こうした人たちの尽力によって、大正村は今も人情とロマンに溢れたまちなみを維持しているのだろう。
ふるさとの安心感、懐かしさを守ることが使命
「土雛だけでなく資料館に飾られているレコードや蓄音機、その他の備品などもまちの人や大正村の力になりたいという方たちからの寄付で成り立っています。それだけ大正村に対する思いと、訪れる人たちに楽しんでもらいたい、おもてなししたいという気持ちが強いんだと思います」と横田さんは話す。
現在は大正村実行委員会として140人ほどがボランティアとして登録。5月に行われる「おんさい祭り」や、6月の「バラ祭り」の際は、さらに地元の中学生や高校生らが一緒になっておもてなしの準備に取り掛かるのが恒例だという。
平成29年には、劇場版「はいからさんが通る」とのタイアップで認知度もあがり、矢絣(やがすり)着物をレンタルしてまちを散策する人も増えたそう。また、明知鉄道の「じねんじょ列車」「寒天列車」「おばあちゃんのお花見弁当列車」など、車内でグルメを楽しめる企画列車も年々注目度がアップしているという。
「ふるさとに帰ってきたような安心感、懐かしさを変わらず持ち続けているところが村の魅力。大正の時代を感じられるこの環境を守ることが、今の私たちの使命だと思っています」と横田さん。
“まちなみも人も含めて日本大正村”
大正村のホームページにはこう書かれている。
立村からまもなく35年、まちの人たちが受け継ぎ守り続けてきた素朴さと温かさを、一度感じてみてほしい。
【取材協力・写真提供】
公益財団法人日本大正村
http://nihon-taishomura.or.jp/
恵那市観光協会
https://www.kankou-ena.jp/
明知鉄道
https://www.aketetsu.co.jp/
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