県内大病院と行政がタッグ。「あいち医療ツーリズム研究会」発足

“医療ツーリズム”―。「医療目的で他国へ渡航すること」を指すが、日本人にとってはまだあまり馴染みのないワードではないだろうか。
イメージしやすいのは、臓器移植や心臓疾患の手術のため外国へ行くといった渡航かと思うが、こうした高度医療を目的とする以外にも、人間ドックなどの健診目的のツアーも医療ツーリズムの定義に含まれる。健診目的の場合、空いた時間を使った観光もひとつの魅力となっているようだ。

日本でもここ1、2年で積極的に受け入れを進めようとする地方自治体が出てきた。どうやら医療目的の外国人を受け入れることは、地元にとってはメリットとなるらしい。

最近では愛知県が2016年度、医療機関とタッグを組んで「あいち医療ツーリズム研究会」を発足。これまで病院個々で行ってきた受け入れを、行政も一体となって行っていこうという考えだ。
研究会は、大村秀章愛知県知事の旗振りのもと、名古屋大学医学部附属病院、名古屋市立大学病院、藤田保健衛生大学、愛知医科大学の県内4大病院ほか、愛知県医師会、愛知県歯科医師会、医療法人などが名を連ねる。

医療ツーリズムの受け入れで県民にはどんなメリットがあるのか。
愛知県健康福祉部医務課医務グループ主査の山川高英さんにお話を伺った。

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【医療ツーリズムの動き】
豊富な観光資源をもつタイや、カジノを中心に誘致を図るシンガポールなど、医療ツーリズム先進国と言われる国々では2000年代前半には国策として受け入れを推進。マレーシアや韓国でも患者受け入れの規制緩和など支援策が打ち出されている。
日本では、厚生労働省「医療ツーリズムプロジェクトチーム」、経済産業省「サービス・ツーリズム(高度健診医療分野)研究会」、観光庁「インバウンド医療観光に関する研究会」をそれぞれ2009年に立ち上げ。
経産省は中国やロシアの富裕層をターゲットに実証実験や取り組みを行ったのを手始めに、外国人患者向けの情報サイト「Medical Excellence Japan(MEJ)」の立ち上げや医療滞在ビザの新設、日中遠隔医療ネットワークの構築などを行ってきた。
厚労省では「外国人患者受入医療機関認定制度(JMIP)」を設け、日本の医療サービスを受けやすくする体制づくりを行ってきた。

※参照
あいち医療ツーリズム研究会「医療ツーリズム推進に向けた提言~愛知の医療ツーリズムを世界へ発信~」
日本政策銀行「進む医療の国際化(2)~拡大するアジアの医療ツーリズム~」
経済産業省「外国人患者の医療渡航促進に向けた現状の取組と課題について」

医療滞在ビザの発給は9割近くが中国(外務省ビザ発給統計による)。その数は2012年から比べるとうなぎのぼりだ医療滞在ビザの発給は9割近くが中国(外務省ビザ発給統計による)。その数は2012年から比べるとうなぎのぼりだ

設備投資や医療技術の向上を地元に還元できる

「愛知県の医療ツーリズムの受け入れを新聞などで知って、県民の方から不安の声が寄せられることもあったのですが、『海外からの患者さんは、地域医療に影響しないように調整するので大丈夫』と説明すると、逆に応援してくださるんです」と山川さん「愛知県の医療ツーリズムの受け入れを新聞などで知って、県民の方から不安の声が寄せられることもあったのですが、『海外からの患者さんは、地域医療に影響しないように調整するので大丈夫』と説明すると、逆に応援してくださるんです」と山川さん

「在住外国人の方を対象に医療を提供するイメージを持たれることも多いのですが、それは間違いです。医療ツーリズムは外国(中国など)に住む富裕層をターゲットとしています。
外国からの患者さんの場合、健診も治療も健康保険を使わず実費で診療費を支払うので、日本人の3倍ほどの金額をいただくこともあります。病院は得た収入で最先端の医療機器を導入するなど設備投資ができるほか、たくさんの症例を扱うことで医療技術が高くなり、それを地元の人に還元することができるんです。ですから、地元での受け入れにはメリットしかないと考えています」と山川さん。

しかし、多額のお金を落としてくれる外国人を優先して、地元の患者が後回しにされるという心配はないのだろうか。

「それはありえません。研究会の提言にもありますが『地域医療に影響を及ぼさない範囲で実施』というのが大前提になっています。医療機関の受け入れ余力を活用しての受け入れになるので、地元の方への影響はまったくないと思います」

それならひとまず安心だ。

「治療やリハビリのために滞在することになれば、ツーリスト本人や家族など付き添い人の宿泊も必要となるでしょうし、周辺の観光施設など地域への経済効果も見込めます」

医療技術が向上して経済効果もあるのならいいことづくしのようだが、一方で医療通訳者の不足や、トラブルが起きたときの対処など医療現場での課題は山積している。
「昨年、研究会は協議会へと発展。さらに大きな視野で問題を検討しています。すべてはこれからです」と山川さん。
県では、国際医療コーディネーターの育成など医療従事者を対象とした研修や、先進事例を紹介するシンポジウムなどを行っていく。

日本に求められるのは、待ち時間が少なく高品質の医療

「中国の富裕層は自分の健康にはとても気を使いますが、母国では予防医療という概念が薄く、人間ドックはあっても浸透していません。それに、母国の医療をあまり信用していないんです」と中国の医療現場について教えてくれた中部メディカルトラベル協会の木村さん。<br>医療ツーリズムの受け入れ実績は年間約50組ほど。患者の受け入れ決定後は、医療ビザの手続き、宿泊、医療通訳の手配、治療費の管理、空港・ホテル・医療機関への送迎のほか、帰国後のフォローや再受診が必要になった場合の手配などを行っている「中国の富裕層は自分の健康にはとても気を使いますが、母国では予防医療という概念が薄く、人間ドックはあっても浸透していません。それに、母国の医療をあまり信用していないんです」と中国の医療現場について教えてくれた中部メディカルトラベル協会の木村さん。
医療ツーリズムの受け入れ実績は年間約50組ほど。患者の受け入れ決定後は、医療ビザの手続き、宿泊、医療通訳の手配、治療費の管理、空港・ホテル・医療機関への送迎のほか、帰国後のフォローや再受診が必要になった場合の手配などを行っている

しかし、医療ツーリズムの受け入れ体制を整えたところで需要はいかほどなのだろうか。中国の富裕層がわざわざ日本に来るメリットはどこにあるのだろう。

愛知県と連携し、ツーリストと病院・関連業種とのコーディネート業務を行う一般社団法人中部メディカルトラベル協会(※)の理事・事務長、木村慎吾さんにもお話を伺った。協会立ち上げ以前から医療コーディネーターとして現場を見てきた木村さんによると、中国人が日本で医療を受ける理由として
◆待ち時間の短縮 ◆医療の信頼度 の2つが挙げられるという。

「深刻な医師不足で、検査は3ヶ月待ち、腕のいい医師に診てもらいたくてもなかなか診てもらえないといった現状があります。
診察を受けられてもCTやMRIといった検査は単体で判断されがちで、日本のように複合的な診察というのはなかなかできません。ですから、富裕層はお金を使って海外に行く。日本の医療というのは誠実で信頼されていますから、医療ツーリズムの需要は今後も期待がもてるはずです」と木村さん。

「あいち医療ツーリズム研究会」が行った、実際に愛知県に来て受診した外国人へのアンケートによると、
日本の医療について
◆医療技術が「高い」 ◆スタッフの対応が「良い」 ◆病院の衛生環境が「良い」 
◆医療機器の質が「良い」 ◆安心・信頼が「できる」 
と回答した割合はそれぞれ90%を超え、愛知の医療に対する満足度が高いことが伺える。
こうした人がリピーターになったり、口コミで評判が広がれば愛知へのツーリストは増えそうだ。

(※)藤田保健衛生大学病院、医療法人偕行会、医療法人松柏会などが中心となり、民間の医療機関等で構成。2016年設立。

受け入れの背景には医療現場の危機感が

官民一体となって医療ツーリズムを好意的に受け入れようとする背景には医療現場の危機感だと山川さんも木村さんも口を揃える。

「深刻化する少子高齢化の波に医療関係者も危機感をつのらせています。手術が必要な診療よりも介護が求められるようになり、日本人患者だけでは病院の経営が立ち行かなくなるときが遠からず来ると懸念しています」(木村さん)

「手術の事例が少なくなれば、医者が経験を積むことができなくなり、日本の医療レベルは低下します。海外からの患者を受け入れることは、技術を維持する機会としても必要なことだと思います」(山川さん)

医療ツーリズムの潜在的な市場規模は2020年時点で5,500億円、純医療は1,700億円という試算も出ている(図表)。総務省によると2030年の総人口は2015年比7%減少する一方で老年人口割合は増加、地方では最大19%減少する可能性(※)との見通しも。
需要と人口減少を合わせて考えると、地方病院がその機能を維持発展させるためには、外国人の受け入れは必要なことなのかもしれない。


(※)総務省統計局、日本の統計2017、国立社会保障・人口問題研究所"日本の地域別将来推計人口(平成25年3月推計)による

経済波及効果は2800億円以上にのぼると試算。<br>医療ツーリズムの受け入れが進めば、日本の経済発展や地域活性につながると期待が寄せられている。<br>図表は日本政策投資銀行「進む医療の国際化(2)~拡大するアジアの医療ツーリズム~」より引用経済波及効果は2800億円以上にのぼると試算。
医療ツーリズムの受け入れが進めば、日本の経済発展や地域活性につながると期待が寄せられている。
図表は日本政策投資銀行「進む医療の国際化(2)~拡大するアジアの医療ツーリズム~」より引用

ワンストップで健診から治療まで。「医療ツーリズムといえば愛知」を目指す

愛知県は2019年のラグビーワールドカップや、2026年の第20回アジア競技大会など世界的なイベントの開催地となっている。外国人旅行客が注目するタイミングで「医療先進県」をうまくPRしたいところだ愛知県は2019年のラグビーワールドカップや、2026年の第20回アジア競技大会など世界的なイベントの開催地となっている。外国人旅行客が注目するタイミングで「医療先進県」をうまくPRしたいところだ

上で紹介した図表によれば、2020年時点での日本への医療ツーリスト数はおよそ43万人と予測されているが、
「日本といっても東京や大阪に流れていくことがほとんど。中国人からすると愛知といってもどこにあるかわからない人も多い」と木村さん。

ではどのように愛知県に呼び込むのか。今秋、中国で行われる各国、自治体が集まる医療展覧会や、中国のSNS「Wechat」を利用した情報拡散のほか、医療滞在ビザの取得を迅速化する国家戦略特区申請などを行い、官民一体となって愛知県の手厚いサービスをPRする予定だという。

「東京や大阪の健診センターで人間ドックを受けても、万が一問題が見つかった場合は紹介状をもって個人で病院を探したり、帰国して治療をすることが多いといいます。でも、愛知県の場合、同一のコーディネーターが医療機関や通訳の手配もすべてサポートして、健診から治療まで一括して受けることが可能です。協会を窓口にしてワンストップで健診から治療まで行えるのは、愛知県のウリになると思います」

県内に4つの医学部附属病院があり、救命救急センターの設置数は東京都についで全国で2番目に多い愛知県は、高度で専門的な医療が提供されている地域だといえる。
医療ツーリズムのもうひとつの目的、「観光」の要素については、愛知県にはこれといって大きな観光スポットがないため、訴求力に欠けるという見方もあるようだが、医療の充実と健診・診断まで手厚くめんどうを見てくれる点を地域ブランドとして打ち出していきたいところ。
木村さんは「医療ツーリズムといえば愛知と言われるよう、先進県となることが目標」だと話す。

現在約50ヵ国で実施されているという医療ツーリズムの受け入れ。日本ではまだ歩みを始めたばかり。医療の専門的な知識を持ち合わせた通訳やコーディネーターの不足など課題はあるが、今後の動きに注目したい。



【参照】
あいち医療ツーリズム研究会「医療ツーリズム推進に向けた提言~愛知の医療ツーリズムを世界へ発信~」
日本政策銀行「進む医療の国際化(2)~拡大するアジアの医療ツーリズム~」
経済産業省「外国人患者の医療渡航促進に向けた現状の取組と課題について」


2018年 02月26日 11時04分