価値のある歴史的建築物をいかに「保存・活用」するかは難しい

大阪市のなんば駅から南下し、和歌山方面に向かう南海電鉄南海線は、大阪の南部を貫く大動脈の一つだ。鉄道が海側を走るため、臨海部と内陸部を分断したり、地域の一体的なまちづくりを妨げたり、踏切のために交通の足が止まったりする問題が起きていた。そこで堺市で持ち上がったのが、道路と鉄道の連続立体交差事業、いわゆる高架化だ。

堺市石津川付近から高石市域の約2.7km間の連続立体交差事業が都市計画決定されたのが2005年8月、事業認可が翌年の2006年11月。完成予定は2028年3月末というから、20年を超える大きな事業となる。既存の鉄道を営業しながら工事を進め、踏切を7ヶ所除却し、「浜寺公園」駅と「諏訪ノ森」駅の部分が高架駅となる。

問題は、この二つの駅舎が国の登録有形文化財に登録されている文化的価値の高い建築物であることだ。乱暴に言えば、古い建物を壊して新しい建物を建てるスクラップ&ビルドなら話は早い。しかし、古い駅舎を残す道を選ぶならば、プロセスは複雑となる。
いったん旧駅舎を別の場所へ移動して保存。旧駅舎の保存・活用を含む高架化の工事を進め、古い駅舎を計画上の位置へ戻す。その分、費用も余分にかかるし、残した駅舎をどう活用するか、運営費用をどう捻出するかなど課題は多い。

明治40年ごろの「浜寺公園」駅の駅舎(上)と、昭和初期の「諏訪ノ森」駅の駅舎(下)明治40年ごろの「浜寺公園」駅の駅舎(上)と、昭和初期の「諏訪ノ森」駅の駅舎(下)

明治40年建築の「浜寺公園」駅は辰野金吾の設計

まずは、この二つの駅舎がどんな建築物なのかを紹介しよう。
「浜寺公園」駅は、1897(明治30)年に開業し、10年後の1907年に辰野片岡事務所の設計で建て替えられた。明治の代表的建築家である辰野金吾(1854〜1919)が、1905年に片岡安と大阪で設立したのが辰野片岡事務所。辰野は、明治の建築界に大きな影響を及ぼした人物で、日本銀行本店や東京駅、大阪市中央公会堂などを代表作とする。

辰野が設計した浜寺公園駅の駅舎は、現在、平屋の木造建築で鉄板葺き、外観は木組みを装飾模様として生かしている。非常に希少性のある建物で、日本の近代建築として高く評価されてきた。この駅舎は1998年、国の登録有形文化財に登録された。
浜寺公園駅は、浜寺公園や海水浴場など海辺のリゾート地に近く、高級住宅地の玄関口としてふさわしいデザインで設計された。100年以上にわたって地域のシンボルとして親しまれてきた駅舎でもある。
南海線で最初に複線化・電化したのが「なんば」駅から「浜寺公園」駅まで。同駅は、主要ターミナルの一つでもあったのだろう。さすがに築100年を超えると傷みもあるが、最近では駅舎を一般利用するとともに、かつての待合室をステーションギャラリーとして開放し、明治時代の雰囲気の残る室内で、展示や催し物などを開催してきた。

最近まで利用されていた「浜寺公園」駅の駅舎全景(上)とコンコース部分(下)最近まで利用されていた「浜寺公園」駅の駅舎全景(上)とコンコース部分(下)

大正8年建築、セセッションの影響を受けた諏訪ノ森駅

一方、「諏訪ノ森」駅の西駅舎は、1919(大正8)年に建築され、木造、スレート葺、平屋建て、48m2の小さな駅舎だ。駅舎内の随所に、美しいデザインが見える。

入り口上方にはステンドグラスがはめられており、浜寺界隈から大阪湾をはさんで淡路島に向かう当時の海岸の様子が描かれている。白砂青松や沖合の帆掛け船などがとても美しい。天井から下がる照明や3人がけの小さな待合室、飾り柱、腰壁には大正当時の風情が残っている。
駅舎の屋根や破風、待合室などの設計は、19世紀に起きた建築上・美術上の運動、セセッション(*)の影響を受けている。この駅舎も、現役で活躍する希少性の高い木造駅舎の一つで、浜寺公園駅とともに1998年、登録有形文化財に登録された。土木学会「現存する重要な土木構造物2800選」「近畿の駅百選」にも選定されている。この小さな駅舎もまた、地域のシンボルとして、まちに溶け込んでいる。

駅舎や銀行などかつての公益施設は、風格のある建物として、まちのシンボルとして、費用をかけて設計・建築された。浜寺公園駅も諏訪ノ森駅も、100年前は斬新な建築物だったろうが、100年持ちこたえるだけの風格とデザインをもっていたのだ。

(*)セセッション
19世紀にドイツ圏でおきた、機能性や合理性を重視し、過去の美術様式から分離しようとした建築上、美術工芸上の運動。建築や工芸、絵画などに大きな影響を及ぼした。

現在の諏訪ノ森駅の駅舎(左上)と待合室(左下)、美しいステンドグラスと照明(右)現在の諏訪ノ森駅の駅舎(左上)と待合室(左下)、美しいステンドグラスと照明(右)

有識者や市民を巻き込んで「活用」の道を選択

現在、白い塀で覆われている浜寺公園駅は正面から見られないが、ホームからは美しい屋根が見える現在、白い塀で覆われている浜寺公園駅は正面から見られないが、ホームからは美しい屋根が見える

堺市は、歴史文化を生かしたまちづくりを推進している。市内の文化財の指定や調査、保存・活用などの活動を行うとともに、国や所有者、市民などが一体となり、地域の個性あるまちづくりとなる取り組みを進めている。こうしたまちづくりの延長線上に、これら2つの駅舎の行く末も考えられた。

明治40年、大正8年に建築された歴史的な建築物であり、国の登録有形文化財でもある2つの駅舎をどう保存し、どう活用するか…。まず、平成18年度に市民ワークショップ・勉強会が開かれた。高架化事業に対する市民の理解を深め、駅周辺を含めたまちづくりをともに考えようと、意見やアイデアを出し合い、合意形成していくワークショップという手法がとられたのだ。

ここから出た「駅舎保存活用に向けて(市民ワークショップからの提案)」を受けて、翌19年度には、学識経験者や鉄道事業者、市民で構成される「浜寺公園駅及び諏訪ノ森駅舎保存活用懇話会」を開催した。懇話会は、2つの駅舎を、次世代に引き継ぐべき文化的な価値があると判断し、どう残すかだけでなく、そこを「使う」という発想で、実現に向けた方策を市に提案した。

これらをふまえ、堺市は平成20年度に駅舎保存活用構想を策定した。古い駅舎を残し、新駅舎と融合する形で「活用」する道を選択し、デザインコンペを実施。旧駅舎の活用に際しては、地域住民に企画の知恵と運営の手足を担ってもらうことに。
高架化の完成は10年後。現在、地域のまちづくり協議会や駅舎保存を考えるNPOが、旧駅舎の活用法を考えているところ。浜寺公園駅については、来年3月から旧駅舎の試験活用を始める。数年間の試験活用を経て、10年後の本格的な旧駅舎活用を目指していく。

自治体や事業者、地域住民が駅舎の保存・活用を核に、どんなまちづくりを進めていけばいいのか、次回で紹介する。

2017年 06月16日 11時08分