江戸時代末期からのかやぶき古民家が東京・中野に残る

広大な屋敷森とともに残る細田家住宅。現在のかやぶき屋根は、トタンで覆われている広大な屋敷森とともに残る細田家住宅。現在のかやぶき屋根は、トタンで覆われている

2020年東京オリンピックに向け、東京都内のそこかしこで再開発が進められている。その一方で歴史のある古い建物が取り壊されたり、趣のある古民家が消えてしまったり、街の景観が急速に変わりつつある。

そんななか、中野区内に唯一現存するというかやぶき屋根の古民家が、新たな道路建設のために存続の危機にあるという。

その古民家とは、中野区白鷺にある細田家住宅。3,250m2の敷地内はケヤキやスギなどの屋敷森に覆われ、森の木々に守られるかのようにしてかやぶき屋根の建物が残っている。江戸時代末期頃にこの地に移築されたと伝えられ、ここでは明治後期頃から昭和初期頃まで地域の地場産業だった漬物の問屋が営まれていた。その後、かやぶき屋根は材料の入手やかやぶき職人の確保が困難になったため、1970年代にトタンがかぶせられ、今にいたっている。

20年ほど前までは細田家の親族が住んでいたというが、それ以降は空き家。維持管理にあたってきたのは東京・渋谷に住む現当主の細田直樹さんである。毎週欠かさず訪れ、一人で古民家や屋敷森の手入れを行なってきた。

そんな細田さんの様子をみて、2012年から月1回、細田家住宅の掃除を手伝っている市民団体がある。中野区内の歴史的建造物の保存活動に取り組む「中野たてもの応援団」である。そこで今回、同応援団の細田家住宅での掃除ボランティアの現場へ取材に出向いた。

「中野たてもの応援団」有志がボランティアで掃除を手伝う

上)現当主・細田直樹さんと一緒に清掃ボランティア活動に励む「中野たてもの応援団」メンバーたち</BR>
下)細田家住宅の門の周辺や道路も丹念に清掃
上)現当主・細田直樹さんと一緒に清掃ボランティア活動に励む「中野たてもの応援団」メンバーたち
下)細田家住宅の門の周辺や道路も丹念に清掃

筆者が取材に訪れたのはよく晴れた秋の日。敷地内の草むしりをしたり、屋敷森に面している道路をほうきで掃いたりと、「中野たてもの応援団の有志たちが思い思いに掃除にいそしんでいた。

「作業の役割分担など決めず、参加メンバーそれぞれが興味のあることをやっています。建物は老朽化していて傾いているのですが、応援団メンバーには建築士や大工さんなど建築関係者もいるので、木のつっかえ棒を取り付けて支えるといった応急処置もやらせていただいてきました。できる人ができることをやる。そんなスタンスで、細田さんのご了承をいただいてお手伝いをさせていただいています」と、中野たてもの応援団事務局の十川百合子さん。かく言う十川さん自身も建築士で、この応援団の発起人でもある。

十川さんは、建築士として住宅設計などに携わるかたわら、協同組合伝統技法研究会の会員として歴史的建造物の調査や修理、活用、保存に取り組んできた。2009年に中野区教育委員会から委託を受け、区内の建造物調査を担当。その調査を通じて多くの古い建造物の存在を知り、「地域の文化遺産」としての価値をあらためて実感したという十川さん。
「古い建物には、建築学的な価値もあるでしょうけれど、なによりその当時の住まい方を現代に伝えてくれるものです。どんな住環境でどんな暮らしが営まれていたのか。そうした先人たちの知恵を、古い建造物を通して私たちは謙虚に学びたいと思いました」。

そうして十川さんらが中心になり、2011年11月、古い建物に興味のある人、建築専門家、歴史的建造物の所有者らによって結成されたのが「中野たてもの応援団」だ。身近な建物を大切に思う気持ちをメンバー間で共有し、中野のまちづくりに活かしていく方法を探るべく、区内の建造物の調査や勉強会、建物見学会などを行なっている。

江戸時代末期の典型的な農家住宅

十川さんがここ細田家住宅と出合ったのは、前述の中野区教育委員会の建造物調査を行なうなかでのことだった。
「中野区は、かつては武蔵野の農村地帯でした。昭和40年代(1965~1974年)頃まではかやぶき屋根の農家住宅は日常的に目にすることができたのです。それが宅地開発の影響で次々と取り壊され、マンションなどに建て替えられてしまっています。そんななかでこのかやぶき屋根の細田家住宅が残っていることに、新鮮な驚きを感じました。かやぶき屋根の建物のみならず、屋敷森とともに残っているという、非常に貴重な文化遺産です。地域の文化を伝えるものとして、大切に守っていきたいと思いました」。

十川さんら伝統技法研究会の調査によると、細田家住宅のかやぶき屋根の古民家は江戸時代末期の万延年間(1860~1861年)にこの場所に移築されたという言い伝えがあるという。およそ100m2の建物は南側に座敷と広間、北側に納戸と台所を田の字型に配置し、東側に土間を配した典型的な江戸時代の農家建築。柱と柱の間がさほど広くなく均一ではないなど、この時代の民家の特徴を見ることができる。

建物内には「東京漬物問屋組合」と記された、昭和初期の看板が残っている。記事冒頭でもふれたように、細田家は明治後期頃から昭和初期まで漬物問屋を営んでいた家なのだ。

この細田家住宅がある鷺宮地域は江戸時代から昭和初期にかけて大根の産地として名をはせ、その大根を原料にした沢庵漬けなど漬物業が盛んに行われていた。「規模の大小はあっても、鷺宮地域のほとんどの農家では沢庵を作っていたのです」と、十川さん。さらに十川さんはこう続ける。「細田家は細田本店の屋号で漬物問屋を営み、地域の地場産業を担っていました。昭和13年(1938年)の東京漬物問屋組合の名簿には、庶務担当の理事として、当時の当主・細田銀次郎さんのお名前があります」。

ちなみに細田銀次郎さんは、現当主の細田直樹さんの祖父にあたる方という。古民家の南側には納屋があり、銀次郎さんが商標登録した「銀」のマーク入りのラベルや、漬物の瓶、ふたなどが残されていた。
「これらは地域の産業の歴史を伝える貴重な民俗資料です。ラベルなどが劣化してしまわないよう、私たちで保存のお手伝いをしていきたいと思っています」。

上左)木造平屋建ての古民家。玄関から入って左手の居住空間</BR>
上右)玄関から右手の土間にはカマドが残っている</BR>
下左)納屋には、細田本店の屋号が入った看板が保管されている</BR>
下右)漬物問屋時代のラベルや漬物の瓶、ふたなども残されている
上左)木造平屋建ての古民家。玄関から入って左手の居住空間
上右)玄関から右手の土間にはカマドが残っている
下左)納屋には、細田本店の屋号が入った看板が保管されている
下右)漬物問屋時代のラベルや漬物の瓶、ふたなども残されている

古民家の歴史的な価値を伝えることで保存につなげていきたい

この日の掃除ボランティアの参加メンバーたち。細田直樹さんにも記念撮影の輪に入っていただいた</BR>
「中野たてもの応援団」のメンバーは現在約60名。中野の建物に関心がある人なら区内在住在勤を問わず、メンバーになることができる
この日の掃除ボランティアの参加メンバーたち。細田直樹さんにも記念撮影の輪に入っていただいた
「中野たてもの応援団」のメンバーは現在約60名。中野の建物に関心がある人なら区内在住在勤を問わず、メンバーになることができる

このように長い歴史が刻まれた細田家住宅だが、敷地内に都道が新設されることに決まり、
存続のピンチに立たされている。1966年に都市計画道路として決定していた道路で50年もの間、計画決定段階のまま動きがなかった。それが2015年3月に国が東京都に事業として認可したことで事業施行に向けて事態が動き出した。

東京都が建設を進めようとしているのは、杉並区阿佐谷北と中野区白鷺間に、片側一車線で約700mの道路を造る計画。周辺道路の渋滞緩和などを目的とする道路新設計画といい、東京都では2020年度の完成を目指して用地交渉を始めているという。

そのような状況にあるのだが、地域の歴史を伝えるかやぶき古民家である。なんとか残せないものだろうか?

十川さんも「都市計画道路として事業化が決まったとはいえ、あきらめずに残せるよう、みなで知恵を出し合っているところです」と言う。保存につなげる活動として、「中野たてもの応援団」でまず目指しているのは、このかやぶき古民家の歴史的価値を1人でも多くの人に伝え、賛同してくれる仲間を増やすこと。これまでも細田家住宅の見学会や、敷地内での漬物作り体験や地域の伝統芸能「鷺宮囃子」を披露するイベントの開催などを行なってきた。

行政へ働きかけることも考えているというが、「その前に私たちができることを頑張りたいです」と、十川さんはこう話してくれた。
「この古民家は江戸時代末期にこの地に移築されたといわれていますが、それは古文書などに記録されていることではなく言い伝えです。私たちのネットワークを駆使して歴史的な裏付け調査をとったり、細田家が漬物を作っていた当時のことを知る方に聞き取り調査を行なう、細田家に残る民俗資料の整理をするといった活動にも着手したいと考えています」。

「屋敷森」が今に伝える先人の住まい方の知恵

取材時、黙々と屋敷森の落ち葉掃除に取り組む現当主・細田直樹さんの姿もあった。細田さんは「ここの維持管理をするのは私の役目だと思っているので、渋谷の自宅から毎週来ています。敷地は一周約500mにあります。樹木の緑が気持ちよくて、ユズや銀杏の実もとれる屋敷森なんですよ」と、「守ってきた家」への愛着をにじませる。

現代では少なくなったが、1960年頃までは中野区界隈にも未舗装の土の道路や畑が見られた。このあたりの土は関東ロームと呼ばれる赤土で、冬は乾燥した土ぼこりとなって季節風によって舞い上がる。それは室内にも入り込み、1日で畳が茶色に見えるほど積もってしまうこともあったという。武蔵野の屋敷森は、そうした土ぼこりから家屋を守るためのものだった。また、薪炭林として薪や炭に利用したり、家屋の建材として利用されることもあった。そのように屋敷森は現在では失われた先人の住まい方の知恵を伝える文化財である。単なる雑木林ではないのだ。

このような「屋敷森に囲まれたかやぶき古民家」という風景は、地域の宝ともいえるものではないだろうか。そんな風景を残すために、どんな保存の方法が考えられるのか。みんなの問題として考えていければいいのではないかと思う。


☆取材協力
中野たてもの応援団
http://nakanotatemono.blog.fc2.com/

上左)建物の玄関まわり。今はトタンに覆われた屋根ではあるが、トタンのすき間からかやが見える</BR>
上右)屋敷森には約40種もの樹木があり、雑木林の趣</BR>
下左)北東から見る古民家</BR>
下右)細田家住宅の屋敷森は街の風景になっている。この屋敷森は中野区から保護樹林の指定を受けている
上左)建物の玄関まわり。今はトタンに覆われた屋根ではあるが、トタンのすき間からかやが見える
上右)屋敷森には約40種もの樹木があり、雑木林の趣
下左)北東から見る古民家
下右)細田家住宅の屋敷森は街の風景になっている。この屋敷森は中野区から保護樹林の指定を受けている

2016年 11月18日 11時06分