ゆったりと歩ける街「仙川」
京王線仙川駅周辺は、歩いていて、ほどよいサイズ感を感じるよい街だ。駅南口の街区は東西400m×南北は東側が500m、西側が300mほどの台形である。
吉祥寺でいえば南は井の頭公園、北はコピス(元伊勢丹)やロフト、西は東急百貨店のすぐ裏まで、東はヨドバシカメラまでという範囲である。つまりぐるっと歩き回っても20分ほどだ。
だが仙川は、ほぼ路面店だけなので、大型店や中小ビルの乱立する吉祥寺ほど高密度ではない。空が見える。
適度に賑わっているが密集というほどではない。吉祥寺の休日は人が多すぎてのんびり歩けないが、仙川ならゆったり歩ける。
桐朋学園や白百合女子大もあり、国立(くにたち)に近い文教地区的な雰囲気があるとも言える。
風俗店もパチンコ屋も少ないので、安心して安全にママがバギーを押して歩けるちょうどよさが魅力であろう。
仙川は猿田彦珈琲ゆかりの地
仙川には、スーパーなどのお店も西友からクイーンズ伊勢丹まであり、暮らしやすそうだ。このクイーンズ伊勢丹はデザインがかっこ良く、ガラス越しに外から見える店内の眺めが素晴らしい。
駅からまっすぐ延びる商店街はチェーン店が増えたが、個人店は主にその外側の住宅地との中間に増えたようだ。パン屋、洋食屋、ペット連れで入れる飲食店、和菓子屋、クレープ屋など飲食が多い。
商店街の中も、チェーン店というほどではないが、吉祥寺のアジア食材店カーニバルの新業態の「ヒュッゲ」が出店していた。北欧をベースとしたヨーロッパ風の食材店である。
クイーンズ伊勢丹の手前にスターバックス、猿田彦珈琲店、星乃珈琲店が並んでいるのは珍しく、コーヒー好きにはたまらないだろう(ちなみに猿田彦珈琲の社長は仙川出身)。
仙川の1983年の地図を見ると喫茶店やレコード屋がたくさんあることがわかる。桐朋学園があるため音楽関係者や学生が多いから、という理由もあっただろう。喫茶店でも音楽にこだわりのある店が多かったのかもしれない。
地域の情報を集めて発信している仙川地図研究所
この仙川で地域の情報を集めて発信しているのが、2013年に設立された仙川地図研究所だ。
仙川地図研究所のきっかけは、2011年の東日本大震災。設立者の小森さんは地元の新聞販売店と協力して復興支援をしようとした。しかし商店街の飲食店も震災で客が減っており、それどころではなかった。
そこで、意見交換した店主などと外で食べようというキャンペーンを行ったという。また、親しくなったお店と2013年に手作り市を始めた。結果として、地域の個人店を町の歴史と共に紹介するツールが欲しいという声が上がり、その年の2013年秋から有志と共に最初の地図づくりをした。
その後、お店情報だけでなく地域の歴史などについても調べて地図に載せるようになった。地図は情報を更新しながら2、3年に1回改訂版を出している。地図づくりだけでなく、仙川を知ってもらうための街歩きイベントも開催している。
現在の仙川地図研究所メンバーは30〜80代の約20人で、有償・無償ボランティアで働いている。メンバーの職業はギャラリーカフェの経営者とデザイナーが中心、会社員が数名、それから元建築家、元カーデザイナー、元編集者など、さまざまだ。
仙川が有名になったのは「安藤ストリート」から
今から20年前だと、調布市は知っていても仙川を知っている人や来たことがある人は少なかったはずだ。
仙川が有名になったのは「安藤ストリート」ができ始めた2005年ごろ以降だろう。
安藤ストリートとは、建築家 安藤忠雄の建築が並ぶ一帯のことで、地主の伊藤容子さんが安藤忠雄の大ファンで是非とも自分の土地に安藤建築を建てて仙川を盛り上げよう、と考えたのだ。
私が最初に仙川を訪れたのは2005年、武者小路実篤記念館に来たときだが、2005年頃はまだ現在のように新しい店はあまりできていなかった。安藤建築のことは新聞記事で知って2007年頃に再び仙川を訪れたのだと記憶している。
これらの計画は1992年に認可された一本の都道から始まるのだという。地主である伊藤さんが所有する細長い土地が、都道によって細長い三角形の利用価値のない土地に細分化されてしまった。
そこで、伊藤さんはその三角の地形を生かして、仙川に統一感のある街並みをつくろうと考えた。そしてその設計を安藤忠雄に依頼してみようと考えたのである(ネットブログ「近代建築の楽しみ」参照 https://www.ohkaksan.com/)。
こうして2004年に安藤忠雄設計の「東京アートミュージアム」、2007年に「せんがわ劇場・ふれあいの家・仙川保育園」ができた。そして安藤建築完成以前から進めてきた建築と共に、いわゆる「安藤ストリート」が完成していく。
街の発展に貢献した大島土地の分譲住宅地があった
仙川の若葉町の一角に、大島土地が分譲した住宅地がある。
大島土地は、リノベーション業界の中心企業ブルースタジオの大島 芳彦氏の祖父 大島 芳春の創業した会社である。
大島 芳春は1930年頃から事業を東京市内に移し、平屋で建築面積60m2(18坪)の住宅を、まず滝野川、駒込、板橋、荏原などで分譲した。1950年代には東急など電鉄系を除く民間住宅分譲業者としては最大の会社に成長した。1952年創立の社団法人全日本不動産協会の初代副会長となったが、その会長は東急の五島 慶太であるから、大島の存在の大きさがわかる。
仙川の土地は、1952年から坪6,000円、40坪24万円程度で売られていたことが大島土地の資料でわかる。
頭金3割で、残り7割16.8万を18年で金利10%で返済したとしても月2,000円ほどだったと思われる。当時の東京23区内西部の日本住宅公団の住宅の月の家賃が5,000円ほどだったので、ずっと安いのだ。
大島土地の仙川の分譲住宅は、国分寺崖線の縁にあり、坂を下ると入間川と田んぼ、遠くには富士山をはじめとして丹沢などの山並みを一望できる好立地である。当時のその分譲住宅に子ども時代に入居したある方の話では、杉並区から1953年に引っ越してきたそうで、お父さんが庭でバラの栽培をしたくて、広い庭を求めて仙川の住宅地を選んだという。杉並区から比べると当時の調布市は、地価も安く自然も多くあった。
当時の仙川は、すすきの生い茂った草地であり、北半分は戦時中空襲のために飛来するB29を迎撃するための高射砲陣地だった。高射砲の台座や弾薬庫は頑丈にコンクリートでつくられていたので、宅地化のために壊すのが大変だったらしい。
現在では、多くの家は建て替わっているが、まだ分譲当時を偲ばせる家も、ちらほらある。作家の安部公房も当初からではないが一時期、大島土地分譲地に住んだという。(大島土地については拙著『昭和の東京郊外 住宅地開発秘史』および『東京人』2023年1月号・2月号を参照)
仙川の街、今後の課題
このように過去15年ほどの間に発展を遂げた仙川であるが、今後の課題は何だろう。
仙川地図研究所の小森さんによると、仙川は「食やカルチャーに敏感な子育て層の多い街」だが、せっかく学生がいるのに、あまり仙川では過ごさない、学生が来るのはスタバくらいだという。
彼らは渋谷や新宿などもっときらびやかな街に興味があるので、ローカルや個人経営のお店に興味が向いていない、という感じだそうだ。だが消費だけではない街との関わり方もあるはずで、そのへんは今後の課題だろう。
また、ママ中心なので昼はにぎやかだが、夜は客が少ない。今はコロナのせいもあるが、夜の楽しめる街にしたいという。そういう意味では一人暮らしなどの働く女性が住民に増えた方がいいのかもしれない。
また、最近出来た新しい店は、子どものいる若い夫婦がやっている店は日曜日は定休という店もあるらしい。それだと普通に平日働き日曜日に休む男女にとっては不便かもしれない。だが自分たちの生活を犠牲にしない働き方というのも否定はできないので、難しいところである。
また、古い店がだんだんなくなっていくのが寂しい。私も仙川のとても美味しいトンカツ屋さんのファンだったが、先頃廃業されたことがとても残念。こればかりは、どの街でも後継者がいないと避けられない現象であるが、若い人が事業承継をするなど、新しい方法を考えていく必要がある。
それから、仙川には公園が少ない。たしかに駅前に公園があるが、隣接する駐車場をなくして芝生の公園にしたらもっとよかっただろうと思う。遊具もありきたりなものなので、仙川の公園にはこんな遊具があるというものも欲しい気がする。世田谷プレイパークのようなプレイリーダーのいる野性的な公園もあるといいかもしれない。
一方、仙川には2023年3月に「ウェルビーイング」をテーマにした新しい場所「SETAGAYA Qs-GARDEN」ができる。
行政上は世田谷区給田1丁目だが、1954年に第一生命の福利厚生施設・第一生命グラウンド(相娯園)として開園し、半世紀にわたって守り受け継がれてきた広大な敷地に、緑豊かな環境を次代につなぐという想いのもと誕生する。
「SETAGAYA Qs-GARDEN」は、健康増進、高齢者支援、地域活性化、子ども・教育、スポーツ振興、安全・防災、環境配慮など、さまざまなコンテンツを通して地域の方々のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)向上を目指す、人と暮らしの未来を見つめる5社による壮大な“杜のまち”づくりプロジェクトだという。
「ウェルビーイング」は立川GREEN SPRINGSでもコンセプトになっている。「ウェルビーイング」は、これからの時代のキーワードであるが、その実現のためには今後、商業施設、福祉施設、文化施設、そして自然といったものがうまく混在・融合した場所づくりが求められるであろう。
また最近は、都市計画の中で「ウォーカブル」(歩いて楽しい街)が重要な概念になっている。
仙川は過去20年ほどの間に「ウォーカブル」な街を作ってきたと思うし、今後は「ウェルビーイング」な要素もたくさん持った街に発展していく可能性は高いと思う。
公開日:



















