住みたい街・川口

川口市は近年各種の調査で住みたい市として上位に位置するようになった。LIFULL HOME'Sが発表した2021年の「借りて住みたい街ランキング」でも川口が前年から15ランクアップし17位、西川口が8ランクアップの12位である。
23区に隣接し、JRなら東京駅など山手線東側各駅に直通、赤羽で乗り換えれば新宿、渋谷など西側に行ける。

東京メトロ南北線が乗り入れる埼玉高速鉄道線の川口元郷駅で乗れば、市ヶ谷、四ツ谷、永田町、溜池山王、六本木一丁目に直通ということで、住みたい街ランキングの人気要素のひとつであるが、非常に交通の便が良い。
共働きで夫は丸の内だが妻は渋谷が勤務先という場合などはとても便利である。もちろん通学も便利なわけで、中学から都心の進学校に通うという場合も有利である。

古くから鋳物など製造業の工場が多い地域であるが、過去40年ほどの間、それらの工場、倉庫などがマンションに建て替わり、多くの人口を吸収してきたのだ。1979年には36万6,000人だった人口は2020年には60万7,000人(2013年から鳩ヶ谷市を吸収合併)。2001年以降は鳩ヶ谷市合併分を除いても、1年平均4,000人以上の増加をしてきた。

JR川口駅東口JR川口駅東口

団塊ジュニア中心でファミリー需要に応える

1990年代には日本で一番団塊ジュニア比率が多い市といわれた。今でも45〜49歳の団塊ジュニア(第2次ベビーブーム世代)が市全体の8.9%、50〜54歳が7.7%、40〜44歳が7.6%、合計で24.2%を占める。団塊ジュニアが中心の市なのである。

元工場地帯とはいえ、今は駅前もきれいに整備されている。取材した日はちょうど荒川沿いの桜が満開であり、子ども連れや高齢者が集まり、のどかな雰囲気であった。
JR川口駅東口のキュポラには図書館、保育園なども入っており、子育て期のファミリーにはとても便利そうである。西口のリリアにはコンサートホールがある。

川口駅には駅ビルがないので東西の見通しがよく、また東西がペデストリアンデッキで回遊できるようになっている。デッキ上に公園のようなところもあり、ベンチには市民が憩っている。眼下には花壇がありきれいだ、
私はペデストリアンデッキというものはあまり好きではなかったが、東西を回遊できて、公園のような場所もあるというのは、なかなか良いのではないかと感じた。

荒川沿いの桜がきれい荒川沿いの桜がきれい

鋳物業の歴史

川口市は古来鋳物業が栄えていた。鋳物とは鉄を鋳造してつくる製品。鋳造とは鉄を溶かして型にはめてつくる。お寺の鐘、刀の鍔(つば)も鋳物。鍋、釜などの日用品も鋳物である。

鋳物業が栄えたのは明治大正以降かと思ったらそうではない。平安時代に起源を持つという説すらある。遅くとも室町時代末期にはかなり鋳物製品の製造が行われていたらしい。
川口で鋳物業が栄えた理由は、荒川の川岸から鋳物に適した砂と粘土が取れたためである。

江戸時代になると江戸城から将軍が日光に参拝するときの日光御成道が整備され、また荒川とその支流の芝川の水運も盛んになった。そのため鋳物の原料である銑鉄、燃料の木炭やコークス、そしてできあがった鋳物製品の物流が増加し、鋳物業が発展したのである。

1949年当時の川口の鋳物工場の分布
資料:尾高邦雄編『鋳物の町』
1949年当時の川口の鋳物工場の分布 資料:尾高邦雄編『鋳物の町』

学習院も東京オリンピックも

江戸・東京という大消費地、明治大正以降は京浜工業地帯に隣接していたことも川口鋳物業の発展に寄与したことは言うまでもない。
さらに1910年には現在のJR川口駅(当時は高崎線川口町駅)ができ、それまで関東地方中心だった需要が、東北、北陸、東海、近畿、さらには朝鮮、台湾、中国にまで拡大した。
こうして明治末期(1900年代初頭)には川口鋳物業の組合員数は50ほどだったのが、1920年代には500〜600にまで激増したのである。

また明治時代に都市・建築の西洋化が進み、門扉、鉄柵、水道用鉄管などの需要が増えたことも、川口の鋳物業の需要を増やした。学習院旧正門は川口製の鋳物の名作である。学習院旧正門は国指定重要文化財であり、1877年、神田錦町にあった華族学校(現学習院)の正門として建てられたものである。第二次大戦後は女子学習院(現在の学習院女子大学)の門となっている。

1964年の東京五輪の聖火台も川口の鋳物である。まさに日本の近代化と共に川口の鋳物業はあったのだ。

学習院旧正門。一般社団法人新宿観光振興協会ホームページより学習院旧正門。一般社団法人新宿観光振興協会ホームページより

日本中から集まった鋳物業者

町の至る所に鋳物が使われている町の至る所に鋳物が使われている

こうして発展した鋳物業は、いったいどういう人たちが支えたのか。詳細を1948〜50年に東京大学社会学科が調査している。調査リーダーは東京大学教授の尾高邦雄である。

調査によれば、鋳物業の事業主の出生地は60%が埼玉県、10%が東京都、残り30%はそれ以外だった。埼玉県中心とはいえ、かなり広汎に全国から事業主が集まったのである。
もともと鋳物業を営んでいたという者は半数以下であり、約6割は自分が初代であった。父親が鋳物業だった者は39%であり、農業だった者が35%、商業が11%、工業が8%いた。

また従業員は川口市出身者が33%、残りは市外出身。前職は「なし」が62%。非常に若い人たちが集まってきたことが推測される。
前職のある者のうちでは、工業が40%だが商業が42%。
つまり6割以上が初めて仕事に就いたのであり、前職のある者も6割が工業ですらなかった。
このように鋳物業の発展を見込んで、他の地域・他の産業から若い人々が移転してきたのである。

大河ドラマとのかかわり

ところで調査のリーダーはなぜ尾高邦雄だったか。もちろん彼が産業社会学の権威だったからだが、彼の祖先が埼玉県深谷市出身だったことも影響していると思われる。

尾高邦雄は、現在放送中のNHK大河ドラマ『青天を衝け』で渋沢栄一の兄貴分である尾高惇忠の孫である。渋沢家と尾高家も親戚関係だが、この二つの家の人々は極めて優秀であり、尾高家だけでも、邦雄はマックス・ウェーバーの『職業としての学問』(岩波文庫)の訳者としても知られるし、邦雄の息子は労働経済学者で一橋大学名誉教授の尾高煌之助である。

邦雄の兄には法哲学者の尾高朝雄がおり、弟には指揮者の尾高尚忠。尚忠の長男は作曲家の尾高惇忠(祖父と同名)、次男は指揮者の尾高忠明であり、忠明は「青天を衝け」でテーマ音楽を指揮しているのである。

今年は、川口や埼玉への注目が増えそうだ。


参考資料
宇田哲夫『キューポラの町の民俗学』ブイツーソリューション、2019
『川口市史 通史編 上下巻』1988
尾高邦雄編『鋳物の町』有斐閣、1956

鋳物工場の跡とマンション鋳物工場の跡とマンション

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