井の頭池の南側にある住宅地

住宅地は庭が広く生け垣が多い住宅地は庭が広く生け垣が多い

井の頭(いのかしら)の名は、江戸時代、徳川家光が鷹狩りにこの地を訪れた際、湧水がほとばしるように出ているのを見て命名したものだという。「井」は水の出るところという意味であり、井の頭池は神田川の源流であるから、まさに井の頭の名にふさわしいといえる。

井の頭公園は花見の季節などを中心に一大行楽地として人気であるが、江戸時代からすでに行楽地として親しまれてきた。公園は吉祥寺駅から近いから武蔵野市かと誤解されるが、公園自体は東京都のもの、池の西や北は武蔵野市、南や東が三鷹市である。

井の頭池の南西部には井の頭弁財天があり、そこに至る参道が南に延びているが、弁財天から10mほど急な階段を上らないといけない。階段を上ったあたりが三鷹市井の頭4丁目。最寄り駅は井の頭線井の頭公園駅であり、駅の周辺は井の頭3丁目、2丁目になる。井の頭1丁目は一駅先の三鷹台駅の東側である。このように井の頭という町名は井の頭池から神田川や井の頭線に沿って1kmほどの一帯である。

住宅地は庭が広く生け垣が多い1941年の井の頭公園駅南側。駅の近くは宅地化しているが西側はまだ松林だ(出所:土屋恂「井の頭 昭和の街並み」ケヤキ出版2012)

先ほどの参道の入り口は吉祥寺、井の頭公園通りという商店街のある通りにつながる。
この通りはかなり古い道と思われ、吉祥寺方面と甲州街道をつなぐ道のようである。幅が狭いが一方通行ではないので、車がすれ違うのがやっとだ。今はあまり活気のある商店街とはいえないが、昔は栄えていたようで、昭和16(1941)年の地図を見ると、一通りの店がそろっている。だが住宅地は井の頭3丁目には多いが、4丁目はまだ少ない。

住宅地は庭が広く生け垣が多い1978年の井の頭公園通り商店街(出所:土屋恂「井の頭 昭和の街並み」ケヤキ出版2012)

本格的住宅地化は戦後

井の頭2、3丁目が住宅地化したのは大正時代のようであり、それまでは純農村だった。井の頭地域の南側の玉川上水から水を引いて畑がつくられてもいたが、多くは松林だったらしい。

甲武鉄道(現・JR中央線) の吉祥寺駅は1899年に開設されていたが、井の頭地域が住宅地となっていくのは主に大正12(1923)年の関東大震災後である。
さらに1930年に三鷹駅、さらに1933年には帝都電鉄(現・京王井の頭線)の井の頭公園駅と三鷹台駅が開設されて、井の頭2、3丁目の住宅地化が進む。

玉川上水沿いの心地よい環境の住宅地玉川上水沿いの心地よい環境の住宅地

地図を見る限り4丁目に住宅が増えたのは戦後らしいが、とはいえ、全体としては井の頭地域はとても静かで、家も大きく、ゆったりとしており、庭も広めで、緑が多い。
井の頭公園の豊かな緑や、玉川上水沿いの緑と一体化しているので、実に良好な住宅地である。ジブリ美術館も近く、テニスコートなどのスポーツ施設も豊富である。
玉川上水沿いはコナラなどの木が多いので、カブトムシも生息し、野鳥も多い。運が良ければ鷹を見つけることもできるだろう。

玉川上水沿いの心地よい環境の住宅地玉川上水の清流

アートな雰囲気と食へのこだわり

花と緑が多い住宅地花と緑が多い住宅地

住宅は基本的には戸建住宅が多いが、アパートや古いマンションも混ざっている。吉祥寺に住みたいが予算が足りないというと、井の頭地域を案内されることも多い。
また玉川上水に近づくと建築家が設計した家がとても多い。武蔵野美術大学が吉祥寺にあったせいだろうか。玄関周りを見ても、窓辺を見ても、芸術系の人たちが多く住んでいそうだということがすぐにわかる家並みである。

さて、このように絵に描いたような緑豊かで閑静な住宅地である井の頭地域だが、先ほど述べたように商店街はやや寂しい。住民の高齢化も進み、人口も次第に減っている。

キッチン用品の店「ツチキリ」キッチン用品の店「ツチキリ」

ところがこの数年ほどの間に新しい店も増えてきたのである。中でもこだわりの飲食店やお弁当屋さん、コーヒー店、また食器店などができ、特に女性が経営する食関連の店が増えたようだ。またそれらの飲食系の店の多くが自宅を改造したものであるというのも面白い。

また写真専門の古書店や古道具屋もできている。こだわりの飲食系は比較的多くの地域で最近増えているが、写真専門古書店や古道具屋となると、そうどこにでもあるものではない。さすが吉祥寺文化圏だと感心する。やはりちょっととんがった文化がないと吉祥寺文化圏らしくない。

井の頭のシェアキッチンでインキュベート、吉祥寺駅前に進出

こうした新しい店をネットワークするように活動しているのが2014年にできた場所#4(通称:イノヨン)である。

これは建築家の笠置さん・宮口さん夫妻が自分たちの建築事務所兼シェアオフィス、さらに日替わりの飲食店を入れたビルである。笠置さんはもともと実家が吉祥寺の商店街である。
だがイノヨンのような場所を借りるには吉祥寺は家賃が高い。そこで実家からも歩いて行ける距離ということで井の頭4丁目の物件を探した。

写真集の古本書店 ブック・オブスキュラ写真集の古本書店 ブック・オブスキュラ

ビルはもともと内装関連の店だったらしいが、ビル内がスキップフロアになっているので、事務所、シェアオフィス、飲食店がつながりながら活動している様子が見えるのが面白い。

家賃も吉祥寺駅の近くに借りるよりは半額で済むらしい。イノヨンで1年間ほど日替わりでイタリア料理店をして資金を貯めた夫婦が、21年3月にはついに吉祥寺駅近くに独立して店を出したばかりである。つまりイノヨンは吉祥寺周辺におけるインキュベーターの役割を果たしているわけだ。

写真集の古本書店 ブック・オブスキュライノヨンで店を出す、自家製酵母と古代小麦を使ったお菓子とパン類を売るカーザイルンガさん
写真集の古本書店 ブック・オブスキュラ米粉をつかった料理の店「粋」

楽しく歩けるストリートづくり

笠置さんは最初から地域をネットワークしようと深く考えていたわけではないそうだが、ちょうどイノヨンをつくったころから、先述したように新しい店がポツポツとできはじめ、お互いに交流が始まったらしい。

また笠置さんは三鷹市の「ウォーカブルミタカ」プロジェクトにも関わっている。JR三鷹駅南口の中央通り商店街を、自動車が通らない安心して楽しく歩ける街にする市民主体の実証実験である。

井の頭公園は花見の季節などを中心に一大行楽地として人気であるが、江戸時代からすでに行楽地として親しまれてきた。井の頭池の南側に並ぶ住宅地を歩く。神田川源流沿いの小公園は子ども連れが多く平和な雰囲気

いずれ井の頭公園通りの商店街もウォーカブルなストリートとするべく、土日の昼間だけ歩行者天国にするなどの活動をできればいいなと考えているとのこと。

狭い道に自動車が走ると安心して楽しく歩くことはできない。そうすると客が増えると言っても限界があるので店も増えていかない。
あまりにたくさん店が増える必要はないが、公園で遊ぶ家族連れなどがついでに立ち寄る店はもう少し増えてもいいはずで、そのためには安心して楽しく歩けるストリートにすることが必須だ。

そうしてストリートを知った人たちが、井の頭地域の良さに気づけば、住民も増えていくだろう。

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