トキワ荘を核としたまちづくり
最近椎名町が盛り上がっている。手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎らをはじめとする戦後日本漫画史の聖地トキワ荘が復元され、2020年7月、豊島区立マンガミュージアムとして開館したのだ。
それを機に街全体が、漫画を軸としてまちづくりを展開している。行ってみると、街のあちこちにトキワ荘関連のモニュメントがあり、楽しめる。トキワ荘に住んでいた漫画家たちが通った町中華店の松葉も現役であり、店内にはたくさんの漫画家の色紙が飾ってある。
松葉にかぎらず、椎名町は町中華がたくさんある。しかも安い。タカノという店は、目立たない小さな店だが、ラーメンが350円、餃子も350円、チャーハンは500円であり、3つとも食べても1,200円という安さである。しかも美味いのだ。
チャーハンは分厚いチャーシューが入っているし、量も多めである。チャーハンに鶏の唐揚げをのせるというメニューもあるらしく、唐揚げがてんこもりである。ここまで安くて美味い店がほかにもあるのか知らないが、とにかく町中華がたくさんある。これは学生、フリーターなどは住みやすそうだ。
心和む昭和の雰囲気
街の雰囲気は全体に昭和である。世田谷あたりだともうほとんど見ない様式の古い商店が残っている。
商店街は場所によってはシャッターが降りていてちょっと寂しいが、駅の北口などはまだまだ元気である。とんかつ屋の「一平」をリノベした「シーナと一平」があることも、知る人ぞ知る事実。たしかにリノベして自分の店を開きたい人にも最適な街だと思う。
商店街から一歩入ると静かな住宅地であり、戦前の文化住宅タイプの家もまだいくつか残っており、なんとも言えず心が和む。
もちろん大通り沿いなどには新しいマンションも増えているので、快適な生活を望むのであればそちらに住めばよい。
芸術家たちが住んだ
椎名町駅の北側には戦前「長崎アトリエ村」という芸術家が多く住む地域があったことも有名だ。昭和初期の上落合、東中野、高円寺、角筈といった一帯は、小説家、絵描き、演劇関係者などが多く、社会主義的な雰囲気も持っていた。そうした中で長崎アトリエ村も形成されることになったらしい。
アトリエ村ができる以前から、画家・萬(よろづ)鉄五郎は豊島区高田に転居してきていたし、1916年には立教大学の築地から池袋への移転が始まり、同年、安井曾太郎が高田に転居(34年に下落合に転居)。20年には落合に佐伯祐三が転居。21年には自由学園が高田に開校、というように、池袋駅西側に芸術家達は住むことが増えていた。
みんなで助け合って暮らしたアトリエ村
アトリエ村が最初につくられたのは1931年、豊島区要町(当時は豊島郡長崎町荒井)。画家・奈良次雄の祖母が、孫と同じように美術家を目指す人たちのためにアトリエ住宅を数軒建てたのが最初である。低湿地帯に葦やすすきが生い茂り、麦や大根の畑が広がっていた。また竹やぶが多く、すずめがよく飛んでいたため、「すずめが丘アトリエ村」と呼ばれた。
またアメリカ帰りの資産家・初見六蔵によって建設された長崎二丁目の「さくらが丘パルテノン」は、1936年ごろから40年ごろにかけて第一パルテノン、第二パルテノン、第三パルテノンと拡張し、アトリエ住宅が60軒もあった。また戦後も、千早二丁目から三丁目にもアトリエ住宅が建てられたという。
アトリエ村に住んだ芸術家たちは、デッサンのモデルを共同で頼んだり、共同自炊したりすることもあったというからトキワ荘の漫画家たちと似ている。椎名町にはどうもそういう若い貧しい芸術家たちを支援する雰囲気があるようだ。
アトリエ村以外にも、映画「モリのいる場所」で広く知られるようになった熊谷守一が池袋に転居したのは33年である(33年に長崎アトリエ村に転居)。36年には松本竣介が落合に住んだ。池袋西口にはクロッキー研究所が開設。「池袋美術家クラブ」が結成された。
そして38年には小熊秀雄が『サンデー毎日』に「池袋モンパルナス」を発表する。パリのモンマルトルが有名芸術家の住む場所であるのに対してモンパルナスが、モジリアーニらの新しい芸術に挑む貧しい芸術家の住む場所になったように、東京芸術大学のある上野の丘の上に対して、池袋の低地をモンパルナスになぞらえたのである。
階段のきしみまで再現
さて復元されたトキワ荘のほうは、階段のきしみ、台所のコンロや洗剤、天井のシミ、トイレのよごれまで再現したという力作だ。
トキワ荘の2階は、漫画家たちが住んだ各部屋が記憶や記録に基づいて正確に再現されている。テレビなどけっこう物持ちの人もいれば、机と原稿用紙だけといった部屋もあり、漫画家それぞれの個性が感じられて面白い。
1階には、トキワ荘ゆかりのマンガ家の作品を自由に閲覧できる「マンガラウンジ」や、展示やイベントを開催する「企画展示室」がある。2021年1月から4月までは「トキワ荘と手塚治虫 ―ジャングル大帝のころー」という展覧会がある。
手塚治虫のファンというと、手塚自身の同世代の現在の90歳くらいから、現代の若者まで幅広い。藤子不二雄となるとドラえもんのおかげで今も小さな子どもたちに人気である。つまり、ほぼ全世代の日本人がトキワ荘の漫画家たちになんらかの愛着を持っているのだ。これはものすごい資源である。
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