お正月にいただく御神酒(おみき)とは

お正月は御神酒(おみき)をいただくなど、日本酒を飲む機会が多い。
そもそも御神酒は、神事などで神に捧げられるお酒のこと。米でつくられた日本酒や餅は神道において重要で、「御神酒の上がらぬ神はなし」といわれるほど神饌には欠かせない。そして神事の後に「御神酒」として参列者などに下賜されることもある。

神事に供えられるのと同じものを「御神酒」として酒屋などで販売されることもあるが、狭義には、神前に供えられたものだけが御神酒とされる。神事に参列せずとも、神社の社務所などで授与されていることもあるので、確認してみるとよいだろう。かつては日本酒を醸造する神社も数多くあり、蔵人の監督者である「杜氏(とじ)」の語源は、社司……つまり神職のことだとする説もあるほどだ。

現代も神社で醸される日本酒もある。有名なのは三重・伊勢神宮で醸される白酒・黒酒・醴酒だろう。神宮所有の田で実った米と外宮そばの御井神社の水で、神職らによって醸造される。神事のためのものなので崇敬者さえ飲むことはできない門外不出の酒だ。
出雲国風土記に「百八十の神が集まって酒を醸した」と書かれている島根・出雲の佐香神社でも、神社前の神田で育てた米で、宮司自らが杜氏となって日本酒を醸されている。この酒は10月の例祭・どぶろく祭りでふるまわれるので、参列すれば味わうことができる。

日本酒の特徴と歴史を見てみよう。

伊勢神宮へ奉納された菰樽(こもだる)伊勢神宮へ奉納された菰樽(こもだる)

日本酒は世界でも珍しい並行複発酵の酒

日本酒をつくる「杜氏(とじ)」の語源は、社司ことだとする説もある日本酒をつくる「杜氏(とじ)」の語源は、社司ことだとする説もある

米を醸した日本古来の酒、日本酒は世界でも珍しい「並行複発酵」で造られる酒だ。
酵母は糖を分解してアルコールと二酸化炭素を生成するから、果実で酒を醸造するのはさほど難しくない。果実から糖分がたっぷり含まれたジュースを絞って放置しておけば、酵母がついて発酵し、アルコールになる。しかし穀物を発酵させるには、まず糖化せねばならない。ビールやウィスキーの原料は大麦麦芽。大麦が発芽するとアミラーゼの働きにより糖化するのだ。日本酒の糖化は米麹の作用だ。米麹もアミラーゼを分泌し、米のでんぷんを糖化する。米麹による糖化と、酵母による発酵が同時に行われるのが並行複発酵だ。また、漸次的に糖化されるため、蒸留していない酒としては、比較的度数が高い。

日本酒が生まれたのがいつか定かではないが、奈良時代に編纂された『日本書紀』の神代条にはすでに、米で醸された酒が登場する。日本書紀は「一書に曰く」と、複数の伝承を紹介しており、米の酒について言及されるのはその一書のひとつだ。

天照大神の孫である瓊瓊杵(ににぎ)が地上に降臨し、絶世の美女 木花開耶姫(このはなさくやひめ。この書には神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)の別名で登場する)と結婚するが、一夜で妊娠したため不貞を疑う。姫は疑いを晴らすため、「もし私に罪がなければ私自身も子も無事でしょう」と宣誓したのちに産屋に火をかけ、炎の中で出産するのだ。そうして生まれたのが火明(ほのあかり)、火進(ほのすすみ)、火酢芹(ほすせり)の三兄弟で、火明と火酢芹は山幸彦と海幸彦としても知られる。そしてこのとき姫は、占いによって神饌の田を定め、その米を噛んで「天甜酒(あめのたむさけ)」を作って無事の出産を祝った。
このように米麹ではなく唾液により米を糖化させて造った酒を「口噛み酒」と呼ぶ。

神々とゆかりの深い日本酒

日本書紀にはその後も度々日本酒が登場する。
たとえば第十代崇神天皇国に疫病が流行したので神に祈ると、崇神天皇七(BC91)年春二月十五日に大物主(おおものぬし)が現れて、「我が子大田田根子(おほたたねこ)に私を祀らせれば、国は平和になるだろう」と告げた。このときに創建されたのが大物主を祀る大神(おおみわ)神社だ。その後大田田根子は活日(いくひ、人名)に大物主に酒を捧げる役目を任じる。酒を醸した活日は、「コノミキハ、ワガミキナラズ、ヤマトナス、オホモノヌシノ、カミシミキ、イクヒサ、イクヒサ」と歌うのだが、宇治谷孟訳によれば、歌の意味は「この神酒は私の造った神酒ではありません。倭の国をお造りになった大物主神が醸成された神酒です。幾世までも栄えよ、栄えよ」となる。

さらに神功皇后十三(213)年春二月十七日、太子(のちの応神天皇)の成人を祝う宴会で、皇后は酒を醸し「コノミキハ、ワガミキナラズ、クシノカミ、トコヨニイマス、イハタタス、スクナミカミノ、トヨホキ、ホキモトヘシ、カムホキ、ホキクルホシ、マツリコシミキソ、アサズヲセササ」と謳っている。宇治谷孟は「この神酒は私だけの酒ではない。神酒の司で常世の国おられる少御神が、側で歌舞に狂って醸して天皇に献上してきた酒である。さあさあ残さずにお飲みなさい」と翻訳しており、活日は大物主神が、神功皇后は少御神が日本酒を醸したとしているのがわかるだろう。少御神は少彦名(すくなひこな)のこととされており、大物主とともに大神神社で祀られている。大神神社が酒の神様とされるのは、この神話ゆえだ。
木花開耶姫を酒の神「酒解子神」として祀る梅宮大社も、酒の神社として知られている。

さらに仁徳天皇六十二(375)年には、闘鶏(つげ、現在の奈良市都祁吐山町)で洞窟を見つけ、土地の支配者に何かと尋ねると氷室であると教えられたとある。氷室で保存された氷は、暑い季節に酒に浮かべたという。
神話の時代から酒は神にささげるもの、お祝いの席で飲まれるものであったこと、そして古代の天皇も酒を楽しんでいたことがわかるだろう。

木花開耶姫を酒の神「酒解子神」として祀る梅宮大社木花開耶姫を酒の神「酒解子神」として祀る梅宮大社

日本酒の進化

原始の米酒は口で噛んで米を糖化する「口噛み酒」であったと考えられるが、元明天皇(在位期間は707年~715年)の勅により編纂された『播磨国風土記』宍禾(しさは)の郡の比治(ひじ)の里、庭音(にわと)の村の条に、麹菌による酒造を思わせる記事がある。大神に捧げる乾飯が濡れてかびが生えたので、酒を醸させて庭酒として奉り、酒宴をしたというのだ。現在の米麹は品種改良を重ねられたものだが、遅くとも奈良時代には麹菌が利用され始めていたのだろう。ちなみに大神とは、播磨の土地神である伊和大神のことだと考えられる。

当初はどぶろくだったが、時代が下るともろみを濾し取った澄み酒、いわゆる清酒が誕生するが、その発祥は奈良市にある正暦寺と、伊丹市の鴻池とする二説がある。正暦寺では「僧房酒」の醸造が盛んで、その技術を結集して作られた「南都諸白(なんともろはく)」が清酒の起源としている。南都諸白は平安時代中期からつくられてきた歴史の古い酒だ。鴻池は尼子氏の家臣が移り住んで酒造りを始めた土地で、慶長五(1600)年に発明された双白澄酒の製法が清酒の起源とする。年代に大きな隔たりがあるが、清酒がいつ誕生したか断言できる資料はない。

江戸時代になっても、日本酒は関西のものが上等とされた。関西から船で運ばれた酒は「下り酒」と呼ばれ、もともと良い水と高い技術で醸された酒が波の振動でさらにまろやかになるとして、高値で取引されたようだ。

一時、洋酒の流行により、日本酒は人気低迷する。さらに日本酒離れを引き起こしたのは、大酒造による「樽買い」であるとも言われる。小さな酒蔵から樽ごと酒を買い取ってブレンドしたため、酒それぞれの個性が消えてしまったのだ。しかし地方の個性豊かな日本酒が注目されるようになり、酒蔵それぞれが研究と研鑽を重ねた結果、日本酒人口も増えてきた。

同じ蔵で、同じ杜氏によって、同じ原料で造られても、米の出来や気候などによって日本酒の味は毎年変化する。
お正月には、神々との古い関わりを思いながら、日本酒をいただいてはいかがだろうか?

■参考文献
宇治谷孟訳『日本書紀』株式会社講談社 1988年6月10日 第一刷発行
吉野裕訳『風土記』株式会社平凡社 2000年2月15日 初版第一刷

神々と関係の深い日本酒。いまでは世界でも受け入れられ始めている神々と関係の深い日本酒。いまでは世界でも受け入れられ始めている

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