一人の元キャリア官僚の想いからスタートした
地下鉄半蔵門線・水天宮前駅から徒歩約5分、雑居ビル街の一角に「ソーシャルビジネスラボ(SBL)」がある。築約50年の古い空きビルを活用し、シェアハウスとイベントスペース、コワーキングスペース、ショップからなる複合施設だ。ここは、新しいソーシャルビジネスを生み出すことをテーマに、「NPO法人芸術家の村」がサブリースで運営する。同団体の代表・柚木理雄(ゆのき みちお)氏が空き家問題への取組みとして、手掛けた1号案件だ。
柚木氏が団体を立ち上げるきっかけになったのは、2011年の東日本大震災だったそうだ。柚木氏は、京都大学出身で農林水産省のキャリア官僚だったが、まさか現在のようなライフスタイルになるとはまったく想像もしなかったと、立ち上げ当時を振り返る。
「東日本大震災の時、官僚として対応していましたが、いろいろな歯がゆい事態にぶつかりました。食料が届いても人数分がなく、不公平になるのを防ぐため配れなくなることが起きるなど、行政側の画一的にしようとする姿勢に無理があると感じました。行政サービスは、不満を消そうとするあまり、満足度が低くなりがち。日本がもっと良くなるためには、メリハリのある個性を出すべきだと私は考えるようになりました。例えば、まちづくりの現場は、地域の特徴を出した方が、うまくいくケースもあります」
同氏がかねてより課題として感じていた空き家問題について、何とかしたいという想いから、東日本大震災後、仲間を募り喫茶店に集まって勉強会を始めたところ、近い考えの人たちが集まってきた。2012年5月に団体を立ち上げる方針となり、2012年12月に「NPO法人芸術家の村」の法人登記が完了した。
ソーシャルビジネスのための拠点づくりとなった
柚木氏が、「空き家を活用したプロジェクトをしたい」と、あちこちで公言していたところ、友人から、現在の場所が空いていると、話が舞い込んできた。最初に訪ねた2012年より何度も足を運び2013年8月にオープンにこぎつけた。
「やりたいことを実現するには、まわりに言いつづけることが大事」と柚木氏。そして、フットワーク軽く、興味があれば実際に足を運んでみることも大切だという。
当初は、施設名を「芸術家の村」にする予定だったが、柚木氏がバングラデシュに行って、考えが変わったそうだ。2013年の7月、たまたま財務省の先輩のつてで、ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏を訪ねることができた。同氏はマイクロ・ファイナンスを立ち上げ、貧しい女性に無担保で少額の資金を貸し出す仕組みを構築し、バングラデシュの貧困問題に立ち向かっている。まさに世界のソーシャルビジネスを推し進める立役者だ。行く前に同氏の著書を読み感銘を受けていた柚木氏は、帰国後、ソーシャルビジネスを日本で展開したいと思った。そこで、ソーシャルビジネスラボ(SBL)という名前にしたのだ。
ところでなぜ、このような複合施設になったのだろう。
芸術家の村の活動として、喫茶店での勉強会は継続していたが、メンバーは社会人のため、残業などで時間が遅くなると話せないことが多々あった。そこで、「一緒に暮らせば、いつでも打ち合わせができる」と、シェアハウスにすることを考えたのだという。もうひとつの理由は、会議室としての活用だ。休日に打ち合わせで、喫茶店に10人から20人が集まると、費用は2、3万円にもなる。さらに毎回場所が変わり、道に迷って遅刻する人もいた。であれば、このビルで会議室を持てば便利だと考えたのだ。
また、各個人の活動が本格化し、NPOとなるためには、登記をする場所が必要になってくる。賃貸住宅だと登記ができないところも多いということで、コワーキングスペースができた。さらに「芸術家の村」では、NPOや地域でモノづくりをする人たちと知り合う機会が多く、メンバーの中から「やりたい!」という声が上がり、ショップがスタートした。
まさに活動の実用性から生まれたアイデアだったのだ。
日本では数少ないエシカルブランドのセレクトショップ
建物はSBL1とその道路を挟んだ向かいにあるSBL2からなる。SBL 1は5階建てのビルで、4階と5階がシェアハウス、2階と3階をレンタルスペース、1階がショップとしている。築約50年の建物なので、エレベーターがついてない。それもあって、空きビルになっていたのだろうと柚木氏。
1階では、日本初のエシカルブランドのセレクトショップ「エシカルペイフォワード」を運営中だ。
エシカルとは、「倫理的」「道徳上」という意味でフェアトレードと同じ考え方だ。コンセプトは、人にやさしい、地域にやさしい、地球にやさしいの3つで、フェアトレード、健康、災害復興支援、環境問題に関連したテーマだと言えそうだ。
現在、40を超えるブランドを扱い、約600点の商品の販売をしている。生産から販売まで、たった1人の代表、少数のメンバーで行っているブランドが多く、店舗を持とうと思っても難しい。そんな中でエシカルブランドのセレクトショップをやることができればと柚木氏は考え、「芸術家の村」がリアル店舗とネット通販を手掛けることになった。店舗には例えば、愛媛県のミカン農家による化粧品やジュース、南米でアルパカの毛を使った靴下やカーディガンなどがあり、アクセサリ、服、靴、バッグ、雑貨、食品、化粧品など商品が幅広い。
一方、シェアハウスは個室が4つあり、現在は満室状態だ。4階にキッチンとダイニングがあり共有スペースとして利用されている。2階と3階にはそれぞれ約12畳の広さのレンタルスペースがあり、セミナー、勉強会、地域の集まりなど、多目的に利用されている。
SBL 2は向かいのビルの2階にあり、コワーキングスペースとして提供。法人の事務所として必要な登記も可能だ。
起業を実現できる環境を整えている
SBLは、利用者同士のマッチング・事業支援を行うことで利用者の社会活動を促進し、新しいソーシャルビジネスを生み出すことを目指している。
この場所を利用して起業している人が実際にいて、代表の柚木氏の他、このシェアハウスを巣立った男性も起業し、鎌倉を拠点にコーチング等の事業を行っている。現在、居住しているカップルは、NPO法人を立ちあげ積極的に活動をしている。また、複業としてNPOに関わる人もいるそうだ。
ここで提供しているのは「場」であり、働き方が多様化している中で、何かをやりたいと考える人や、小さな活動から始めようとするのには適した環境だろう。
よくコラボだ、コミュニティだ、というような話があるが、実際、本気で新しいことを始めようとしている人の場合、人のことを手伝っている時間の余裕はなく、一緒に住んでいるものの、それぞれが自分のことに邁進している。だからこのシェアハウスでは、過剰な交流をつくろうとするよりも、自分のやりたいことに集中しやすいよう、プライベートを保つために夜中は騒がないなどのルールをつくり、運営管理をしている。
一方で、3ヶ月に1回程度、入居者と相性の良さそうな方で20名程度の少人数の交流会を開催している。それ以外は、それぞれの入居者が、無料で利用できる会議室などを活用して、関心のあるテーマでセミナーや勉強会等の活動もしているそうだ。
SBLをきっかけに新しい展開が期待される
現在、シェアハウスは稼働率が高く、いつもほぼ満室だ。コンセプトがしっかりとあるのが、人気の理由だろう。家賃は6.2万円~7.2万円(居室面積で異なる、光熱費別途プラス月額1万円)だが、空きが出た際、Facebookの告知だけですぐ応募がくる。入居時の面接では、SBLで何をやっていきたいかを聞くそうだ。
「場があることで多くのNPO法人とのつながりができ、互いの距離感もちょうどいいんです」と柚木氏。
柚木氏は、SOIFという様々なNPOに寄付をする活動、CollaVolというボランティア募集をするWebサービスも手掛けている。
さらに、浅草橋では「地域と世界をつなぐ」をコンセプトにしたゲストハウス/カフェ&バー「Little Japan」を2017年に立ち上げ、翌2018年には月1.5万円〜のホステルパスで全国のホステルに泊まり放題になる「Hostel Life」を仕掛けたりと、新しい企画に次々とチャレンジしている。
「人との縁は不思議なもの」と柚木氏。
「たくさんの人と出会ったからすぐに何かが起こるわけではないですし、そんなことを考えて人と出会ってきた訳ではありません。ただ、このSBLで出会った人とのご縁が、いつの間にかつながって今があり、様々な方と一緒に仕事をするようにもなりました」。
まさにSBLがきっかけとなり、新しいプロジェクトが走りだしているようだ。
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