約480年の歴史を持つ家具のまち・大川
「タオル」といえば愛媛・今治、「鍛冶製品」といえば新潟・燕三条、「めがね」といえば福井・鯖江など、日本にはその町の名前を聞けば、代表する生産品をパッと思い浮かべることができる市町村がいくつかある。福岡・大川市もその一つ。特に九州に縁がある人なら、「木工のまち」「家具のまち」という代名詞が、すぐに出てくるのではないだろうか。
大川が「家具のまち」と呼ばれるようになった所以は、今から約480年前の室町時代までさかのぼる。有明海につながる九州最大の大河・筑後川の下流にある大川は、干満の差が大きいことから天領・日田(大分)と貿易港の長崎や薩摩を繋ぐルートの立ち寄り港になっていた。多くの船が往来したことから腕のいい船大工が育ち、造船技術が発達。次第に、九州の船のほとんどが大川で造られるようになったという。その船大工が日田から運ばれてきた木材を加工するようになり、釘を使わずに組み立てる指物(さしもの)の製造を始めた。それが町の産業として根付き、今なお続く「家具のまち」の起源となったのである。
時代の変化に飲み込まれ・・・
面積33.62km2。車なら約20分で市の端から端まで行ける広さの大川市には、今も木工に従事する会社が約300社ある。聞いたときは「300社も!さすが伝統があるまち」と思ったのだが、1945年創業の家具メーカー・丸庄の代表取締役・酒見俊郎さんの話を聞いて、それが順風満帆な数字でないことがわかってきた。
「戦前から大川では、どの会社も大型のタンスや食器棚などの婚礼家具を造っていました。50年ほど前に大川市全体で機械化が進み、大川の婚礼家具は手頃な値段で買えるため、広く普及していきました。その頃、高級品を造っている会社はなかったですね。私の会社は父の代で機械化が遅れたため、二十歳前で会社を継いだ時に、高級路線に転換しようと思いました。しかし、初めて九州を出て、本州へ売り込みに行ったときには『なんだ、大川か』と足蹴にされたこともあります。「大量生産」で町の基盤ができていた大川の家具に、ステータスなどなかったんですね。その後、1990年代から婚礼家具の需要が減っていき、1995年の阪神大震災以降、大型の家具は下敷きになるのではと不安に思う人が多かったようで、一気に敬遠されるようになりました。私のところも、取引のあった百貨店から『150cm以下の家具にしてほしい』という要望が入るようになりましたからね。婚礼家具を専門にやっていた周辺の会社は、変化に対応できず、ほとんどが倒産していきました。うちも倒産ギリギリの状態になりました」。
再起をかけ、職人と行政が一丸となって再スタート
歴史が古く、その技術が脈々と受け継がれている街や産業でも、時代の変化に対応できなければ生き残れないということだろう。一時期は大成功を収めた大川も、20年ほど前は苦境の時代だった。
酒見さんの言葉どおり、もともと大量生産で繁栄した大川の主力商品は「箱もの」。しかし、生活スタイルや家族形態の変化により、インテリアショップで売れるのは「脚もの」といわれる椅子やテーブル、ソファーになっていた。過渡期を乗り越えた会社や新規参入の会社のほとんどが、ニーズに応えるべく、脚もの商品の開発・製造に取りかかったが、業界的には新参者という立場。箱ものと脚ものでは必要になる技術が全く異なる上に、大量生産ではない“オリジナリティー”という点で苦慮した会社も少なからずいたようだ。各社が工夫を凝らし、なんとか大川の家具生産を再起させようと、各々でもがいていた時期ではなかっただろうか。
約10年前からは少しずつ「〇〇社のソファーはオシャレ」「△△社の椅子は他にはないデザイン」など、会社がピンポイントで注目されるようになったが、大川全体のイメージアップや繁栄には、まだまだ心許ない状態だった。しかし、2014年。国が「まち・ひと・しごと創生法」を策定したことを受け、大川市も人口減少の抑制や地域活性化を目的とした「大川市まち・ひと・しごと創生総合戦略」を策定。そこに明記されたのが「インテリアのまち 大川の活性化」だった。
「ネコ家具」が大川を救う!?
インテリアのまちとして再起すべく、タッグを組むことにした行政と職人。大川市役所インテリア課の石橋広通さんによると、活性化のために特に力を入れているのは「高い技術力を持つ職人たちが、しっかり造っているという価値と魅力を全国、そして世界へと発信していくこと」と「後継者を育成すること」の2つだという。
その第1弾として、家具の質のよさを伝えるために発表されたのが「ネコ家具」である。企画時には「理解できない」と反対した職人もいたようだが、自由気ままなネコさえ虜にしてしまう大川の家具というコンセプトで発信したところ、SNSで大きな話題に。実際の家具と全く同じ形で、42%に縮小して造られたネコ用のソファーとベッドに、「どこで買えるのか」「配送して貰えるのか」といった問合わせが国内のみならず、香港などのアジア圏からも来たほどだった。ここまでの反響があるとは思いもしなかった職人たちは「こんなPR方法があるのか」と驚いたという。
伝統産業を残すためには、変化を恐れない
今年11月2日から4日には、家具だけでなく、建具や伝統工芸、醸造などあらゆる“職人”にスポットをあてたイベント「CRAFTSMAN’S DAY」を初開催する。柳川藩と久留米藩の領地の境で、武家時代の面影が残る藩境通りが家具の展示会場、1800年の歴史がある神社・風浪宮が地元食材をPRするためのダイニングになる。まさに「大川」という地域をステージにした、ものづくりのプレゼンテーション。風土に恵まれ、技が息づくまちであることを体感してもらうための新たな発信方法だ。
現在は、九州産業大学芸術学部の学生と企業がコラボレーションした家具を発表したり、職人塾を開いたりして後継者育成を目指しているが、CRAFTSMAN’S DAYなどのイベントを積極的に開催することも、後継者発掘の貴重な場になるに違いない。酒見さんは「ものづくりのワクワク感や思いを、若い人たちに残したいと思って、我が社でも若手を積極的に採用しています。それと同時に、見習い=給与なし、というような昔ながらのやり方では、後継者もいい技術も育たないので、この仕事で生活できる人をもっと増やしていくことも大事なことではないかと思っています。そのために、CRAFTSMAN’S DAYやネコ家具があるなら、大いに協力していきたい。大川には、もっと伸ばせる要素があると思っています」と語る。
伝統や歴史にあぐらをかくことなく、時代の流れを読み、恐れずに変化を受け入れていく。これからの伝統産業やまちの活性化には、そういう姿勢が求められているのかもしれない。
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