アメリカ郊外住宅地を思わせる、米軍ハウス中心の住宅地

周辺はごく普通の日本のロードサイド。その右手に突然アメリカ風のまちなみが現れる。かつてのジョンソン基地は通りの左側にあり、ごく近かった周辺はごく普通の日本のロードサイド。その右手に突然アメリカ風のまちなみが現れる。かつてのジョンソン基地は通りの左側にあり、ごく近かった

埼玉県入間市。最寄り駅西武池袋線入間市駅から公団住宅や図書館などのある住宅街を抜け、幹線道路沿いに歩みを進めると、突然、周辺とはまったく異なるアメリカ郊外のような住宅地が姿を現す。ジョンソンタウンである。

約2万5,000m2(7,500坪)の広大な敷地には平屋の一戸建てが合計79棟。中心となっているのは米軍ハウスと呼ばれる、かつての駐留米軍のための基地外の住宅23棟で、三角屋根と白い板壁が特徴である。その他の住宅も米軍ハウスに合わせたデザインで統一されているため、全体としてそこだけが別世界になっているのである。建物だけではない。隣家と距離をとったゆったりとした配置、柵などのない開放的で緑の多い雰囲気も日本の一般的な住宅地では見られないものだ。

さらに通り沿いや敷地内の一画にはカフェ、クリニックに雑貨店、スタジオなど様々な業種が60店近くも開業しており、まちなみに彩りを与えている。どこを撮っても絵になるまちなのだ。

こうした独特のまちなみが話題となり、最近ではテレビその他のメディアにも頻出。週末ともなるとわざわざ遠方から訪れる人も多い。そのため、人によっては観光地と思っているかもしれないが、ここは純然たる住宅地。しかも、20余年前には「磯野スラム」とまで言われたほどの場所だったと言う。

戦前は日本陸軍、戦後は米軍。軍関係者に住宅を供給

磯野商会は歴史を大事にしており、敷地内のオフィスには模型や歴史を伝える資料などを用意、視察などに対応している。周辺はごく普通の住宅街でジョンソンタウン敷地内だけに異なる空気が流れる磯野商会は歴史を大事にしており、敷地内のオフィスには模型や歴史を伝える資料などを用意、視察などに対応している。周辺はごく普通の住宅街でジョンソンタウン敷地内だけに異なる空気が流れる

現在ジョンソンタウンがある場所には元々農園があった。開発したのは石川組製糸という今はない会社で、1936年にその会社から36町歩(町歩は尺貫法の単位で、1町歩は約3,000坪≒9,900m2)を競落したのが現在の経営者である磯野商会の初代、磯野義雄氏である。

農園に住宅を作ることになったのは1938年に陸軍飛行場航空士官学校が所沢から現在のジョンソンタウンの敷地すぐ近くに移転し、士官学校の将校とその家族のための住宅が必要になったため。最初に建てられたのは約50戸。農園の中に日本家屋が建ち並ぶ住宅街だった。当時の日本家屋は現在も4棟が残されている。

航空士官学校と飛行場は終戦と同時に米軍に接収され、第5空軍入間基地(のちのジョンソン基地)となった。ジョンソンタウン(当時は磯野住宅と呼ばれていた)に米軍ハウスが建つことになったのは、1950年に朝鮮戦争が勃発、基地が増強されてそれまで基地内だけにあったハウスが不足したためだ。基地周辺の地主は米軍の要請で多数の米軍ハウス(当時は単に「ハウス」と称された)を建て、最盛期には700棟ほどあったと言われる。

しかし、現在の入間市内ではジョンソンタウン以外の米軍ハウスはほぼ建替えられている。ところがジョンソンタウンでは1954年に建てた24戸のうち、火災で焼失した1戸を除き23戸が現存している。ヨソが壊してしまったハウスを貸家として大切に使い続けてきたことで、日本の建築史上でも稀な価値がジョンソンタウンを他にないまちにしたのである。

基地返還後の荒廃を経て再生がスタート

1978年に基地は日本に返還され、航空自衛隊入間基地になるが、以降20年ほどは受難の時代だった。日本陸軍と米軍向けに建てた住宅だったが、そのどちらもがいなくなってしまった後は一般の日本人に賃貸するしかない。この間に荒廃が進んだのである。戦時下に登場した地代家賃統制令は1986年まで廃止されておらず、戦後のインフレ時代においても家賃は低いままに据え置かれていた。そのため、修繕費が捻出できず、家屋は老朽化し、十分なメンテナンスが行われないまま放置されてきた。また、家賃滞納は常態化していたと言う。住宅地内の通路は未舗装で雨が降ればぬかるんで水たまりもできた。下水道は未整備でトイレは汲み取り式とインフラも劣悪だった。

その状態に終止符を打ち、再生へと舵を切ったのは1996年に兄から事業を引き継いだ現社長の磯野達雄氏である。「子どもの頃に見た芝生に白壁のハウスの美しさが脳裏にありました。あのように再生したいと思いました。前職で長くマーケティング調査に携わっていた経験から米軍ハウスを中心としたジョンソンタウンの自由な雰囲気、緑深い生活環境は賃貸住宅として市場性が高いとも思いました。実際に、荒廃しスキマ風が入るような米軍ハウスを借りたいとわざわざ遠方から来る人が複数いらっしゃいました。また、長く地元で貸家業をやってきておりますから、良い住宅地にして地元に恩返ししたいとも思いました」。

家賃督促などを地道にやりながら、どうすべきかを考え続け、再生がスタートしたのは2003年。米軍ハウスは壊さずに改修。朽廃状態の日本家屋の大半は建替えることとした。ただ、取り壊す住宅であっても使える部材は捨てずに改修に使った。材料費節約のためもあったそうだが、結果的にはそれが功を奏した。古材があちこちに使われたことで古い建物と新しい建物とが違和感なく、融和する形になったのである。

日本の住宅地とは思えない、ゆったりした作り。敷地内ではその広さを生かしてイベントなども開かれている日本の住宅地とは思えない、ゆったりした作り。敷地内ではその広さを生かしてイベントなども開かれている

10年余をかけて住宅だけでなく、敷地そのものもリノベーション

再生には10年余が費やされている。隣接する公園より敷地が低いため、公園の雨水が流入し、米軍ハウスの床下はしばしば浸水した。そのため、土台や柱の根元部分が腐ってしまった箇所も多く、基礎・土台や構造体の補強、設備の入れ替え、断熱、内外装補修などが行われた。ほとんどのハウスでは内外装を撤去し、屋根と骨組みまでにして直す大規模なリノベーションが行われた。平成ハウスと呼ばれる新築の35棟については、米軍ハウスとの外観イメージの統一を図るため、平面サイズを4間×5間(尺貫法の単位。1間は約1.818m)の方形とし、棟高と勾配も統一した。外壁の色、ボリュームその他の細かいデザインコードの指針が作成され、それに基づいて建設が進められた。

建物そのものを改修、新築するだけではなく、建物の再配置や街路の舗装、広場の新設、電柱の移設、上下水道やセキュリティその他のインフラ、ライフラインの整備も行われた。植樹、車歩分離のための共同駐車場の整備なども行われ、まち全体が住みやすく、安全になった。

これらの作業を経て、ジョンソンタウンは他にない風景のまちとして甦った。しかも、変わったのは見た目だけではない。タウンの家屋の内外はバリアフリー化されており、子どもや高齢者、障がい者なども安心して住めるようになった。セキュリティカメラの導入でみまもりが可能になり、広い浴室で在宅介護もしやすくなった。

高い塀がなく、低い柵で囲まれた、路地のあるまちの中では人の目が子どもたちを守り、住んでいる人同士の会話が生まれる。地域イベントなど入居者同士が知り合える場もある。また、平成ハウスに関しては床暖房など最新設備が導入されており、住宅としての住み心地も大幅に向上した。

住宅エリアは主に敷地の奥まった、公園に近い部分に配されている。ショップと見間違えるほどしゃれた家もあり、居住者のセンスが窺える。住宅エリアでは人が自然と触れ合えるよう路地も作られている住宅エリアは主に敷地の奥まった、公園に近い部分に配されている。ショップと見間違えるほどしゃれた家もあり、居住者のセンスが窺える。住宅エリアでは人が自然と触れ合えるよう路地も作られている

自前で入居者募集、管理、修繕も。かけた手間が評価に

加えて、ジョンソンタウンには他にもいくつかの特徴がある。DIYは米軍ハウスの時代から可能だった。アメリカの住宅はアメリカの文化をも伝えたのである。ペットも同様。しかも、ペットのサイズの制限はなく、複数飼いも可能。入居者間にはペットのコミュニティもあるそうだ。

そしてもうひとつ珍しいのは、住みながら店を開くなど、職住一致ができる住戸があること。入間市駅がターミナルの池袋駅から急行利用でも40分以上と距離があり、さらにジョンソンタウンは最寄り駅から徒歩18分。その点を考えると自宅で仕事をする、働ける住まいという使い方があってもいいのではないかという発想なのだ。実際、店舗等があることは前述した通りだし、入居者にはライター、カメラマンや医師などが多いのだとか。

職業以外では東京や大阪、九州、海外など各地から引っ越してきた人が大半というのも特徴。サイズによって違うが、20坪(約66m2)で18万円~という家賃は8~12万円で同じくらいの広さの一戸建てが借りられるという入間周辺の相場からすると別格。そのため、磯野商会では地元の不動産会社に頼らず、早くからホームページを立上げ、現在はFacebookページでも情報を発信、自ら入居者を集めている。

そうした努力の甲斐あって2015年には国土交通省後援の都市景観大賞「都市空間部門」で大賞を、2016年には日本土木学会デザイン賞奨励賞、2017年には建築学会賞(業績)、キッズデザイン賞優秀賞(少子化対策大臣賞)を立て続けに受賞している。その人気は嬉しいものの、賑わいと住環境の両立、安全の確保その他考えることも増えたと磯野氏。長く住んでもらうためにはどうやってわがまち意識を生み、醸成していくか。磯野氏のまちづくりはまだまだ終わらないようだ。

敷地内には様々な業種の店舗が入っている。作りもそれぞれに凝っていて見ているだけで飽きない敷地内には様々な業種の店舗が入っている。作りもそれぞれに凝っていて見ているだけで飽きない

2018年 06月03日 11時00分