2015年7月8日、世界文化遺産登録された「旧グラバー住宅」

現存する日本最古の木造洋風建築「旧グラバー住宅」は、長崎市内の南山手の丘上の見晴らしのよい地に建つ現存する日本最古の木造洋風建築「旧グラバー住宅」は、長崎市内の南山手の丘上の見晴らしのよい地に建つ

2015年7月8日、政府が推薦していた「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。長崎の通称「軍艦島」や静岡県伊豆の国市の「韮山反射炉」など、幕末から明治にかけての重工業施設を中心とした国内23施設が世界文化遺産へ登録されたが、その中に「旧グラバー住宅」がある。

スコットランド人の事業家であったトーマス・B・グラバーは、安政6年(1859年)の長崎開港直後に来日した。グラバー商会を設立し、茶や絹の輸出と船舶・武器の輸入に従事し、倒幕側であった薩摩藩・長州藩だけでなく、実は幕府側とも関係が深かったと言われている。その後、明治44年(1911年)に没するまで日本で過ごしている。

旧グラバー住宅は、長崎市内の南山手の丘上の見晴らしのよい地に建つ現存する日本最古の木造洋風建築である。日本に西洋の先進技術を伝え、近代化に貢献したとされるグラバーの住宅であることで、明治日本近代化を象徴する住宅として評価されることも、世界文化遺産のリストに載った理由でもあるようだ。

今回、世界文化遺産のひとつとして登録された「旧グラバー住宅」について、学芸員の横山さんにお話を伺うことが出来た。

現存する日本最古の木造洋風建築

残念ながら現在はないが、邸の愛称「IPPONMATSU(いっぽんまつ)」の由来となった松の木が見える。この松は、長崎で日本初の大規模なマツ枯れが起きた年に伐採された。倉場富三郎が父グラバーに、この松を切り倒すことを報告した手紙が残っている(写真:グラバー園蔵)残念ながら現在はないが、邸の愛称「IPPONMATSU(いっぽんまつ)」の由来となった松の木が見える。この松は、長崎で日本初の大規模なマツ枯れが起きた年に伐採された。倉場富三郎が父グラバーに、この松を切り倒すことを報告した手紙が残っている(写真:グラバー園蔵)

旧グラバー住宅は、現存する木造洋風建築としては日本で最古のものである。
学芸員の横山さんは、「住宅は木造ですから、今までたびたびの修復を重ねて保存されてきました。こんなに有名な住宅でありながら、実はわかっていないことも多いんです」という。

「まずは建築時期ですが、文久元年(1861年)、グラバーが南山手のこの地を借地した記録が残っていて、住宅は修理時に発見された墨書から文久3年(1863年)を示す文字があり、その年に建築されたとわかりました。ただし、設計者は不明。施工者についても、前述の墨書に数人の日本人名があり日本人が施工したらしいということはわかっています。また、大浦天主堂の建築や隣接地に建つオルト住宅の建築を手がけたとのことから、小山秀之進という人物である可能性も指摘されています。
また、各々の部屋の用途についても明確な記述はなく、間取りもたびたびの変更を重ねているので"たぶん寝室に使われていたのだろう"など憶測の域を出ません。玄関の位置もどちら側なのかはっきりしない…。

どうもグラバー自身は筆まめではなかったようで、息子の倉場富三郎の代になってから、東京へ住む父親への手紙の住居の相談などから、わずかに家の様子が伺えるくらいです。」

イギリス風?フランス風?和風?謎の残る不思議な造り

また、家の様式についてもまだわかっていないことが多いのだという。

「不思議なことに、この住宅は日本人から見るとまさに"洋風の建物"であることはまぎれもないのですが、こちらを訪れた外国の方からはよく"和風の建物だね"という感想を聞くことがあります。たしかに外壁は竹木舞の下地に漆喰塗、屋根は瓦屋根、小屋組は和小屋とするなど、和風の要素が強くみられます。
しかし、住宅をぐるりと囲むベランダは、東アジアにも見られたコロニアル・スタイルとも呼ばれるような造り、ベランダにかかる屋根を支える円柱には、イギリス式の格子の装飾が施され、建物の中へと続く両開きの扉にはフランス窓があしらわれているなど、日本、アジア、英仏とどこの様式といってよいかもよく分からないんです。

いずれにせよ、鎖国の時代…海外との唯一の窓口であった長崎という地であったとしても、実際に見たことも建てたこともない洋風の建築を造るのは、なかなか大変なことであったのではないか、と思われます」と横山さんは話してくれた。

写真左:石畳の床に木製の円柱があり、柱間はアーチ型となっている家を囲む広いベランダ</br>写真右上:スコットランド人の事業家であったトーマス・B・グラバー</br>写真右下:細やかな細工の格子の木造天井は風通しを考えた湿気対策でもあったといわれる写真左:石畳の床に木製の円柱があり、柱間はアーチ型となっている家を囲む広いベランダ
写真右上:スコットランド人の事業家であったトーマス・B・グラバー
写真右下:細やかな細工の格子の木造天井は風通しを考えた湿気対策でもあったといわれる

実はリサイクル材で造られていた?まだまだ深まる旧グラバー住宅の不思議

旧グラバー住宅には、歴史ロマンを感じさせる逸話も語られてきた。
「よく、みなさんからお聞きするのは"グラバー住宅の屋根裏には隠し部屋があって、幕末の志士をかくまった。もしかしたら坂本龍馬もその中にいたかもしれない"という逸話です。ですが、実際に屋根裏はあるのですが、見つかった墨書の年代を見ると、維新後につくられたもののようですし、欧米では屋根裏を倉庫として使うことが多いため、実際は"隠し部屋"ではなく、収納の用途でつくられたものではないかと思われます。」歴史に想いを馳せるのちの人々が想像をして語られた逸話であるようだ。

ほかに、このような話もある。
「グラバーは、住宅を建てる前に敷地の外にあった民家を7軒も買い取った、という記録が見つかっています。これらの民家は誰が住むこともなく、住宅の建築前に解体されてしまいます。もしかすると、旧グラバー住宅はリサイクル資材で造られた住宅だったのかもしれませんね」と、横山さんは教えてくれた。

旧グラバー住宅は、グラバーの死後跡継ぎとなった倉場富三郎が家主となり、その後昭和14年(1939年)に三菱重工業が取得した。太平洋戦争後は一時進駐軍の宿舎となったこともあるようだ。そして、昭和32年(1957年)、造船所の創業100周年を記念して、三菱造船(当時)から長崎市に寄付されている。

自由に海外に行くことができない鎖国の時代から幕末、明治・大正・昭和を経て、現在も大切に保存されている旧グラバー住宅…現存する日本最古の木造洋風建築を訪れて、その様式の不思議さを感じながら、それぞれの時代の風を感じてみるのもよいかもしれない。

未だわかっていないことも多い「旧グラバー住宅」。今後の研究によって、また新たな真実が見つかるかもしれない未だわかっていないことも多い「旧グラバー住宅」。今後の研究によって、また新たな真実が見つかるかもしれない

2015年 08月11日 14時03分