蛇が信仰の対象というのは世界に事例がある

羽毛の蛇ピラミッドから出土したケツァルコアトルの石彫羽毛の蛇ピラミッドから出土したケツァルコアトルの石彫

2025年は巳年である。

蛇は一口で獲物を丸呑みしてしまうことから、恐ろしい動物とも見なされるが、地を這い、水を泳ぐ姿の神秘性から、水の神として信仰されることもある。また、脱皮して成長する姿から、再生のシンボルともされてきた。蛇の抜け殻を財布に入れるおまじないは、ご存知の方も多いだろう。

蛇を恐れたり、神として信仰したりするのは、日本だけではない。
たとえば古代メキシコ・ティオティワカンの主要神は羽毛のある蛇を意味するケツァルコアトルだ。人間に火を与えたとされる神で、智恵の神でもあるらしい。
ギリシャ神話では、伝達の神・ヘルメスや医術の神・アスクレピオスの杖に蛇が巻き付いている。これらの蛇は知識や知恵を象徴すると同時に、病からの再生の祈りが籠められているのだろう。
北欧神話のヨルムンガンドはミッドガルドの蛇とも呼ばれる悪神だ。世界の中心に生える大樹・ユグドラシルの根に巻き付いており、世界が終わるときに姿を見せるという。

日本における蛇は、時にはヤマタノオロチのような恐ろしい化け物として登場することもあるが、基本的には水の神の化身として信仰されてきた。たとえばイザナギとイザナミの国生み神話に登場する水の神・タカオカミは、蛇神とされることが多い。
蛇の別名である「ミズチ」や「ノヅチ」の「チ」は精霊を意味し、水の精霊や野の精霊と見なされたのだとする説もあり、蛇への信仰は、素朴な自然信仰の名残だと考えられる。

羽毛の蛇ピラミッドから出土したケツァルコアトルの石彫ヤマタノオロチ

奈良県桜井市の大神神社

日本では、蛇を信仰の対象とする神社も少なくない。

もっとも有名なのが、奈良県桜井市の大神神社だろう。三輪山を御神体とする古い信仰の場で、祭神のオオモノヌシは蛇の姿をしているとされる。
日本書紀の崇神天皇条では、孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)が三輪山のオオモノヌシの妻となったと語られている。しかし神は昼には現れず、夜にだけやってくるので、「あなたの麗しい姿をお見せください」と頼んだところ、神は「もっともである。それでは明日の朝、あなたの櫛笥に入っていよう」と答えた。ただし「決して驚かないように」と付け加えたので、倭迹迹日百襲姫命は不思議に思ったが、あまり深く考えていなかったのだろう。だから次の朝に櫛笥の中に美しい小さな蛇が入っているのを見て、驚いて叫んでしまったのだ。神が「あなたは私に恥をかかせた」と怒って三輪山に帰ってしまったので、倭迹迹日百襲姫命は自分の行いを恥じて陰部を箸で突き、絶命した。だから彼女の墳墓を「箸墓古墳」と呼ぶのだ。
箸墓古墳は、「昼は人間が作り、夜は神が作った」と書かれているうえに、日本最古の前方後円墳だから、倭迹迹日百襲姫命は重要な人物として描かれているのだろう。日本書紀を正史と見る研究者の中には、彼女こそが卑弥呼ではないかと考える人も少なくない。

日本書紀によれば、オオモノヌシはオオクニヌシの別名とされており、オオクニヌシを祀る神社は全国に一万社以上ある。奈良から遠い地域に住む人は、近所にオオクニヌシを祀る神社がないか探してみてはいかがだろう。

奈良県にある大神神社の拝殿奈良県にある大神神社の拝殿

長野県の諏訪大社

長野県の諏訪大社は、現在はオオクニヌシの息子のタケミナカタを主祭神としている。

古事記によれば、オオクニヌシが葦原中国(日本)を作ったが、高天原の神は「葦原中国は我々が治めるべきだ」と考えて、タケミカヅチらを使者に遣わした。オオクニヌシは早々に国譲りを決めるが、息子が二人いるから、了承をとってくれと言う。その息子とは、コトシロヌシとタケミナカタ。コトシロヌシは海釣りに出かけていたが、高天原からの使者に国を譲ると答え、逆手を打って海に沈んだ。逆手とは、手の甲と手の甲を合わせることともされるが、具体的なことはわからない。ただ、呪いの所作だとされる。

タケミナカタは侵略をよしとせず、タケミカヅチに勝負を挑むが、腕をへしおられて這う這うの体で逃げ出した。そしてそのまま諏訪まで逃げて、諏訪の神となったとされる。
日本書紀を史実と考える研究者は、この神話は古代におきた侵略戦争を表していると考えるが、「高天原」が大和王権だとしたら、出雲とは友好的な関係にあったらしい。なぜならば、分銅の単位が同じだから。つまり交易があったということで、神話は神話としてみるべきだろう。

さて、諏訪まで逃げて神となったタケミナカタだが、諏訪には先着の神がいた。それがモレヤ神だ。『諏訪信重解状』などによれば、タケミナカタが諏訪へやってきたときに、モレヤ神は鉄の輪を持って抵抗した。これに対してタケミナカタは藤の輪を持って戦ったのだが、不思議に藤が鉄に勝ち、タケミナカタが諏訪の神となったという。

モレヤ神は諏訪上社の神官家・守矢氏の始祖となったとされるが、守矢氏は古くからミシャグチ神を信仰してきた。このミシャグチ神が蛇身とされるゆえか、諏訪明神も蛇と深く関連づけられている。

諏訪神社も全国に勧請されているから、近所にあるならば初詣に出掛けると良いかもしれない。

長野県の諏訪大社

日本三大弁財天。神奈川県の江ノ島弁財天・滋賀県の都久夫須麻神社・広島県の厳島神社

弁財天はインドのサラスバティを起源とし、仏教の神として日本に伝えられた。
サラスバティは聖なるサラスバティ川の化身であり、蛇そのものとは関係がないが、川の流れそのものを神として信仰してきた日本においては、弁財天は蛇体の神である宇賀神と夫婦とされるようになった。
蛇は、弁財天の神使いであるともされている。

仏教の弁財天は、神道のイチキシマヒメの本地とされる。
本地垂迹説とは、仏が神の姿になってこの世に現れるという考え方で、つまり、イチキシマヒメの本体は弁財天だということだ。
イチキシマヒメは、アマテラスとスサノオが誓約で生んだ五男三女神の中の一柱で、その名のように島に祀られることが多い。
日本三大弁財天とされるのは、神奈川県の江ノ島弁財天・滋賀県の都久夫須麻神社・広島県の厳島神社。ただ、他の神社でも境内摂社・末社として弁財天を祀ることも多いので、探してみてはいかがだろう。

江ノ島弁財天では、蛇をモチーフとした指輪守りなども授与されているので、巳年のお守りとするのも良いかもしれない。

江ノ島神社の鳥居江ノ島神社の鳥居
江ノ島神社の鳥居竹生島にある都久夫須麻神社
江ノ島神社の鳥居広島県宮島にある厳島神社

宮城県岩沼市の金蛇水神社、群馬県富岡市の蛇宮神社、東大阪市の波牟許曽(はむこそ)神社

宮城県岩沼市の金蛇水神社も蛇と関係が深い。
創祀がいつかはわからないが、一条天皇の御代に、天皇の御佩刀を鍛えよとの勅命を賜わった刀匠・小鍛冶宗近が、名水を求めて諸国を遍歴したことに端を発するとされる。そして三色吉の地を訪れたとき、水神宮のほとりを流れる水の清らかさに心をうたれて、水神宮に参籠祈願して神恩を請い、刀を鍛えた。宗近は、刀が完成すると、雌雄一対の金蛇を鍛えて水神宮に奉納し、都に戻ったという。
現在の御神体は、このときの金蛇だとされる。

群馬県富岡市の蛇宮神社も蛇と関係が深く、平安時代の延喜式神名帳に記録される古社だ。現在の祭神は蛇神のタカオカミ。いつから蛇宮と呼ばれるようになったのかは伝わっていないが、本来は諏訪明神を祀っていたとされるので、その関係かもしれない。

大阪府東大阪市にある波牟許曽(はむこそ)神社は、江戸時代後期の国学者である伴信友が、「ハム」は蛇を意味し、「コソ」は社を意味するので、この地に蛇を祀る社があり、それがこのあたりの地名「蛇草」に転じたのだろうと考証している。平安時代の延喜式神名帳にも記載されている古社だが、なぜ蛇の社がこの地にあるのかはわからない。

金蛇水神社の鳥居金蛇水神社の鳥居
金蛇水神社の鳥居群馬県富岡市の蛇宮神社

東京では品川区にある蛇窪神社がある。日本の三大白蛇神社のひとつで復活や財運の象徴である白蛇が祀られており、開運で人気の神社だ。

稲作をして暮らしてきた日本人にとって、蛇は身近な存在であり、近所の神社の境内にある小さな祠について調べてみたら、実は蛇と関係が深かったということもあるかもしれない。

初詣には、身近な蛇の神社を見つけてお参りしてはいかがだろうか。

金蛇水神社の鳥居東京都品川区の蛇窪神社

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