田舎暮らしの雑誌で上位にランキング

辰野町をご存じだろうか。辰野町は長野県の中央部にあり、観光地が少ないため知名度は高くないものの、実は移住については注目度が高いのだ。ある移住関連の雑誌の企画で発表された市町村別の「住みたい田舎」ランキングで、辰野町は2018年にシニア部門で1位を獲得。総合部門でも上位に食い込んでいる。

辰野町から伊那谷が広がる。中央アルプスと南アルプスに挟まれた絶景だ辰野町から伊那谷が広がる。中央アルプスと南アルプスに挟まれた絶景だ
町田さんが借りていた辰野町のお試し移住住宅町田さんが借りていた辰野町のお試し移住住宅

元IT会社勤務の町田剛さんは、移住で人生をリセットしたいと考え、2019年から1年半にわたり辰野町のお試し住宅を借りて、埼玉県志木市との2拠点生活を開始した。もともとは自然の多い長野県南部を移住先の候補として考えていて、2018年に1年間、毎週末のように長野県に足を運んでいた。そんななか「辰野町が面白い」という話を小耳に挟んだのがきっかけで、「ノーマークだった」という辰野町との2拠点生活を始めたそうだ。現在はその経験を生かして、移住相談員として東京都内のNPOに転職した。

町田さんによると、「辰野町はトータルで自分にフィットしている」そうで、魅力を挙げるなら、1つは人に出会えることだという。町のイベントで知り合った人とも今でもつながりがあり、数珠つなぎで、他の移住者や地元で暮らしてきた人など人脈が広がるチャンスが多いのだ。移住相談で行政を訪ねると、先輩移住者の暮らしを紹介してもらえ、リアルに移住を感じられる。その後も何度も訪ねて交流を深めているそうだ。
2つ目の魅力には、利便性を挙げる。高速道路のインターチェンジが町内にあり、車で伊那、諏訪、木曽、松本など観光地へも手軽に行ける。さらに町内に大きなスーパーマーケットや病院もあり、自然も近い。つまり辰野町を拠点にすると便利なうえ、素朴な山里の美しい景観も身近になるというのだ。

官民連携の移住協議会が結成し、空き家バンクを活性化

官民連携の移住協議会が結成し、空き家バンクを活性化

辰野町のまちづくり政策課の一ノ瀬敏樹地方創生担当係長によると、辰野町が移住促進に本格的に取り組み始めたのは2014年からだという。決して他の自治体より早かったわけではないそうだ。

官民連携で「辰野町移住定住促進協議会」を2014年に作り、空き家バンクの仕組みについて議論が始まった。「地元の不動産事業者に入っていただき、さらに情報発信に関心のある辰野町民やweb デザインの事業者にも参加してもらいました」と一ノ瀬さん。
同氏は魅力的な情報発信が大切だと考え、観光資源が少ないからこそ辰野町の暮らし方にフォーカスした「たつの暮らし」というwebサイトを立ち上げた。

空き家バンクは約8年間で登録件数190件、成約数147件、成約率は77.4%となった。これは長野県内でも高い数値といわれている。

一ノ瀬さんは「最初、地元の不動産会社は空き家バンクに対して消極的でした。空き家は、新耐震基準以前の建物が多く安全性が担保しにくく、元の持ち主の残置物の問題など、扱うと面倒なことが多いからでしょう」と当時を振り返る。

しかし、潮目が変わってきたという。
「辰野町の人口は昭和末期の約2万4,000人をピークに現在は約1万8,000人と2割以上も減ってしまい、一方で、空き家は増え続けています。移住定住促進協議会で話し合うなかで、空き家を負の資産ではなくプラスの資産として見方を変えるようになりました」

辰野町では、空き家のリノベーション工事が円滑に進む体制を構築。空き家を、移住者を積極的に受け入れるための”資産”であると位置付けるようになったのだという。その体制の一つが補助金制度で、空き家活用のネックのひとつだった残置物処分にも適用できる。もう一つは、協議会が主催するDIYの講座だ。大工や一級建築士などの専門家を先生として呼び、実際の古い空き家物件で、参加者は実際に手を動かしてDIYを体験できる。 ほかにも、移住希望者が自由に行きたい場所や物件を組み合わせてまちを巡ることができるツアーなど、移住者を支援する施策を用意している。

また町内にある民泊施設も移住の後押しになっているという。ホストファミリーが暮らしの目線で近隣を紹介をすることで、より辰野町に親近感を持ってもらえるのだ。まさに地域全体で移住を促進しているかのよう。

官民連携の移住協議会が結成し、空き家バンクを活性化辰野駅の近くにある民泊の「ゆいまーる」は、移住希望者も宿泊する。オーナー夫妻から町の情報を教えてもらえる (C)オオキヨウ

空き家バンクの成約第1号は、クラウドファンディングで魅力ある古民家宿に

空き家バンクの第一号案件は、古民家宿になった空き家バンクの第一号案件は、古民家宿になった

さて、2014年に始まった空き家バンクでの最初の成約は、同町小野地区の古民家だった。購入したのは「なないろ畑」という神奈川県の会員制農業生産法人。この物件は建物だけではなく、畑や山林も付いているのが特徴だ。

その後しばらく古民家は使われていなかったが、2020年以降、なないろ畑の会員である有志3人が、同法人から借り受ける形で古民家を改修し古民家宿を運営、畑も使用することになった。
メンバーは、全員が60代半ばで、人生のリセットとして辰野町に移住してきた。一人は映画監督の鎌仲ひとみさんで、環境問題をテーマにドキュメンタリー映画を手掛けている。移住を機に都内にあった自身の映画製作会社をミニマイズして辰野町に移転させた。もう一人は、一緒に活動するカメラマンの岩田まき子さん。そして先に辰野町に移住して古民家の管理していた飯田礼子さん。

空き家バンクの第一号案件は、古民家宿になった宿を運営する「チームなないろ」のメンバー。左から岩田さん、鎌仲さん、飯田さん

鎌仲さんは、映画及び農地再生、そして古民家宿の3足のわらじを履く覚悟で移住してきた。クラウドファンディングによって380万円の支援を集め2021年には宿の開業にこぎ着けた。

3人とも、「これ以上東京に住む気にはなれない」という。辰野町は自然が多く、時間がゆったりと流れるように感じる。それでいて不便ではないのが魅力だ。また観光地ではないのも住むにはちょうど良いと鎌仲さん。

空き家バンクの第一号案件は、古民家宿になった海外からのゲストも、この素朴な景色を求めてやって来る

元気なシニアがDIYで改修した古民家民宿「おおたき」は、すっかり地域に馴染んでいる

玄関に入った正面に見える梁が魅力的だったそうだ玄関に入った正面に見える梁が魅力的だったそうだ

同じく辰野町で古民家民宿を営む大瀧利久さん夫妻も、60代で東京から辰野町に移ってきた。東京では夫婦でブティックを経営していたが、元気なうちにリタイアして、田舎暮らしをしたいという夢を実現させたのだ。実は大瀧さんは、物件の見学まで辰野町のことを知らなかったという。

山歩きが趣味の大瀧夫妻は、麓で見かける古民家に憧れ、いつかは住みたいと考えていた。リタイア後を視野に2014年から1年半ほど古民家の情報を集め、実際に何度も地方に足を運んだ。はじめて辰野町に来ることになったのは、空き家バンクで見た三角の大屋根の形が気に入ったからだ。建物はかなり老朽化していたが、家の中に入って、玄関正面にある太い梁を見て素晴らしいと思った。建物を残したい一心で、2015年に購入を決意。谷あいの周辺環境や家の前にある畑にも好感を持てたと大瀧さんは当時を振り返る。

玄関に入った正面に見える梁が魅力的だったそうだ宿の2階から正面の畑をのぞむ
薪ストーブは、長野県の寒い冬には重宝するそうだ薪ストーブは、長野県の寒い冬には重宝するそうだ

翌2016年春からリノベーション工事をスタート。大瀧さんも大工に教わりながら、一緒に作業を進めていった。漆喰塗りはすべて自身でやったそうだ。
設計プランは、民宿を軸に自身の畑で作る無農薬野菜を使ったランチ&カフェも併設することにした。年金だけだと生活が厳しいので、民宿やランチ&カフェを収入源として考えたそうだ。

地主で顔が広い物件の前所有者が、大瀧さんを地域の人々に紹介してくれた。また、工事をしているときに通りがかった年配の男性からは「面倒を見てあげるよ」と言われ、さらにいろいろな人々を紹介してもらうだけではなく、軽トラックの購入や薪ストーブの薪の入手方法についても教えてもらったと大瀧さんは振り返る。現在は地元の祭りに参加するまでになり、すっかり地域に溶け込んでいた。

玄関に入った正面に見える梁が魅力的だったそうだ大瀧さんご夫妻。玄関脇にある縄は、地域のお祭りである御柱祭で使われた

地域の人々も好意的なシニア層の移住。移住先選びのコツとは?

辰野町にシニア層が多く移住することで、「新しい風が吹いている」と辰野町の一ノ瀬さんは喜ぶ。前述の鎌仲さんは、農地が遊休化し、太陽光パネルが増えている現状に、「景観が壊され、将来の負の遺産になりかねない」と地域に訴えている。高齢化の進行によりあきらめるしかないと思っていた地元住民も、問題意識を持つようになったそうだ。「アッパー世代だと意見がしっかりしていて、そういう人が入ってくると、町を変えていくパワーになる」と一ノ瀬さんは好意的だ。

前出の移住相談員の町田さんによると、東京のオフィスには、シニア層からの相談も多く来るという。どこに移住すべきか悩む人が少なくないとか。そこで伝えているのは「移住後に叶えたい暮らしに対する軸があったほうがよい」ということ。条件が多すぎると迷って決めきれないので、優先順位をつけるべきだと町田さん。都市と同じ利便性を地方に求めるより、不便があってもそれを楽しむくらいの余裕があるほうが、幸せな地方暮らしに近づけるのではないかと言う。

辰野町で次々と決まる空き家物件への入居は、やはり田舎暮らしを求めるシニア層が多いという。

辰野町には、市街地を少し離れるだけで、素朴な自然景観が広がる辰野町には、市街地を少し離れるだけで、素朴な自然景観が広がる

一方で、中心市街地の空き家対策が今後の課題だと一ノ瀬さん。田舎暮らしを求めるシニア層とマッチしないからだ。
そこで現在進めているのが、トビチ商店街という小商いによって商店街をまちのコミュニティ空間として再定義するプロジェクト。「〇(まる)と編集社」という一般社団法人が官民連携で関わっていて、昭和レトロの建物の魅力を次の世代へ引き継ぎながら、地域での暮らしの魅力を伝えている。その輪は確実に広がっていて、最近では商店街で小さな店が増えている。シニア層だけでなく、若い世代にとっても魅力的な町となりつつある辰野町の移住人気は、まだまだ続きそうだ。

辰野町には、市街地を少し離れるだけで、素朴な自然景観が広がるトビチ商店街と名付けられた辰野町の市街地では、点在するお店が増えていて、多くの若いスタッフが働いている

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