蔵のある町、三重県伊勢市河崎の歴史

伊勢湾につながる勢田川。中流まで大きな船が入ることができる川幅があったため、物資の輸送に適していた伊勢湾につながる勢田川。中流まで大きな船が入ることができる川幅があったため、物資の輸送に適していた

伊勢市の中央部を流れる勢田川。その中流域に位置する町、河崎は、勢田川の水運を活かして問屋街として栄えた町だ。伊勢神宮の外宮にほど近く、外宮からはJRと近鉄の伊勢市駅をはさんで北東側になる。室町時代の中ごろには集落が形成されたという古い歴史を持つが、江戸時代以降に伊勢神宮の参宮客への食料などの物資を扱ったことが、さらに町を大きくした。江戸時代に空前のブームとなったお伊勢参りの旅人たちをもてなすためのさまざまなものが全国から河崎に集まってきたのだ。そのため、「伊勢の台所(だいどこ)」とも呼ばれていたという。

河崎の町並みは、川沿いに黒塀の蔵が点在する。船から蔵に商品を直接搬入することができるという造りが特徴だった。だが、時代の変化とともに、次第に陸路での輸送へと移り、町を栄えさせていた機能も使われなくなっていった。

そんな町がどのように残されてきたのか。今回は、河崎のまちづくりの拠点となる施設「伊勢河崎商人館」を運営する、NPO法人伊勢河崎まちづくり衆に取材。豪商の建物を活用し、貴重な資料も多く残る「伊勢河崎商人館」の魅力とともに、お話を伺った。

水害をきっかけに町並み保全運動へ。住民によるまちづくり

戦後に陸上輸送に変わるにつれ、町は少しずつ衰退していった。やがて、そんな町並みを一変させる出来事が起きる。昭和49年7月7日に起きた水害だ。集中豪雨により、伊勢市の市街地の大半が浸水。河崎の町自体は直接的な被害はなかったのだが、勢田川の改修が計画され、河崎の町では、勢田川右岸の蔵や町家が取り壊されることになった。それは国の政策として行われたのだという。

「この水害をきっかけに、昭和50年に勢田川の本流である宮川とともに一級河川に指定。今後の災害の発生を防ぐため、昭和51年に『直轄河川激甚災害対策特別緊急事業』により、改修が行われたのです」と、NPO法人伊勢河崎まちづくり衆の西城さん。

結果的に100軒以上の蔵や町家が消滅。景観が大きく変わってしまった。「それまで当たり前のようにあったものがなくなってしまいました。でもそれが、自分たちの町を知る、大きなきっかけになりました」と西城さんとともに活動する西山さんは語る。「町並みを残すことは、町を活性化させる目的があるかと思いますが、河崎の場合は、駅も近いので住むのも便利ですし、そういった思いはそれまでなかったと思います。河崎は観光ではなく、商業の町でした。でも、船からトラックに輸送手段が変わり、町のひとつの能力がなくなってしまったわけです。だけど、そこに“一級品”の町並みが残っているのだと知り、残していかなくてはと思ったのです」。

昭和54年には土蔵を活用して「河崎まちなみ館」を開館し、まちづくり運動の拠点とした。「伊勢河崎の歴史と文化を育てる会」など、団体を作って町の人々に呼びかけ、蔵や町家の保存、再生を進めていった。

NPO法人 伊勢河崎まちづくり衆の西城利夫さんと西山清美さん。後ろの建物は、伊勢河崎商人館NPO法人 伊勢河崎まちづくり衆の西城利夫さんと西山清美さん。後ろの建物は、伊勢河崎商人館

河崎の建物の特徴とは

さて、ここで河崎の町並みを紹介する。河崎の町家は、切妻・妻入り。山形の形状をした屋根(切妻)、棟木と直角の面“妻”に入り口のある建物だ。これは伊勢市全体の特徴でもある。妻入りなのは、神宮の御正殿が平入りのため、同じでは畏れ多いということからとも言われる。

屋根には鬼瓦があり、家紋などが入っている。また、瓦部分には、隅蓋(すみぶた)というものがある。これはもともとは瓦の接点から雨水が入らないようにするためのものだが、波、亀、魚など水に関係した形となっていて、火災から家を守る願いが込められているという。

また、太平洋側に位置していることから雨風が強い地域のため、壁はきざみ囲いという、外側を板塀でもう一度おおっているのも特徴だ。蔵が黒い外観なのは、そのきざみ囲いが長持ちするように、魚の油と煤が塗られているからだ。煤で防虫の効果も期待できたそうだ。「これだけ手間がかけられたのは、商人たちの財力があったからなんです」と西山さん。

道にも特徴がある。今の河崎の町並みのメイン通りとなる、河崎本通りは、昔のままの道幅なのだが、当時の他の道に比べると約2倍と広いのだ。これは、蔵の前の通りで荷物を積み込み、大八車が対向できるようにしていたためだ。西城さんに聞くと「実はこの道幅の広さが町並みが残った要因のひとつでもあるんですよ。消防車など緊急自動車が通れないと広げるために、道の左右どちらかの家がたち退かないといけないとか、へたしたら町全体がなくなる可能性もあったかもしれません」とのことだ。

家の間には伊勢の言葉で「世古」と呼ばれる細い路地が見られるのも特徴だ。河崎では、道路と環濠や川岸を結ぶ道として作られた。そのほか、今でいう出窓の出格子、玄関に1年中飾られているしめ縄などが河崎ならではの景観を作り出している。

(右)世古と呼ばれる細い路地。雨水の排水路としての役割もあったという</BR>(左上)切妻の屋根と出格子(左下)隅蓋。実を多くつける桃は縁起がよいものとして使われた(右)世古と呼ばれる細い路地。雨水の排水路としての役割もあったという
(左上)切妻の屋根と出格子(左下)隅蓋。実を多くつける桃は縁起がよいものとして使われた

商人の町の象徴となる豪商の町家を新たな活動拠点に。「伊勢河崎商人館」

さまざまな取り組みが進められてきたが、現在のまちづくりの拠点となるのは、伊勢河崎商人館だ。もとは江戸時代から300年以上続いた酒問屋で、平成11年に閉業となった。地域住民から建物保存の声があがったが、600坪の敷地の建物を地域住民だけで購入する資金はなく、市に相談することにした。

「今でこそ行政が主導でまちづくりの活動がありますが、当時はまだなかったんですね。また、伊勢の場合は、外宮前や内宮前は活性化させようというのがあっても、河崎はそこまでやる必要ないのではという感じもありました。だけど、伊勢市にとって歴史的な建物が残り、ほかにはなかなかないんだということを、粘り強く訴えました。その結果、奇跡的にここを市のものとして残していこうとなったんです。

ただ、市は土地を購入し、建物の修復はするが、運営自体は住民が責任をもって行うという条件が出されました。それは大変なことだと思いましたが、残すにはそれしか手立てはなかったので、NPO法人を設立することにしたのです」

運営するための条例も特別に制定されたが、実際の運営は苦労も多い。施設の入館料や商人館内に設けたホールをイベントなどに貸出したり、蔵を手作り品などの出品スペースにして出品料を得たりといった活動もしながら、運営費をまかなっている。

だが、豪商の家の中を見学でき、中には貴重な資料がたくさん展示されていることは、当時の暮らしぶりが垣間見えて、この町を知る手立てとしてとても大きい。まちづくりの拠点としてうってつけだ。

伊勢河崎商人館のすべての建物は国の登録有形文化財になっている。蔵を利用した展示スペースでは、日本最古の紙幣と言われる、山田羽書の展示もある</BR>(右上)京都の裏千家の茶室「咄々斎(とつとつさい)」を模して造られた茶室。商人の財力があってこその素晴らしい造りだ (右下)伊勢河崎商人館の蔵の川沿いの面。かつて川から直接船をつけられるようになっていたつくりが今も残されている</BR>(左上)右側が伊勢河崎商人館、左側が蔵を利用したカフェと物販などの出店スペースがある商人蔵。間の道はかつての道幅そのまま(左下)伊勢河崎商人館で販売されているエスサイダー。この建物の前身の酒問屋で明治42年~昭和50年代まで製造されていたものを復刻したもの伊勢河崎商人館のすべての建物は国の登録有形文化財になっている。蔵を利用した展示スペースでは、日本最古の紙幣と言われる、山田羽書の展示もある
(右上)京都の裏千家の茶室「咄々斎(とつとつさい)」を模して造られた茶室。商人の財力があってこその素晴らしい造りだ (右下)伊勢河崎商人館の蔵の川沿いの面。かつて川から直接船をつけられるようになっていたつくりが今も残されている
(左上)右側が伊勢河崎商人館、左側が蔵を利用したカフェと物販などの出店スペースがある商人蔵。間の道はかつての道幅そのまま(左下)伊勢河崎商人館で販売されているエスサイダー。この建物の前身の酒問屋で明治42年~昭和50年代まで製造されていたものを復刻したもの

伊勢の奥深さを知る存在に

河崎本通り沿いにある喫茶店「河崎蔵」。蔵の中でコーヒーや伊勢うどんなどを楽しめる河崎本通り沿いにある喫茶店「河崎蔵」。蔵の中でコーヒーや伊勢うどんなどを楽しめる

「重要伝統的建造物群保存地区ですか?」と聞かれることも多いというが、河崎の町は違う。「江戸時代に思いをはせることもできますし、伊勢神宮を知れば知るほど伊勢の町を知りたくなると思いますが、そこには河崎も関わっています。少しずつ皆様に評価していただけるようにもなって、伊勢の奥深さを知るという、役割を果たせるようになってきたのかなと思っています」と西山さんは語る。「自分たちの子供のころや、おじいちゃん、おばあちゃん、先祖を身近に感じられたりもします。河崎に来ていただいた方が、自分のところはどうなっているのかなと考えていただくきっかけにもなってくれればとも思います」。

住民が主体となって地道な活動が続く河崎の町。駅から伊勢神宮の外宮へ向かう方向とは反対になるため、より多くの人を呼び込む課題はまだあるが、少しずつ認知度が高まっている。町並みのなかには、空き家や空き蔵もあるが、利用の問合わせも多い。「この町の一員になりたいということですから、ありがたいことです。この町を大事にしている結果かなと思うんです」という西山さんの言葉どおり、魅力ある町と知られるようになってきた。また、外からの評価が住んでいる者にとっても大切にしようと思う相乗効果にもなるという。

蔵を利用した喫茶店や雑貨店、古本店などが並び、若い世代も町歩きを楽しめる。毎月第4日曜には伊勢河崎商人館一帯で「伊勢のだいどこ市」と題し、飲食・物販の出店があるイベントも開催される。活性化ももちろんだが、伊勢を支えた町という歴史的価値を後世に伝えたいという思いのまちづくりは、新しく変わるだけではない、日本の伝統の良さを知ることができる機会だ。次に伊勢神宮に出かけるときにはぜひ河崎の町にも出かけてほしい。


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取材協力:NPO法人伊勢河崎まちづくり衆(伊勢河崎商人館)
http://www.isekawasaki.jp/

2016年 12月21日 11時05分