キングオブ銭湯「大黒湯」のシンボル・唐破風が、地元の安養院に移築
東京都足立区千住にあった銭湯「大黒湯」。昭和初めから約90年に渡って地域の人たちに愛されてきた銭湯だが、2021年6月、惜しまれながらも閉店となった。唐破風(からはふ)のある豪壮なたたずまいから「キングオブ銭湯」と呼ばれ、地元はもちろん、全国の銭湯愛好家からも親しまれていた。そんな大黒湯の建物は閉店により解体されたのだが、「キングオブ銭湯」の象徴的存在でもあった唐破風が、地元の古刹・安養院(足立区千住5丁目)の境内に移築保存されている。
2022年9月23日に開催された移築完成披露会には多くの人が訪れ、安養院の玄関屋根へと再生された「キングオブ銭湯」の門出を祝った。
完成披露会では、ふだんは一般公開されない建物の内部に入ることができ、移築までの経緯を収めたスライドの上映もあった。スライドを見ている人たちから聞こえてきたのは「唐破風の屋根だけでも残ってうれしいね」という声。また、子育て世代とおぼしき人たちの姿も見られ、「パパが小さいときにしょっちゅう行っていた銭湯なんだよ」と、幼い子どもに話しかける様子にも接した。大黒湯は地域の人たちにとって愛着のある場だったことを、筆者は実感させられた。
関東大震災の復興建築の歴史を伝える宮造り銭湯
大黒湯は1929(昭和4)年に建てられた銭湯。寺や神社のような重厚な外観の建物が特徴的で、このような造りをした銭湯は「宮造り銭湯」といい、当時の東京近郊の銭湯建築に多くみられた。その背景には1923(大正12)年に起きた関東大震災がある。マグニチュード7.9を記録し、死者・行方不明者の数は10万人以上と、東京一帯に甚大な被害をもたらした。建物やまち並みが失われ、江戸時代から庶民のくつろぎの場として発展してきた銭湯も、ほとんどが焼失してしまった。この大地震からの復興の願いを込めて、宮大工が腕をふるって豪華な建物の銭湯を造った。これが宮造りの銭湯の始まりとされる。
豪華な銭湯は、未曽有の大地震で被災した東京庶民を癒し、活力がわき出るような場になったことだろう。こうした宮造り銭湯のなかでも大黒湯の建物は荘厳で、弓なり状の唐破風、三角形の千鳥破風屋根、大黒天の彫刻などが施され、銭湯建築として際立った存在だった。
銭湯文化が息づく東京・足立区
そんな大黒湯があった千住を含む足立区は、東京都内でも銭湯の数が多いエリア。ピーク時の1968(昭和43)年には158軒あり、場所によっては200mほどの間隔で銭湯が建っていたという。
その後、家風呂の普及や施設の老朽化などで銭湯は年々減少し、足立区の銭湯は現在25軒となってしまった。それでもなお、23区内では4番目に多く、銭湯は地域の人にとっては身近に感じられる場になっている。話題は少しそれるかもしれないが、足立区ではふるさと納税の返礼品のラインナップの中に、区内の銭湯の「一番風呂貸し切り入浴利用権」があることをご存知だろうか。つまり、それだけ足立区は銭湯文化が息づいている地域なのだ。
(※)参考:東京都公衆浴場業生活衛生同業組合「東京都内の銭湯の数の推移」「東京銭湯リスト」
大黒湯はなくなってしまったら二度と造れない建物
そうした土地柄とあって、大黒湯の閉店を受けて、「建物だけでも残して活用できないものか」と、保存・活用を望む声が高まっていったのは自然な成り行きだろう。
しかし、古い建物を残して活用するにはさまざまな課題があり、たやすいことではない。大黒湯の保存を望む有志の間では、建物をコミュニティスペースや店にするなど、有効活用の方法を探るべく、話し合いが重ねられたが、なすすべもなく、「大黒湯」は取り壊されることになった。だが、2022年2月、解体工事が始まる直前になって、事態が動く。「大黒湯の正面の唐破風部分だけでも、うちの寺に移築して遺せないものか」と、安養院の内藤良家住職が提案したのだ。解体工事の日程が確定していたのだが、大黒湯のオーナーから「安養院さんならば」と承諾を得ることができた。
安養院は鎌倉時代、建長年間(1249~1256)に千住の地に創建された古刹。現在の内藤良家住職は第24代住職にあたる。
安養院から歩いて数分のところにある大黒湯は、内藤住職にとっても幼いころから親しんできた場所だった。「家風呂はありましたが、時々、大黒湯にもお風呂に入りに行っていたのです。建物も立派で、すごいなと思っていました。大黒湯が閉店して解体されると聞き、どこかに保存できないものかと考えていたある日、朝の読経中にふと、ひらめいたのです。『安養院に移築するのはどうだろう』と。大黒湯は千住の貴重な財産であり、ある時代、ある地域にしか建てられなかった唯一無二の文化財です。失くなってしまったら、二度と造ることができない建物だと思ったので、唐破風の部分だけでも移築保存ができればと、思い立ったのです」と、内藤住職。
大黒湯が関東大震災からの復興建築である宮造りの銭湯であることに関連して、内藤住職はこんな話も語ってくれた。
「今年(2022年)の9月で、関東大震災から100年です。ここ安養院も関東大震災で被災し、境内の堂宇の多くを失いました。しかし、壊れた堂宇の古材を活用して震災の翌年には寺を再建し、今に至っています。そして、関東大震災から6年後の復興期、1929年に千住に建てられた宮造りの銭湯が大黒湯でした」
安養院と大黒湯。同じ千住にあって、関東大震災の復興期から地域の人たちが集い、拠りどころになってきたという歴史を刻んできたのだ。
クラウドファンディングで資金を募り、移築保存を叶えた
さて、安養院へ移築保存されることが決まった大黒湯の唐破風。2022年2月下旬には大黒湯から唐破風が取りはずされ、移築に向けて工事が始まった。寺の既存の玄関に、銭湯の建物にあった唐破風を取り付けるという、高い技術を要する工事だが、安養院とは長い付き合いで銭湯の建築実績もある西工務店(足立区)が工事を担うことになった。
だが、もうひとつ、乗り越えなければならない問題があった。資金の問題だ。コロナ禍や世界情勢などの影響で資材が高騰し、移築保存にかかる費用が、当初見込んでいた予算より、大幅にオーバーしてしまったという。この資金難を乗り越えるべく、立ち上がったのは地域の人たちだった。足立区で活動する「あだち銭湯文化普及会」と「千住いえまち」のメンバーが中心となって移築保存プロジェクトを立ち上げ、工事費の一部を募るクラウドファンディング(以下、クラファン)をスタートさせた。移築保存の総費用約2000万円のうち、クラファンで募ったのは300万円。4月30日からクラファンを開始したところ、全国から支援が寄せられ、終了日の6月30日までに目標を上回る303万1010円の資金を集めることができた(支援者391人)。
クラファンと並行し、西工務店の西定治棟梁のもと、移築保存工事が進められ、完成へとこぎつけることができた。
プロジェクトに関わったメンバーのひとり、舟橋左斗子さんは移築保存が完成した安養院玄関の建造物を前にして、こう話してくれた。
「大黒湯は、家族と一緒に週1回くらいのペースで通っていた銭湯でした。なにより、千住のまちの誇りだと思っていたので、閉店すると聞いたときはショックだったし、寂しかったです。建物だけでも残したいと思い、関係者に相談もしました。でもどうにもならず、あきらめかけていたときに安養院のご住職から移築保存のお話があったのです。唐破風だけでも移築保存が叶い、うれしいです」
舟橋さんは「千住いえまち」のメンバーでもあり、千住に残る古い建物やまち並みを守る活動に力を注いでいるだけに、プロジェクト成就の喜びもひとしおだろう。
大黒天の彫刻なども移築
こうして安養院の玄関屋根へと生まれ変った、「キングオブ銭湯」の唐破風。「ぜひ、全体の姿を見ていただきたいです」と、内藤住職。あらためて眺めてみると、唐破風のまろやかな曲線、鳳凰(ほうおう)の彫刻、大黒天の彫刻など、ひとつひとつ、見応えがある。
玄関正面に立ち、天井部分を見てみると、太い角材が格子状に組まれており、12枚の絵がはめ込まれていることに気づく。大黒湯の唐破風の移築に合わせて、安養院玄関に新たに施した格天井(ごうてんじょう)だ。12枚の絵は、移築保存プロジェクトを応援してくれた人たちから奉納されたものという。奉納者は、足立区のとび職(江戸消防記念会十一区)、庶民文化研究家の町田忍さん、千住在住のイラストレーターのなかだえりさんと緒方綾乃さん、そして安養院関係者だ。町田忍さんは銭湯研究で知られ、大黒湯の愛称「キングオブ銭湯」の名付け親でもある。
ちなみに格天井は、寺院や神社、城など、主に格式の高い建物に古くから用いられている形式で、東京近郊の宮造り銭湯でも取り入れられている。大黒湯の脱衣場の天井も中央を一段高くした折上(おりあげ)格天井となっていて、およそ100枚の花鳥風月の日本画で彩られていたという。
唐破風の移築保存に関わった人たちの想い
玄関の建造物から少し離れて立ち、唐破風の屋根を見上げれば、銅板葺きの屋根。屋根の上の銅板は、クラファンのリターン(返礼品)のひとつ、『屋根の銅板裏書き奉納の権利』で支援してもらったものだ。もともと寺院や神社には、新築や屋根の改修時、支援者からの銅板奉納の習わしがあり、支援者は、銅板に名前とともに願いを裏書きして奉納する。
この移築保存プロジェクトでも、安養院へ移築される唐破風の屋根の銅板に、支援者それぞれの名前とともに思い思いの言葉を書いてもらい、それを屋根の上に葺いていった。
銅板に裏書きされたメッセージは家族の健康長寿、子どもの成長を祈る言葉、将来への夢などさまざまで、なかにはイラストを描いてくれた人もいるという。
「支援してくださった皆さんの夢や希望が書かれた銅板が、この唐破風屋根の一部として、未来へ受け継がれていくのです」と、内藤住職は言う。
「キングオブ銭湯」大黒湯の唐破風が移築された安養院は、地域の新たな観光資源としても期待されている。今後、全国の銭湯ファンの聖地とも呼ばれる存在にもなるかもしれない。そんなことを考えると楽しみになってくる。できることならば、内藤住職はじめ、プロジェクトのメンバーやクラファンなどで支援してくれた人たちの想いも、後世に伝えていければいいなと筆者は思っている。
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