明治41年に建設された日本最古の刑務所。100年以上の歴史を経て重要文化財に
日本最古の刑務所建築として、国の重要文化財に指定されている「旧奈良監獄」。
1908(明治41)年に建設され、2017年まで刑務所として使われた。LIFULL HOME'S PRESSでは、まだ施設が現役だった2016年11月に、鶴見佳子さんがレポートされている。
所管の法務省は2016年12月に、刑務所としての機能を終えたあとも建物を保存し、「公共施設等運営権制度(コンセッション方式)」を利用して活用する方針を発表した。
これは、所有権を国に残しながら、民間事業者が独立採算で建物を改修し、維持管理・運営を担う公民連携手法だ。現在、すでに改修工事が進んでおり、耐震補強や史料館の整備が行われている。今後は、星野リゾートが建物の一部を上質な宿泊施設にリノベーションし、「文化財ホテル」を運営する計画だ。2024年の開業を目指す。
「旧奈良監獄」の敷地内では、本格的な改修工事を前に、様々なイベントや見学ツアーが行われた。2022年9月10日には『京都モダン建築祭』開催に向けたクラウドファンディングのリターンとして、まいまい京都が「奈良監獄・貸切スペシャルツアー」を開催。筆者も、産業遺産コーディネーター・前畑洋平さんがガイドする回に参加してきた。
「明治五大監獄」のうち唯一原型を留める。保存に尽力した前畑さんがガイド
「旧奈良監獄」は、「明治五大監獄(千葉、長崎、鹿児島、金沢、奈良)」のうち、建設時の原型を留めている唯一の遺構だ。
しかし、今から10年ほど前には、取り壊しが噂されていたという。その当時から保存に向けて活動していたのが、今回のガイドである前畑洋平さんだ。
「僕が五大監獄と出会ったのは2007年、旧長崎監獄の解体前の見学会でした。こちらは今、正門だけが残されています。さらに調べてみると、奈良監獄だけは、当時まだ奈良少年刑務所として使われていることが分かったんです」と、前畑さんは振り返る。年に一度だけ開かれる「矯正展(受刑者が刑務作業で制作した製品を販売する催事)」に足を運び、刑務官に見学を直談判したという。
「奈良少年刑務所時代も、“参観”と呼ばれる見学は受け付けていました。ただし、対象は弁護士や保護司といった法務関係者だけ。僕たちのように、建築を目的とした一般人の見学はダメだと言われました。けれども、なんとかコネクションを見付けようと、所内で受刑者に詩作を教えておられた作家の寮美千子さんを探し当てたんです」。寮さんも建物を残したいという思いに賛同し、地域の方たちと「奈良少年刑務所を宝に想う会」を設立した。
前畑さんは寮さんに当時の所長を紹介してもらい、ついに見学の許可を得る。以来2011年〜2016年の間、前畑さんが主宰する「J-heritage」が産業遺産や建築、まちづくりの専門家を対象に「奈良少年刑務所見学会」を開催してきた。その後、2017年3月閉庁時の記念誌作成にも携わっている。
「僕がやってきたことがどれだけ保存に役立ったかは分かりませんが、見学会に立ち会ってくれた刑務官の方々が『この建物の価値に気付いたよ』と言ってくれたのは嬉しかったですね」。
お城のような愛らしい印象の「表門」と、厳格な表情の「庁舎」
前畑さんのガイドは、門を入る前から始まった。門前にはかつて、受刑者への差し入れを売る店が並んでいたという。ドーム型の屋根を載せた双塔と、紅白のアーチから成る表門は、全体に丸みを帯びて愛らしく、監獄の厳めしさは感じられない。「かつて近隣にあった遊園地『奈良ドリームランド』と間違えて、入場券を買いに来る人がいたそうです(前畑さん)」という逸話にも頷ける。
右側の塔の足元には「イ」「ロ」「ハ」の刻印のあるレンガが埋め込まれており「おそらく、かつての受刑者が焼いたものでは」と前畑さん。受刑者の作業チームは「イ組」「ロ組」「ハ組」...と分けられていたという。
塔の内部は螺旋階段になっており、2階に上がることができる。2階の窓からは、敷地内部を見下ろせる。かつての参観者はまずここで、刑務所内について説明を受けたそうだ。
もともと刑務所だけあって、中に入った見学者がうっかり取り残されたら出られない。ツアーでは厳重な人数チェックが行われた。
表門を入ると、広々とした道の正面に、堂々とした赤レンガ2階建ての庁舎が現れる。表門とは対照的に、こちらは中央にそびえる尖塔と角張ったファサードが、厳格な印象を漂わせている。
明治五大監獄を特徴づける「ハビランド・システム」
庁舎には所長室や職員の執務室があり、ここを通り抜けるといよいよ「処遇部門」、すなわち受刑者の生活空間である収容棟へと続く。
「刑務所時代はもちろん厳重に施錠されていて、刑務官は出入りのたびに、ドアスコープで中に受刑者がいないことを確認していました」と前畑さん。「では、いよいよここでシャバとお別れして、中に入っていきましょう」。
「明治五大監獄」の特徴は「ハビランド・システム」と呼ばれる建物の配置だ。中央に監視所を設け、収容棟を放射状に配置する。収容棟の廊下は奥に向かってゆるやかに下っており、中央監視所に立つと、5つある収容棟をすべて見渡すことができる。「昔は受刑者に精神的なプレッシャーをかける意味もあったでしょうが、近年は刑務官が常時立っていたわけではなく、朝夕の点呼の際、監督者が報告を受けるときに使ったようです」。
収容棟は、中央監視所から見て右から「第一寮」、「第二寮」の順に並んでいる。点呼の際は柱に取り付けられたベルを、寮番号と同じ回数だけ鳴らして「出房」の合図にしたそうだ。
収容棟には高窓やトップライトがあり、自然光が差し込む。太陽の動きや天候の変化が伝わってきて、想像していたより戸外の気配を感じることができた。
明治時代から現代、刑務所の変化の跡が残る収容棟
5つの収容棟は廊下の幅や吹き抜けの様子、房の数など、少しずつ異なっている。
第一寮から第四寮までが「独居房(現在は「単独室」と呼ぶ)」、第五寮が「雑居房(現在は「共同室」)」だ。
「単独か共同かは、罪の重さではなく、受刑者の適性に応じて決められたと聞いています。共同の場合は食事の取り合いなどでもめ事が起きないよう、刑務官が厳重に監視していたそうです」
更に、第四寮2階の一部は受刑者が舎房同士を行き来できるようになっており、共同のリビングが用意されていたそうだ。
「『若竹寮』と呼ばれていて、受刑態度が優良な受刑者には、こうした生活が許されたようです」
5棟の収容棟のうち中央に位置する第三寮は、文化財ホテルの開業後も、明治時代の監獄の史料として保存・公開される予定だ。
明治時代につくられた木製の分厚いドアには、当初から設けられていた小さいドアスコープと、近年開けられた大きめのドアスコープ、そして食事を受け渡すための扉が付いている。
「ドアスコープは、刑務官が受刑者の様子を確認するためのもの。受刑者の食事は、受刑者がつくって配膳していたそうです」
年若い受刑者の矯正教育を支えてきた赤レンガ建築
旧奈良監獄は終戦の翌年に「奈良刑務所」から「奈良少年刑務所」に改称され、受刑者の服役と同時に、社会復帰に向けた「矯正」と「教育」の役割を担ってきた。前出の寮美千子さんが指導した文芸活動や、「若竹寮」のような自主性を養う半開放居室の整備もその一環だ。
「奈良少年刑務所では、全国の刑務所に先駆けた先進的な取り組みとして、刑務官の付き添いなしで、刑務所の外の仕事場に通勤する受刑者もいたそうです」と前畑さんは解説する。
見学会の締め括りに、前畑さんは次のように語った。
「多くの人は、刑務所とは興味本位で触れてはいけない場所だと思っているのではないでしょうか。しかし、私たちは裁判員制度などを通じて刑罰にもかかわっています。この美しい赤レンガ建築に親しむことが、日本の近代化、刑事行政や人権の歴史について学び、考える、いいきっかけになればいいと思います」。
■旧奈良監獄 http://former-nara-prison.com/
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