倉敷美観地区に複合商業施設「倉敷SOLA」がオープン
岡山県・倉敷駅から徒歩10分ほど、中国地方有数の観光地として知られる「倉敷美観地区」。柳並木が美しい倉敷川畔には白壁の蔵屋敷や町家が立ち並び、日本初の西洋美術館である「大原美術館」や紡績工場跡地を活用した観光施設「倉敷アイビースクエア」など、見どころが豊富な散策スポットだ。美観地区一帯の広さは約1.5haにも及ぶ。
ここはかつて江戸幕府の直轄領「天領」であり、運河として利用された倉敷川沿いには多くの商人が集まり、備中の物資が集まる拠点として繁栄していた。現在は国から「倉敷市倉敷川畔伝統的建造物群保存地区」として指定され、多くの住民の理解と協力のもと、江戸時代の風情ある町並みがそのままの形で保存されている(参考:「美しい町並みが残る岡山・倉敷。戦後いち早く町並み保存に目を向けてきた「倉敷美観地区」の取り組み」)。
2019年は328万000人もの人々が訪れていた倉敷美観地区であるが、類に漏れず新型コロナウイルスの影響は大きく、2020年の観光客数は154万4,000人と前年比47%の大幅減となっていた(※)。
そんな苦しい最中の2022年4月28日、倉敷美観地区の一角に複合商業施設「倉敷SOLA」がオープンした。岡山県の『「技術」と「美術」の融合』をコンセプトとし、衣食住さまざまなジャンルの店舗が集まった商業施設だ。どのような狙いでつくられ、美観地区にどのような変化をもたらしているのか。開発・管理を手がける株式会社三楽の代表取締役社長・虫明(むしあけ)優さん、常務取締役の岡一郎さん、業務課長の塩飽(しわく)操吾さんにお話を伺った。
※令和2年 倉敷市観光統計書より
https://www.city.kurashiki.okayama.jp/secure/143387/toukeisyoR02.pdf
歴史ある町並みを継承する、倉敷SOLAを手がけた株式会社三楽
倉敷SOLAを企画・管理している三楽は、1925年設立の歴史ある不動産管理会社だ。美観地区、本町通り沿いに佇む三楽の本社屋「三楽会館」は、木造2階建ての洋風建築で倉敷市伝統的建造物に指定されている。三楽は美観地区の大地主である大原家と深いつながりがあり、大原家の不動産管理会社として美観地区の土地・建物の管理を長年担ってきた。
社長の虫明さんは、大原美術館の副館長を務めていたこともあるという。
虫明さん:(以下表記のない「 」は虫明さん)
「大原美術館は、倉敷でさまざまな文化・産業の発展に尽力した実業家・大原孫三郎によって創設されました。孫三郎の友人で画家でもあった児島虎次郎が、日本の美術の発展のため、世界中のさまざまなアーティストの優れた作品を選び抜いて収集してきた作品が展示されています。倉敷民藝館も個性豊かで、何物にも替えられない作品がたくさん展示されています。美術作品と同じように、町並みも誰かが守っていかないと次の世代に継承していくことは難しいものです。美観地区の町並み保存を最初に呼びかけた大原孫三郎の長男・總一郎の意志を継いで、私たちも地域の方々のご協力をいただきながら、さまざまな土地・建物の管理を担ってきました」
古い建物を修繕し町並みを保存していくことは容易ではない。伝統的建造物群保存地区は条例で保護されているが、周辺には指定のない古い建物もたくさんある。所有者が高齢化しているケースも多く、気がつけば建物が解体され更地や駐車場に変わっていることも多いという。
工事にかかる規制も多い地域では、国や自治体の予算だけでは賄えない費用や手間がかかる。そのような中で、倉敷美観地区ではいかにして新たな施設の企画・開発を行っているのだろう。
空き家となっていた伝統的建造物を活用し、美観地区ににぎわいを
まず倉敷SOLAがオープンした経緯を伺った。もともとこの場所では、開業医の藤岡氏が病院を営んでいた。診療所、入院施設、管理棟、自宅、茶室などがあったが、藤岡氏が亡くなり病院として使われなくなってからは、空き家の状態が続いていたという。
「空き家のままにしておくのはもったいないので、美観地区のにぎわいづくりに貢献できるようにということで、さまざまな活用案を検討したうえで、今回の複合施設の話がまとまりました。もともと弊社が土地を所有していて、2008年に建物も取得しました。大通りに面した建物は伝統的建造物に指定されているので、解体はせずに全面的な増改築を、奥の棟は建て替えで新築しています」
設計は、倉敷美観地区での古民家再生とまちづくりに長年関わってきた楢村徹氏が担当した。
2019年7月に一部解体が始まり、周辺の工事を進め、倉敷SOLA自体は2021年6月から着工。資材の納期遅延や価格高騰などさまざまな苦難も乗り越え、約9ヶ月をかけて完成した。楢村氏の設計のこだわりは「倉敷の町並みに共通項を持つこと」だそう。大通り沿いの建物は柱や梁など構造上残せるもの以外は全面リノベーションでありながら、奥の新築棟と同様、美観地区の町並みに見事に溶け込む意匠設計となっている。
「もともと倉敷川を挟んで南西のこのエリアは、観光客がなかなか来にくい動線になっていました。民藝館などの文化施設はあるものの、飲食店が多いエリアと比べたら人通りは少なかった」
2016年の384万5,000人に比べ観光客数は近年減少傾向であることに加え、1~2時間程度散策した後は次の場所へ向かってしまう人が多い点も、美観地区全体の課題の一つだった。倉敷SOLAはそのような美観地区の人の流れを変える仕掛けが施されている。
民藝の器やデニム、岡山のものづくりを体感できる倉敷SOLA
倉敷SOLAは、増改築・新築した2棟の建物を中心とした複合商業施設だ。飲食、物販、宿泊施設など、地元岡山県にゆかりのある以下5つのテナントが入っている。
・『青木被服 デニムストア』
1961年創業のデニムブランド。「NEW DENIM UNIVERSE」をコンセプトに、日常をアップデートするデニム製品と、羽織着物を含めた和とカジュアルが織りなすモードを感じる世界観を提案している。
・『倉敷洋食 バラトン』
「倉敷洋食」としてハンガリー料理を提供するお店。ハンガリーの家庭料理である「グヤーシュ」や、ハンガリーのソウルフード「ランゴッシュ」など新たな食を岡山の食材で楽しめる。散策中に一息つけそうな岡山県産フルーツを使用したドリンク、ソフトクリームなどのテイクアウトも。
・『滔々(とうとう)』
倉敷美観地区で複数の建物をリノベーションし宿泊施設を運営している滔々。倉敷SOLAでも、全3室、各室1日1組の素泊まりの宿を提供する。1階には現代のつくり手による工芸品が並ぶギャラリーが併設され、美観地区の歴史を感じながら暮らすように泊まることができる。
・『日本料理店 雲』
民藝文化が根付いた倉敷らしい日本食レストラン。一皿ずつ個性の異なる民藝の器で食事を楽しむことができる。日用品であると同時に、名もなき職人が作った芸術品でもある民藝品を身近に感じられるお店だ。
・『丸五』
100年以上の歴史がある日本生まれの地下足袋メーカー。ファッション感度の高い層からの支持も広がってきており、履物の新しいスタンダードとして倉敷から世界へ向けて発信していくコンセプトストアとなっている。
周囲には「倉敷民藝館」「日本郷土玩具館」「きび美ミュージアム」、竹林のライトアップが印象的な「くらしき宵待ちGARDEN」などが立ち並び、商業・文化的な複合エリアとなっている。
複合商業施設をつくるとき、完成した箱物にテナントを募集・誘致するのが一般的であろう。倉敷SOLAはむしろその逆で、どのようなテナントが入るかをまず先に固め、意匠設計段階からテナント関係者もプロジェクトメンバーとして参加し、倉敷SOLAの空間を一緒につくり上げていったという。
「倉敷SOLAのコンセプトである”岡山の[技術]と[美術]の融合”を体現してくれる店舗に参加してほしかったので、まずテナントありきでしたね。結果として、倉敷美観地区の雰囲気に即した、岡山のものづくりや民藝に関わる魅力的なお店に集まっていただけたと思います」
誘致の際は、特別な募集告知はしていないという。設計を担当した楢村氏からとあるテナントに声をかけ、そこからまた倉敷SOLAに合いそうな人に声をかけ、といった流れで、まさに商人の街・倉敷らしく、地域の人同士の結びつきによって倉敷SOLAは誕生した。歴史ある町並み一帯を力を合わせて守ってきた倉敷ならではのまちづくりといえるかもしれない。
伝統的建造物を守り・生かすことで、新たな人の流れを生み出す
取材に伺ったのは2022年6月。オープンして2ヶ月弱がたち、倉敷SOLAができたことで美観地区の人の流れに変化が起きているという。
「倉敷SOLAができたことで新たな人の流れが生まれ、大原美術館を見て回った後に、倉敷SOLAで食事をし、休憩した後で民藝館を見学したり、美観地区全体の回遊性が増しています。倉敷SOLAの少し前に完成した”きび美ミュージアム”へも倉敷SOLAの広場を通って行きますし、日本郷土玩具館にもさらに行き来しやすい道をつくろうという声も出ていますね」
倉敷SOLAの敷地中央には開放感のある「みんげい広場」設けられている。倉敷SOLAの敷地面積927.16m2に対し、建築面積は340.50m2、延床面積517.74m2と、全体的な動線がゆったり設計されている。「これだけの広さがあるならもう1棟建てよう」との話もあったというが、あえて広場としたそうだ。この広場も、観光客の回遊性向上に一役買っている。
「美観地区は徒歩で回るにはそれなりの広さがありますが、ゆっくり座れるようなところがあまりなかったんです。土日は飲食店も混み合うことが多いですし、このみんげい広場には意図的にベンチなどの座れるところを用意しました。結果的に、美術館を見て回った後にここで一休みし、また新しい施設へ足を運んだり昼食をとったり、という人の動きが生まれたように思います」
大通りからも視界に入る場所に誰もが気軽に出入りできる公開空地を設けたことは、観光客の散策時間にゆとりをもたらしているようだ。
倉敷SOLAができたことで動線が増えると、観光客の滞在時間は自然と長くなる。一休みをしながら半日以上滞在するスポットになれば、他の観光施設や飲食業、周辺の宿泊業への波及効果も期待できるだろう。
倉敷美観地区を次世代に残していくために
「定められた規制をきちんと守りながら修繕をして、江戸時代の町並みを保存していくこと。これはもちろん大切なことですが、同時にただそのままの姿を残すだけでなく、今の時代に合う形で手を加えていくことも必要だと思っています。ずっとこの倉敷で仕事をしてきた身として、伝統は守りつつも新しい風を取り入れて、美観地区のまちづくりに寄与していきたいですね」
町並みを保存していくためには、国や行政による法規制を整えるだけでは限界がある。今回の事例のように、町並みを保存しながら新たな価値を創り出していくリノベーションの設計・技術と、時代に合ったアイデア、そして地域で暮らす人々の想いや営む人同士のつながりが欠かせないのだろう。新たな人の流れを生み出した倉敷SOLAの事例には、歴史ある町並みを連綿と紡いでいくためのヒントが詰まっているように思えた。
■取材協力
倉敷SOLA
https://www.kurashiki-sola.jp/
株式会社三楽
https://sanraku.co.jp/
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