博多駅から約8分。“在来線”として新幹線が走る駅
福岡県那珂川市は、2018年10月に発足したばかりの、まだ新しい市だ。市の玄関口であるJR博多南駅は、博多駅から新幹線車両に乗って約8分。一帯は、福岡市のベッドタウンとして人口を伸ばしてきた。一方で、福岡都心から近すぎるがゆえに、まちの個性は発揮しにくい。住民の多くは福岡市に通い、福岡市で用事を済ませて帰ってくる。2004年に行政がつくった駅前ビルも、立ち寄る人もまばらな状態が長く続いたそうだ。
2015年にビル再生を目指すプロジェクトが立ち上がり、改修工事を経て約3年。2018年3月に「ナカイチ」という愛称で再スタートしたビルは今、コロナ禍でも使われ続ける公共空間に育ってきた。
駅前ビルが“目的地”になる。会話を生むカフェと自由な居場所
「ここは“駅ビル”ではなくて、あくまで“駅前ビル”なんです」。ナカイチを案内してくれた、株式会社ホーホゥの長野裕仁さんは言う。博多南駅とナカイチは、連絡橋でつながってはいるものの、建物は離れており、駅の乗降客はナカイチを通ることなく外に出られる。この構造が、かつて駅前ビルがあまり利用されなかった要因の一つだ。
駅前ビルの再生計画が始まった5年前、基本設計を担うプロジェクトチームに参加したホーホゥ取締役・坂口麻衣子さんは、当時を振り返って語る。
「駅の利用者が、たまたま立ち寄ることは期待できません。このビルを目指して人が来てくれるようにしなくては、と考えました」。
そのひとつのフックが、駅からフラットにつながる2階エントランスのカフェるるんだ。
「カフェをつくることは、ビルの持ち主である行政が設定した条件でした。でも、なぜカフェが必要なのか、私には疑問だった。カフェさえあれば人が集まるだろう、というだけでは、曖昧すぎます。公共施設のカフェはどうあるべきか? 今もトライアンドエラーを重ねています」と坂口さん。オープンから3年を経て「必ずしもカフェでなくてもいいのかも」とも考えている。
「大事なのは、ちょっとした会話が楽しめたり、情報交換できたりする場。コロナ禍を経て、飲食だけでなく物販を採り入れることも検討中です」。
ナカイチの2階は、全体がほとんど間仕切りのないオープンスペースで、カフェの利用者以外も自由に使える。家具やサインを手がかりに、読書したり自習したり、小さな子どもを遊ばせたりと、老若男女が思い思いに過ごしている。
中央の広いフロアはイベントスペースとして貸し出しており、時にマルシェやダンス教室が開かれる。「賑やかに音楽をかけて踊っている隣で、高校生が平然と自習を続けていたりして、おもしろい風景が生まれています」と坂口さん。さまざまな用途に、広く門戸を開いているのがナカイチの特徴だ。「みんなのためと言いながら、あれもダメ、これもダメでは、結局誰にとっても利用しづらい場所になってしまう。どんな相談もいったん受け入れて、どうすればうまく使えるかを話し合うようにしています」(坂口さん)。
ベッドタウンに働く場所を。3階は「博多南しごと荘」
ナカイチの2階が、多様な人が入れ替わり立ち替わり、自由に使う場とすれば、3階は、一定の人が日常的に通う場だ。シェアオフィス「博多南しごと荘」は、大小16の個室と会議室、開放的なドロップインスペースから成る。ベッドタウンの那珂川に、“働く”機能を持ち込んだ。同じフロアには、ホーホゥをはじめとした民間企業と那珂川市の連携によるナカイチ活用プロジェクト「こととば那珂川」の拠点もある。
前出の長野さんによれば、「博多しごと荘」の特徴は、一般的なコワーキングスペースと違って「あえて交流や協業を目指さない」ことだ。福岡都心の喧騒を逃れ、一人集中できる場を求めて入居する人もいるという。コロナ禍が始まった頃には退去も出たそうだが、空きが出ればすぐに埋まる人気で、今も満室が続いている。
ナカイチ1階はロータリーに面し、JRからバスへ、バスからJRへ乗り継ぐ人々が行き交うターミナルだ。この階には飲食や物販のテナントのほか、「ナカイチインフォメーション」と「こととばギャラリー」がある。インフォメーションでは那珂川にちなんだお土産や、アーティスト、クリエイターのCDや書籍を販売。ギャラリーでは多彩なカルチャー展示が行われている。「今後は、近隣の企業にPRスペースとして使っていただくことも考えています」と長野さん。
那珂川の山の幸、糸島の海の幸が楽しめる屋上のビアガーデン
最上階の4階は大半が屋上庭園で、ビルと並行して走る九州新幹線の勇姿が子どもたちに人気だ。夜は地産地消を掲げる「博多南ナチュラルビア&オイスターガーデン」が開店し、夏はビアガーデン、冬は牡蛎小屋が楽しめる。
実はこのビアガーデン、もともとはナカイチ開業に先立つ2016年夏に、基本設計のための実験として始めたものだ。前出の坂口さんが言う。
「当時はまだ2階エントランス周りにも人けがなく、果たして本当に駅前ビルに人を呼べるのか、みんな疑わしく思っていました。でも、夏限定でビアガーデンを開いてみたら、思いがけないほど賑わったんです。場所が分からない人が多くて『いったいどこでやってるんですか』って問合せが相次ぎましたけど(笑)」
坂口さんが、ナカイチの可能性に光を見いだしたきっかけでもあった。
那珂川市との関係が少しずつ異なる3人で構成するまちづくり会社
ホーホゥの共同経営者、左から木藤亮太さん、坂口麻衣子さん、森重裕喬さん。3人をはじめ、スタッフの多くが、多彩な“複業”を持っているのがホーホゥの特徴だ。「ホーホゥはまちづくり会社と呼ばれるけれど、まちづくりとはそもそも何か。にぎわいとは、活性化とは何か、常に問い直していくのが私たちの仕事です」と3人現在、「こととば那珂川」の一員としてナカイチの運営を担うホーホゥは、坂口さんを中心に立ち上げた会社だ。
「せっかく基本設計チームに加わってコンセプトづくりに携わったのだから、運営にもかかわりたかった。ナカイチがまちにどれだけインパクトが与えられるのか、前後10年は見届けたいと考えたんです」。
基本設計チームは、一区切り終えたところで予定通りプロジェクトを離れた。代わりに坂口さんが声を掛けたのが、現在ホーホゥの代表取締役を務める木藤亮太さんだ。
木藤さんは、宮崎県で“日南の奇跡”と称えられた油津商店街の再生を手掛けたことで知られる。もともと那珂川市に住まいがあったことから、2017年に日南市での任務を終えて帰ってきたところだった。博多南駅前ビル再生については、基本設計チームの選考にも携わっており、坂口さんも油津商店街の視察に行っている。
木藤さんは言う。「日南市と那珂川市はどちらも人口約5万人。けれど、日南市は減りゆく5万人、那珂川市は増えつつある5万人と、対照的なんです。また、日南市は地元で生まれ育ち、地元に愛着を持つ人が多いけれど、那珂川市は移住者が多く、日中は博多や天神で働いていて、まちに関心を持ちづらい。住んではいるけど、暮らしていない。ただ“住む”だけのまちから、“暮らす”まちにしないと、那珂川市の将来はないと思いました」。
2人は、会社として安定した体制を築き、なおかつ面白いチームにするには、もう一人必要だと考えた。そこで、仲間に引き入れたのが、森重裕喬さんだ。那珂川市出身で、坂口さんがナカイチのコンセプトを模索していた頃から意見を交わしていた。「森重さんは映画や音楽、アートといったカルチャー分野に強く、私や木藤さんに足りないものを補ってくれると思った」と坂口さん。
その森重さんは、ホーホゥ設立から3年ほどの間に「ナカイチをハッキングしてきたんですよ」と笑う。「こととば那珂川」のプロジェクトに「アートやカルチャーをきっかけにまちとの関わりを生む」というコンセプトを滑り込ませた。
「那珂川市周辺には、アーティストやシンガーソングライター、工芸家など、さまざまなクリエイターがいるんです。ナカイチという場を通して、彼らが安心して創作に取り組めるように支援したい。ソフト面でも、動画や音声コンテンツの制作サービスを提供しています」と森重さん。
コロナ禍の先にある、コミュニケーションや公共空間のあり方を求めて
「コロナ禍で、コミュニケーションの状況はすっかり変わってしまいました」と森重さんは言う。「今は、大きなイベントを仕掛けるのは難しい。そこで、SNSとリアルをうまく組み合わせて、テーマ別のゆるやかなコミュニティをつくろうと試みています。公共空間も、時代に合わせて変わっていかなければならないと思う」。
ナカイチの居心地のよさは、こうしたホーホゥの面々の柔軟さから生まれているようだ。「ここは、日頃の役割分担から解き放たれて、安全に過ごせる居場所になっているんじゃないかな」と森重さん。木藤さんも「図書館や子ども館や公民館とは違う、ざっくばらんな場になった」と見ている。
受験シーズンには自習の場になり、時にはデートする学生カップルの姿も見られる。「学生たちがたくさん来てくれることで、ナカイチの、施設としての価値が認められたな、と実感しています」と坂口さん。「彼らは、これからこの那珂川市に、かかわっていく人たちだから」。
ただ“住む”だけでない、“暮らす”まちとしての、那珂川市の将来がかかっている。
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