駅前広場に設置された路面電車。カフェでまちの賑わいづくりを目指す
福岡県大牟田市・西鉄大牟田駅の西口広場に、2021年3月28日、昭和初期の路面電車を改修したカフェ「hara harmony coffee」がオープンした。地元で56年続いた老舗喫茶店のコーヒーを継承し、看板メニューは地元で仕入れる材料でつくったフルーツサンド。まちの内外をつなぐ駅前という立地を生かし、地域振興や観光の拠点としての役割が期待されている。
この「路面電車204号」は戦時中の1943年に製造された。同型の車両は他にはもう残っていないそうだ。1952年まで、大牟田のまちを走っていた。廃車後、山口県の図書館で保存されていたのを大牟田の市民団体が引き取り、2019年に市に譲渡した。
大牟田市はこれを駅前広場に設置。車内で飲食や物販を行って賑わいづくりに役立てようと、2020年7月に事業提案を募集した。応募した9者から選ばれたのが、まちづくり会社「大牟田ビンテージのまち」だ。
商店街の空き店舗再生を進めてきたまちづくり会社がカフェを運営
2014年に設立された大牟田ビンテージのまちは、市や商工会議所と連携しながら、大牟田の中心街である銀座通り商店街の空き店舗活用を進める会社だ。DIYワークショップを開いて地域の人と一緒にお店をつくり、まちとお店のファンになってもらえるように努めてきた。2015年のスタート時点、商店街で営業している店は最盛期の約3分の1の20店しかなかったが、この約5年で32店にまで盛り返している。
大牟田ビンテージのまち代表の冨山博史さんは、会社を立ち上げた2014年から「福岡DIYリノベWEEK」に参加し、自らの活動のプレゼンテーションや現地見学ツアーを行ってきた。その積み重ねによって育まれた市内外のネットワークが、路面電車活用に乗り出した動機にもつながっている。
市が路面電車の本格活用に乗り出した2020年夏、大牟田はコロナ禍の最中で水害に見舞われた。「令和2年7月豪雨」だ。市の広い範囲で浸水が起きていることを知った冨山さんは、Facebookに公開グループを立ち上げて、物資の支援を呼びかけた。被災地に必要な物資をAmazonの「ほしい物リスト」にアップし、支援者がそれを購入すれば、大牟田ビンテージのまちに届く仕組みだ。公開グループの参加者はあっという間に1000人を超え、物資は冨山さんの予想を超える量とスピードで届けられた。
「大牟田のことを気に掛けてくれる人がこんなにたくさんいたんだ、と本当にうれしかった」と振り返る冨山さん。「そのとき、人口を増やすのは無理でも、大牟田に関心を持ってくれる“関係人口”を増やせばいい、それこそが大事なんだ、と気付いたんです」。
“関係人口を増やす拠点”をテーマに、路面電車の活用提案に取り組むことにした。
大牟田にコーヒーとクラシック音楽を根付かせた、老舗喫茶店の活動を継承
大牟田市の側が提案募集にあたって示したテーマは「古くて新しい」だったという。「めちゃくちゃ難しいですよね」と冨山さんは苦笑する。このとき冨山さんが思い浮かべたのが、地域の人に惜しまれながら2019年に営業を終えた喫茶店「コーヒーサロンはら」だ。 かつて銀座通り商店街の中にあり、前述の空き店舗再生活動を通じて店主の上野由幾恵さんと知り合った。
「コーヒーサロンはら」は1963年創業。上野さんが23歳のときに始めた店だ。店内に流れるクラシック音楽と、豆から挽いたコーヒーが名物だった。上野さんが思い出を語る。
「開業当初から月に1回、店内でレコードコンサートを開いていました。まだレコードが高価だった時代です。音楽好きのお客さまが集まってくれましたが、最初の店が火災に遭ってしまって。移転するとき、お客さまの勧めでグランドピアノを置くことにしたんです」
ピアノのある喫茶店は、地元の人たちが自ら演奏して楽しむ、発表会の場にも使われた。大牟田市外からの利用者もいたという。さらに上野さんは、ホテルを会場に室内楽コンサートも開催した。「レコードとはまったく違う、生演奏の息づかいに感動しました」と上野さん。そして1987年、「大牟田日本フィルの会」を立ち上げる。
日本フィルハーモニー交響楽団は、1975年から九州全県を回る九州公演を行っている。各地のボランティアが演奏プログラムの検討から会場運営にまで携わる、手づくりの公演だ。その楽団員の一人が大牟田出身で、上野さんに声を掛けたという。「せっかく九州に公演に来るのだから、なんとか故郷の大牟田でも演奏できないか、と頼まれて。お気持ちがよく分かったので、思い切って引き受けたんです」(上野さん)
「大変な仕事でしたけど、地元の方々が喜んでくださって、それが私にとっても大きな喜びでした」と振り返る上野さん。「コーヒーサロンはら」の常連客が日本フィル大牟田公演の常連客になり、「コーヒーサロンはら」が「大牟田日本フィルの会」の事務局になった。以来、毎年1度の公演を、30年以上続けてきた。
80歳を前にお店を閉めることができたのは、冨山さんが「大牟田日本フィルの会」の活動を引き継ぐと言ってくれたから、と上野さんは言う。冨山さんは、上野さんと知り合った数年前から活動に参加している。「お店を閉めても日本フィルの活動が続くなら、と安心して閉店できたんです。そうでなければ、今もどうしようかと悩んでいたと思います」(上野さん)。
昭和の半ばから、大牟田にコーヒーと音楽の文化を根付かせてきた「コーヒーサロンはら」。そのDNAを次の世代が受け継ぐことが「古くて新しい」という路面電車のコンセプトに合うのでは、と冨山さんは考えた。冨山さんは「これまで空き店舗の再生を続けてきたけれど、これからは、そもそもあったお店をなくさないように努めることも必要では」と言う。
果物もパンもクリームも地元で仕入れる、看板商品フルーツサンド
「コーヒーサロンはら」はなくなってしまったけれど、「hara harmony coffee」として生まれ変わった。同じコーヒー豆を使い、淹れ方も上野さんに教わった。
看板商品・フルーツサンドの果物は、地元の青果店から仕入れる。「毎月、新商品を出してます。次々と旬の果物が入れ替わっていくので。果物を扱っていると、季節の移り変わりに敏感になりますね」と冨山さん。今後はBLTなど、食事に向くサンドイッチも提供していきたいという。
生クリームは、大牟田に本社を置くオーム乳業製。同社開発部の人が、直々に生クリームの立て方を講習してくれたそうだ。パンは地元のベーカリー「どんぐりの樹」で、特別に食パンを丸く焼いてもらっている。
フルーツサンドの製造所は、「コーヒーサロンはら」から移転した「大牟田日本フィルの会」事務局と同じ場所につくった。「フルーツサンドの売り上げで、日本フィル事務局の家賃や水道光熱費を捻出し、活動の継続に結び付けるという作戦です」と冨山さん。
路面電車のリノベーションには、商店街でのDIYリノベと同じように、地域の人に参加してもらった。店内カウンターに貼る木製タイルに色を塗る、ワークショップを開催したのだ。五角形の木製タイルは、大牟田の祭の山車「大蛇山」の鱗をモチーフにしている。
ボランティア活動の拠点にも。今後は“マルシェの学校”開校を目指す
路面電車の周りには、市が大屋根を架け、ウッドデッキを整備している。冨山さんたちが2014年から続けてきた、まちの清掃活動「グリーンバード」の集合場所もここに移した。「ボランティアや社会活動に参加しやすい雰囲気をつくっていきたい」と冨山さん。
さらに今後は“関係人口”を増やしていくため「マルシェの学校」の開校を考えているそうだ。「散発的なイベントとしてではなく、継続するためのマルシェを考える学校にしたい。マルシェの目的と内容を一緒に考え、主体的に関わってくれる人を増やしたい」。全国各地でマルシェを続けている人を招いて、その背景にある思いを地域の人と一緒に学び、大牟田ならではのマルシェをつくっていく。
「駅前に加えて、世界遺産の三池炭鉱関連施設や動物園でマルシェを開いて連携させてもいい。駅前の路面電車を起点に、各観光地がつながるといいですね。マルシェでスキルを磨いてステップアップした人が、さらに商店街の空き店舗を再生するというストーリーもありえそう」。次々とアイデアを語る冨山さん。大牟田の未来が、楽しみになってきた。
「hara harmony coffee」https://www.instagram.com/haraharmonycoffee/
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