川上貞奴と福沢桃介
川上貞奴。1900(明治33)年のパリ万博でも公演を行い、フランス政府から勲章を授かるほどの人気に。二葉館には、貞奴に魅了された画家・ピカソによるデッサンや、貞奴をモデルにしたパリ万博ポスターのレプリカなどが展示されている名古屋城の東側に位置する、名古屋市が建築遺産の保存・活用を進める「文化のみち」エリア。前回取材した輸出陶磁器商だった井元為三郎の邸宅「文化のみち橦木館」はそのひとつだが、今回は文化のみちの拠点施設である「文化のみち二葉館」(以下、二葉館)をご紹介する。
もともと二葉館の建物は、現在地から北西へ約850mのところにあった。約2,000坪もの敷地に立つ豪奢な家で、当時の所在地が東二葉町であったことから「二葉御殿」と呼ばれていた。
創建時の所有者は川上貞奴(さだやっこ)。本名は貞で、1871(明治4)年に東京・日本橋で生まれ、父の死により芸者置屋の養女になった。芸妓になると、たちまち売れっ子となって“奴”と呼ばれるようになり、伊藤博文、井上馨ら政財界の大物たちにひいきにされたという。その後、オッペケペー節で知られる俳優で、興行師の川上音二郎と結婚。1899(明治27)年に川上一座として渡ったアメリカで初めて舞台にたち、ヨーロッパ各国でも成功を収めて“マダム貞奴”と称された。日本の女優第一号といわれる。
1911(明治44)年に音二郎が亡くなり、7回忌を終えてから女優を引退した貞奴は、昔からの知り合いだった福沢桃介に請われて名古屋へ。当時の桃介は名古屋電燈株式会社の取締役で、木曽川水系を利用した発電所開発に着手していた時期。その協力を求めたのだった。
実は、貞奴にとって桃介は初恋の人で、14歳からしばらく恋仲であった。しかし、桃介に福沢諭吉の次女との縁談が持ち上がり、桃介は貞奴との別れを選んだという。その後も交流があったなかで、貞奴は名古屋の二葉御殿で共に暮らしながら事業パートナーとして支えることとなった。
名古屋の近代化に関わり、建築物としても貴重な建物を移築・復元へ
二葉御殿は1918(大正7)年に着工し、1920(大正9)年に完成。貞奴は、名古屋市内に川上絹布株式会社という絹織物の事業を興したこともあり、着工年に敷地内に完成した使用人用の住まいで暮らしていた。
そして、貞奴と桃介が二葉御殿で一緒に暮らしたのは、完成から1924(大正13)年までのわずか5年。桃介は日本初のダム式発電である大井発電所など7ヶ所もの発電所を木曽川に建設してまちに電気をもたらし、電力王と呼ばれるまでになるのだが、その事業を進めるために名古屋の財界人などをもてなす場として、二葉御殿は大いに活用されたと考えられている。
桃介、次いで貞奴が東京に拠点を移すと、二葉御殿は貞奴の養子であった広三夫婦の住まいに。その後、土地を分割して売却し、建物の大部分は名古屋の企業の常務が買い取った。所有者がその企業に移されたあとは、社員の保養施設として1996(平成8)年まで使われていた。
老朽化から取り壊しの話も持ち上がったが、所有企業と名古屋市の間で何度かの話し合いを経て、2000(平成12)年に建物が名古屋市に寄付され、場所を移しての保存が決定した。
二葉御殿の敷地が分割売却された際に一部が取り壊されるなどし、増改築も行われていたが、移築・復元に当たっては、貞奴と桃介ゆかりの家として創建当時の姿にすることに。創建時の設計図はなかったが、当時としては珍しく家の中や外で撮影された写真が多数残されていたことに加え、ご存命だった広三夫婦の子どもで、貞奴の孫になる初さんや近隣住民などへの聞き取り、新聞や雑誌の文献、二葉御殿の設計を担当した「あめりか屋」が他に手がけた住宅などのデータを統合し、完全ではないが復元にこぎつけた。和室もある2階建ての洋館部分と、平屋建ての和館部分がつながった和洋折衷の建物となる。
東京で1909(明治42)年に創業したあめりか屋は、その名の通り、アメリカ風の住宅の設計で人気を博した住宅メーカー。その作風を知ることができる、赤い瓦の屋根や凝った意匠の外壁はひと際目立つ。
調査と移築工事にかかったのは約5年。移築先の土地入手にあたり、建物保存だけでなく地域の案内所などの複合施設にすることが条件とされ、文化のみちエリアの拠点施設、また当時の名古屋にはなかった文学資料室を併設して活用することとなった。
華やかなステンドグラスが目を引く大広間
二葉館の“顔”となるのが洋館1階の大広間。ここで貞奴と桃介は多くのゲストをもてなした。
この大広間は売却時に取り壊された部分だが、床など一部の資材が他の場所に転用されて残っていた。この部屋の象徴とも言うべき入り口ドア正面にあるステンドグラスは一部流出していたもののほぼ残っていた。初夏の草花が描かれ、「初夏」と名付けられたそのステンドグラスは、桃介の義理の弟である、日本のグラフィックデザインの先駆者であった杉浦非水によるデザインで、日本初のステンドグラス工場であった宇野澤ステインド硝子工場がつくったといわれている。
欄間にあたる最上部の4枠のうち両端がレプリカ(推定復元)で、ほかはオリジナル。ではあるが、室内から見て右側の窓(中央の観音扉になっているところの横)、アジサイがメインで描かれているステンドグラスは開館当初はレプリカだった。
「残念ながらここも流出してしまっていたので、当時の記録写真をもとにレプリカを作りました。ところが、2014(平成26)年に市内で見つかり、調査したところ、二葉御殿にあったステンドグラスに間違いがないと。2017(平成29)年にはめ込まれて、やっと1枚の絵になりました」と館長の緒方綾子さん。
以前のものは白黒の記録写真をもとにしていたため、想像で色をつけるしかなく、アジサイの背景は観音扉のところにつながる青色で推定復元されていた。「私たちは推定されたものに見慣れていたので、見つかった部分は茶系で非常に色味が暗いなと思ったんです。ですが、実際に窓にはめ込まれた状態を見ると遠近感が出て、なるほどと思いました。レプリカ時代のものはまだリーフレットの表紙になっているのですが、今ではそちらに違和感がありますね」と語る。
移築にあたって、土地の関係から建物は南向きから西向きへと90度変えられたため、日の光の当たり方は当時とは違うそうだ。
ステンドグラスは、大広間のほか1階の旧食堂、2階の旧書斎にもあり、どこも美しく部屋を彩っている。
創建当時のままの洋館和室部分は国の重要文化財に
移築復元にあたって、文化財としての登録も目指していた。そのため、創建当時の部材はできる限り保管材を使用する、改築時に転用された部分はできる限り元の場所に戻す、当時の使用場所が不明である保管材もできる限り使用する、創建当時の材料や技術を再現する、という4つの方針のもとで整備。
それがかなって、二葉館が開館した2005(平成17)年2月8日の翌日に、創建当時のままである現在の中央部分にあたるところが蔵とともに国の重要文化財に指定された。
重要文化財となったのは、1階の旧婦人室、旧茶の間、旧書斎、2階の旧婦人室、旧次の間・旧仏間からなるところ。構造材、床、建具など約8割が解体保管していたものを再利用している。
緒方館長が「貞奴が見た天井、触れた柱なんです」と語られたが、各部屋は貞奴が愛用した化粧道具や食器などの展示もあり、当時の生活の様子を思い浮かべることができる。
電力王といわれた桃介ならではの設備
二葉御殿の所有者は株で十分な資金を持っていたとされる貞奴であったものの、のちに電力王といわれた桃介と暮らした家。まだガス灯が主流であった時代。地下室に自家発電装置を完備し、家の一角には配電盤が備わって、家中に電気が張り巡らされていた。
大広間から2階へとつながる螺旋階段には、街灯のようなデザインの電気照明が。女中を呼ぶブザーも電気で動く仕掛けだった。そのほか電気釜や電気ストーブといった電化製品も使っていたという。
さらには、夜になると外観をサーチライトでライトアップ。「敷地の北側は田んぼだったので、ライトアップによって館が浮かび上がるようだったのではないでしょうか。敷地が2,000坪ありましたので、一般の方がステンドグラスからこぼれる光を見られたかは分かりませんが、館にいらっしゃるお客様にとっては気分が高揚するような建物だったと思います」と緒方館長。
電力開発の社交の場でもあっただけに、招いた財界人や技術者などに電気の魅力を印象付けたことだろう。
建物の保存と活用で、人々に伝える施設に
大広間の螺旋階段。エレガントな雰囲気で、2階のプライベートスペースから、芸妓、女優として人々を魅了してきた貞奴が降りてくる姿を想像してしまう。消防法の関係で創建時より幅が広められ、上部はほぼ直線に近い状態に変更された暮らすだけでなく、社交の場、迎賓館であったかつての二葉御殿。時が経ち、いまはその歴史を伝えつつ、文化のみちエリアについて伝える拠点施設として、さらに文学資料室として多くの人々を迎え入れている。
緒方館長に見どころについて聞いてみた。
「漠然としてしまいますけれど、建物全体です。建物自体が展示物ですから。細部にこだわって造られていますのでぜひ見ていただきたいです。もうひとつは、郷土ゆかりの文学を知って欲しいです。文学資料館としてだけ独立していたら、文学がお好きな方だけがいらっしゃることが多いかもしれません。ここは貞奴邸のなかにあるからこそ、合わせて見ていただくことができます。江戸川乱歩って名古屋に住んでいたの?と発見したり、そういうきっかけにはいいのかなと思うんです」
さらには桃介についてもっと知ってもらいたいという思いもあるそうだが、「どこにアンテナをたててご覧になるかによって見どころはそれぞれあるのではないでしょうか」と緒方館長。訪れた人のアンテナにそのうちの何かがひっかかれば、建物を保存し、活用する意義がある。
館内の一部の部屋を貸室として市民に貸し出しているほか、二葉館が主催して講座やトークショーなどのイベント開催も行い、人々が集まる機会もつくっている。
中止になっている週3日行われる館内のガイドボランティアも、コロナ禍が開ければ復活する予定だ。細やかなところにまで気を配った意匠や歴史について知るために、ぜひ利用していただけたらと思う。建築好きも文学好きも知見を広げられるはずだ。
取材協力:文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸) https://www.futabakan.jp/
参考文献:「登録有形文化財 旧川上貞奴邸復元工事 報告書」(発行:名古屋市)
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