アイデンティティーとなる建物が火災に遭うと…

建築物には地域住民の心のよりどころとなるものも多い。そのような建物が火災にあって焼失した時の喪失感は非常に大きい建築物には地域住民の心のよりどころとなるものも多い。そのような建物が火災にあって焼失した時の喪失感は非常に大きい

首里城が火災で焼失したのは2019年10月31日。新型コロナウイルスの世界的なパンデミックが起きる数ヶ月前だった。観光地沖縄において集客力の高い建物の火災は観光面での影響も大きかったが、それ以上に住民に与えたショックが大きかった。2020年1月に仕事で沖縄へ行った際、空いた時間を利用して首里城に立ち寄ったのだが、焼け落ちた建物を見てとてもやりきれない気持ちになったことを覚えている。たまに訪れる人間がそうなのだから、地元の人の落胆は想像に難く無い。書店には「売り上げの一部が補修費に充てられます」と書かれた書籍が並び、飲食店には募金箱が置かれていた。
文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が毎年1月26日を「文化財防火デー」と定めたのも、1949年に現存する最古の木造建築である法隆寺の金堂が火災に遭い、日本中に衝撃を与えたことが契機となっている。歴史的・文化的な象徴となるものが失われると、人々や地域に与えるダメージは大きい。

京都の町の歴史的・文化的な象徴といえば京町家だ。商家、織物屋、借家と用途によって間取り等が少しづつ違い、それぞれ異なる魅力があるが、通り庭、通り庇、火袋といった共通の要素が多々ある。現在この京町家という言葉は、2017年に制定された「京都市京町家の保全及び継承に関する条例(以下、「京町家条例」)」において「建築基準法が施行された昭和25(1950)年以前に建築された木造建築物で、伝統的な構造及び都市生活の中から生み出された形態又は意匠を有するもの」と定義されている。

京都の街並みに風情を加える京町家も、不動産的な見方をすれば「建築基準法上の条件を満たしていない築70年以上の木造住宅」、「建築基準法上の条件を満たしていない既存不適格物件」となる。また、木造であるが故に防火性能は低く、首里城の例を引くまでもなく火災の懸念が残る。単にノスタルジックにオリジナルの状態を残しても、防火対策を施さなくては伝統ある建物だけでなく街並みごと失われる可能性もあり、何より人命が危険にさらされる。

そのようなジレンマを持つ京町家を火災から守る取組みを紹介したい。

電気火災から家屋を守る「プレトラックコンセント」

よほど設備に詳しいものでなければ、これが特別なコンセントとは気づかないよほど設備に詳しいものでなければ、これが特別なコンセントとは気づかない

火災が起きる原因の一つに電気設備機器がある。全火災件数に対する電気設備機器火災件数は増加傾向にあり、2008年は18.6%だったのが2017年には27.4%と10年間で10%近く増加している。電気設備を原因とする火災にもいくつかの種類があり、その中に「トラッキング」というものがある。全体では上から数えて3番目、トラッキング現象による火災は数多く起きている。

トラッキング現象とは、コンセントとプラグの間にホコリが溜まり、そのホコリが空気中の湿気を吸収し、そこから漏電・発火する現象だ。冷蔵庫やテレビの裏でホコリをかぶったコンセントを見たことある人も多いであろう。あれが大変危険であり火災につながるのだ。RC造であればクロスや床材だけの被害で住むような規模の発火でも、木造住宅では構造部分にまで燃え移り大火災へつながりかねない。

室内のホコリが原因で発生するトラッキング火災。独自の検出回路でこれを未然に防ぐ「プレトラックコンセント」が今年1月京都市指定有形文化財である長江家住宅に寄贈されたと聞き、現地にうかがった。

「首里城の火災は大変ショックな出来事です。その後防火のために勉強会などに出席するなど情報収集に努めました」と語るのは株式会社フージャースホールディングスの髙木良枝さん。同社が京都事務所として保有する長江家住宅で、同住宅の維持管理や活用などに関わっている。勉強会等で積極的に取得した防火に関する情報は、同住宅に関わるメンバーで共有した。

市指定有形文化財である建物を事務所として利用するが、事務所にはPC、FAX、プリンター等が複数あり、コンセントの数も多い。「プレトラックコンセント」の寄贈に対して髙木さんはこう答える。
「火災の危険性を未然に防ぐ設備はとても嬉しいです。京町家のような古い建物は建具や構造部が火や熱に弱いので、火災が起きてしまえば取り返しがつきません」

建築基準法に基づいて建てられた木造建物は、用途や規模によっては耐火構造としなければならない。しかし京町家は建築基準法施行以前の建物。現在の法基準が満たされていない既存不適格建築物だ。ハード面は弱い。

町家の内観に馴染む「ハイテク設備」町家の内観に馴染む「ハイテク設備」

「建物自身が火災に弱いのでソフト面でカバーしています」と語る髙木さん。具体的に何をしてるのだろうか。
「難しいこと、変わったことはしていません。基本は掃除です。整理整頓しホコリをださない。日々の掃除以外には大掃除を年に2度行っています。トラッキング火災対策としては、プレトラックコンセントだけに頼ることなく、利用期限の過ぎた古い延長コードは適宜交換します」(髙木さん、以下同)

このような火災を防ぐ活動もさることながら、火災が起きたときの対策がしっかりとなされているのが興味深い。
「年に一度の火災訓練、定期的に行う消火器訓練、発火した際の通報の練習(※京都市内の指定文化財には消防署へのホットラインが設置されている)、イベント開催時に発火した際の告知・誘導訓練を行っています。この場所は祇園祭の際に鉾が設置される、地域でも大切な場所でもあり、防災には力を入れています。」

火災に弱い京町家。しかし、その文化財的価値の高さから、防火性能が上がってもオリジナルを損なうような外装内装の設置や交換は難しい。それを補うのがソフト面というわけだ。

外部からの延焼を防ぐ木製防火雨戸

法律を守りながら古い建物も守る。そんな努力を地道に続けている京都市役所法律を守りながら古い建物も守る。そんな努力を地道に続けている京都市役所

建築基準法を守ろうとすれば文化財は守れない。では、「文化財を守る」と「建築基準法を守る」のバランスを京都市はどう考えているのか?京都市 建築指導課の中川貴夫係長に話を伺ってみた。

「京町家の外回りは案外防火性能が高いんです」(中川係長、以下同)
これは意外な答えだった。京町家=古い木造=火災に弱いのイメージだったが、そうではないという。

「京町家の外壁は土壁が多いのですが、必要な厚みを持っている場合は一定の防火性能を満たしています。次に屋根。屋根瓦も火に強いです。さらに、屋根や特徴的な京町家の外観をつくる通り庇(道路に向かって伸びている庇)の裏側は野地板と呼ばれる火に弱い素材が使われていますが、この部分については既に京町家の意匠を保存しつつ、防火性を向上させる改修方法があります」

では、外回りについては京町家は案外大丈夫なのだろうか。
「いえ、課題はあります。窓部分です。窓いわゆる外壁開口部は、建築基準法的には20分の防火性能が必要とされています。しかし京町家の既存の窓は当然ながらこの性能を持ち合わせていません。窓枠は木製で耐火性能が低い。とはいえ京町家の意匠にとって大切な部分。安易にアルミサッシや鉄製の防火シャッターに交換すると、価値ある意匠を損ねてしまいます」

その解決策はあるのだろうか。
「建築基準法適用除外制度を利用し、産(京都府建築工業協同組合等)、学(早稲田大学等)、官(京都市等)で連携し、独自に性能検証した製品を利用する方法があります」

「京町家は既存不適格物件です。既存不適格の状態である建物をそのまま利用する分には建築基準法上は何の問題もありません。しかし大規模な修繕や増築をすると、既存不適格は消え、現行法が適用されてしまいます。そうなると防火性能が求められる窓はそのまま使うことができず、京町家の意匠を生かしたまま利活用することが難しくなります。そこで建築基準法適用除外制度を利用します。とはいえ性能が劣るものを使用するわけではありません。京都市等で独自に実験し開発に成功した木製防火雨戸は、京町家の意匠を損なわずに『20分の防火性能』を満たす木製防火雨戸なんです。長江家住宅でも、建築基準法適用除外制度を利用し、意匠の保存と火災に対する安全性の両立を実現いただいております」

「今年(2021年)の4月27日には、この木製防火雨戸が国土交通大臣の認定を取得しました。これにより、建築基準法適用除外制度の中だけでなく、一般の京町家の防火改修や新築案件にも活用いただけるようになりました。今後は木製防火雨戸の製作のポイントや注意点をまとめたマニュアルの作成、性能確保のための適切な施工のチェック体制の検討を進め、京町家の既存の木製建具を生かした防火改修を広げていきたいです」

中川係長は以下のように続けた。「木製防火雨戸で開口部からの延焼はある程度防げます。しかし、古い木造建物である京町家はハード面からの防災には限界があります。内装材にも課題があります。そこで、建築基準法適用除外制度では、消火装置を設置する、実際に火事が起きたときの避難をしやすいようにする、日常的な火の用心など長い歴史の中で培われた防災の知恵を継承するといったソフト面の措置を合わせて講じていただいております。建物の防火性能を部材等で満たそうとすれば京町家の意匠を生かせない場合があります。ソフト面で補完することで火災から人を守り、京町家の意匠も守る。そのために日々研究を怠らないようにしています」

表からは見えづらい、重要な取組み

トラッキング火災を未然に防ぐ「プレトラックコンセント」。外部からの延焼から木製窓枠を守る木製防火雨戸。どちらも地味な存在だ。これがあるから火災が防げるというわけではない。しかし、京都の街並みに欠かせない京町家は、言い換えれば建築基準法に適合していない木造建築物。防火面で問題がある一方、今の法律では再建築ができない価値ある建物でもある。意匠を損なわないように改修をし、火災から守るには一つ一つその原因となるものを取り除いていく必要がある。

町のアイデンティティーとなる歴史的・文化的な建物を守るための、表からは見えづらいが、重要な取組みである。

京町家の連なる景観は、京都の歴史的・文化的象徴だ京町家の連なる景観は、京都の歴史的・文化的象徴だ

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