2020年10月。東京から金沢へ、東京国立近代美術館工芸館が移転
2020年10月25日、石川県金沢市に、日本海側で初の国立美術館となる「国立工芸館(以下、工芸館)」がオープンした。正式名称は従前通り、東京国立近代美術館工芸館。皇居のお隣、北の丸公園で43年の歴史を刻んできた工芸館の移転開館だ。陶磁、ガラス、漆工、木工、竹工、染織、人形、金工、工業デザイン、グラフィック・デザインなど、約3900点のコレクションのうち、デザイン作品を除く約1900点が引越してくる予定だ。
新しい工芸館は「兼六園周辺文化の森」の高台「本多の森」にあり、県立美術館と「いしかわ赤レンガミュージアム」に挟まれて建つ。開放的な広場に面して並ぶ、2棟のクラシックな洋館だ。
明治の陸軍施設を復元改修。展示室に加え、映像やライブラリも充実
東京の工芸館は、1910(明治43)年竣工の重要文化財「旧近衛師団司令部庁舎」を改修して使っていたが、移転先の工芸館もまた、明治時代に建てられた旧陸軍施設を転用している。
エントランス正面から見て左の棟は、1898(明治31)年竣工の「旧陸軍第九師団司令部庁舎」。もともとは金沢城の二の丸跡地に建てられ、戦後しばらく金沢大学の本部に使われていた。1968年に県が建物を購入し、本多の森に移築。このとき、両翼を撤去して建物を小さくしている。今回、工芸館に転用するにあたって、現在の場所に移築し、両翼を鉄筋コンクリート造で復元した。併せて、なくなっていた屋根のドーマー窓を復元している。外観の配色も、建築当時の色に戻した。改修直前はクリーム色の外壁にピンクの窓枠と、かわいらしい雰囲気だったが、改修後は白にダークブラウンで、元司令部庁舎らしい威厳を取り戻している。
ガラス張りのエントランスホールを挟んで右の棟は、1909(明治42)年竣工の「旧陸軍金沢偕行社」。「偕行社」とは将校が集まる倶楽部のことだ。社交の場だけに、アーチ窓やコリント式の円柱形の付柱など装飾的な要素があり、庁舎より華やかなデザインになっている。こちらも1967年に県が購入し、一部撤去や移転・改修が施されてきた。工芸館への移築改修では、庁舎と同様、鉄筋コンクリート造による撤去部分の復元と、建築当時の色の再現が行われている。改修前はグレーだった窓や柱がグリーンに塗られ、庁舎との対比が鮮やかになった。
展覧会に用いられるのは庁舎側で、展示室のほか、アートライブラリやミュージアムショップも移転前より充実している。偕行社には、講演会やレクチャーなどのイベントスペースとして多目的室が設けられた(2020年12月現在、偕行社は一般公開されていない)。
今回の移転では、新たな機能も加わった。ひとつは、1階展示室の導入に設けられた「工芸とであう」というコーナー。さまざまな技法や用語を高精細の2D・3Dモニターで解説し、鑑賞に役立てる。また、2階には「芽の部屋」と「松田権六の仕事場」。前者は作品の「芽」にあたるスケッチや図案の展示、または若手作家の紹介に用いる。開館記念展Ⅰ(後述)の折には、開館記念事業の国立美術館クラウドファンディングで制作された作品群を、内田繁デザインの茶室「行庵」を使ってインスタレーション風に展示した。
「松田権六の仕事場」は、金沢出身の漆芸家で人間国宝の松田権六(1896-1986)の、東京の工房を移築・再現した展示。繊細な素材を扱うための独特の設えや道具に、作家の息遣いが漂うような、制作現場の雰囲気が味わえる。
開館記念展第1弾は、鑑賞のポイントを示す3章で、近現代工芸の精華を紹介
東京の工芸館での最後の展覧会が、コロナ禍のために予定より早く、2020年2月28日にクローズしてから8ヶ月。当初の予定から3ヶ月ほど遅れて、新しい工芸館の扉は開いた。開館記念展第一弾は「工(たくみ)の芸術ー素材・わざ・風土」。工芸館の所蔵品の中から選りすぐりの約130点がお披露目された。会期は2020年10月25日から21年1月11日まで。オンラインによる日時指定・定員制で開催された。
工芸館の展示室は、鉄筋コンクリート造の復元増築部分に当たる1階・2階の3室に分かれる。展覧会は各室をそれぞれ1章にあてた3章構成で、技法や制作年代をまたいで多彩な作品を紹介するものだ。工芸入門にぴったりな、楽しく見やすい展示になっていた。
第一章「素材とわざの因数分解」は、工芸作品の「名前」に着目した。工芸作品の名前は「素材」と「わざ」から付けられており、ルールを知れば作品を理解しやすくなる。例えば、陶芸家・富本憲吉の《色絵染付菱小格子文長手箱》(1941年)は、「色絵」「染付」(=技法)「菱小格子文」(=文様)「長」(=形状)「手箱」(=機能)に分解できる。「色絵」は釉薬の上に描く「上絵付」で「染付」は釉薬の下にある「下絵付」。この作品では、2種類の絵付を併用して赤と青のチェック柄(菱小格子)を描いている。
第二章は「 『自然』のイメージを更新する」。古くから工芸品のモチーフだった花鳥風月を、近現代の作家たちはどのように捉え直してきたか。リアルな鳥や動物や草花を細密に模倣した明治時代から、水や光を高度に抽象化して表現した21世紀の作品までが一堂に集められた(下の写真)。
第三章「風土ー場所ともの」は、日本各地の素材や歴史と工芸家の関係を探る展示。沖縄のやきものや紅型に始まり、九州、西日本、関西、中部、信越を巡って、ご当地北陸の九谷焼や輪島塗による現代的な作品群で締め括った。
2021年1月開幕の第2弾は、親しみやすいテーマで工芸とデザインを横断
2021年1月30日からは、開館記念展第二弾「うちにこんなのあったら展 気になるデザイン×工芸コレクション」が開幕する。工芸とデザインの両分野を横断する展覧会だ。
企画のきっかけは、展示室で鑑賞者が交わしていた会話だったという。「もしも自分の家に置くならどれにする?」。もっぱら鑑賞・装飾に用いる絵画や彫刻などの美術品と異なり、工芸・デザイン作品には容器や道具、家具といった「機能」がある。この器でお茶を飲んだらどうだろう? あの器には、どんな料理を盛り付けよう? などと「使うシーン」を想像しながら鑑賞するのも楽しい。
展示の中心は、時代も出身も異なる3人の作家。20世紀を代表する陶芸家ルーシー・リー、明治生まれの人間国宝(色絵磁器)、富本憲吉、19世紀イギリスのデザイナー、クリストファー・ドレッサーだ。
ルーシー・リー(1902-1995)はウイーン工業美術学校に学び、ナチスの迫害を逃れてイギリスに渡った。2010年には東京の国立新美術館で回顧展が、没後20年の2015年には全国で巡回展が開かれるなど、日本でも高い人気を誇る陶芸家だ。「うちにこんなのあったら展」では、国立工芸館が所蔵する作品12点すべてが観られる。
前項でも取り上げた富本憲吉(1886-1963)は、日本で初めて人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定された一人。「模様から模様を作るべからず」という信念のもと、独自の「羊歯文」や「四弁花文」を創造した。東京美術学校で建築と室内装飾を学んだ経歴を持ち、陶芸家としてだけでなく、デザイナーとしても活躍した。
クリストファー・ドレッサー(1834-1904)は、イギリス最初のインダストリアルデザイナーともいわれ、家具や陶磁器、金属器、ガラス、染織品まで幅広くデザインした。1876年に来日、日本各地の古社寺や工芸品を視察しており、西洋における日本美術への関心の高まりにも寄与したという。
「うちにこんなのあったら展 気になるデザイン×工芸コレクション」の会期は2021年1月30日から4月15日まで。
国立工芸館 https://www.momat.go.jp/cg/
国立工芸館周辺には、明治・大正の文化財建築物が数多く残る
国立工芸館のある「兼六園周辺文化の森」一帯には、ほかにも明治・大正の建造物が残り、現在は文化施設として見学が可能だ。
工芸館のお隣、いしかわ赤レンガミュージアムは、旧陸軍の兵器庫。明治から大正にかけて建てられた、煉瓦造2階建て、長さ90m前後の巨大な倉庫が3棟並ぶ。現在は、2棟が石川県立歴史博物館、1棟が加賀本多博物館として使われている。
同じく、石川県立美術館広坂別館も旧陸軍の施設。もと第九師団長の官舎だった建物で、1922(大正11)年の建築だ。軍の施設とはいえ住宅なので、ハーフ・ティンバー風の三角破風にモルタル掻き落としのドイツ壁と、素材感豊かなやさしいデザインになっている。
旧第四高等中学校の本館として1891(明治24)年に建設された赤煉瓦の石川四高記念文化交流館は、建設当時の外観・間取りがほぼそのまま残され、明治の学び舎の雰囲気を体感できる。館内には石川近代文学館も併設されている。
旧石川県第二中学校、現・金沢くらしの博物館も、明治の学校の姿を今に伝える。四高は煉瓦造だが二中は木造で、両翼の尖塔に玄関上の三角屋根を加えて「三尖塔校舎」という愛称を持つ。
ほか、石川四高記念文化交流館の隣には、1924(大正13)年建設の旧県庁舎を改修した石川県政記念しいのき迎賓館(鉄筋コンクリート造)、金沢城公園内には旧陸軍歩兵第六旅団司令部庁舎(木造、1898年)、旧陸軍弾薬庫隧道がある。こうした明治・大正の建造物に加え、近隣には金沢21世紀美術館(2004年、SANAA)をはじめとした現代建築の傑作も多い。国立工芸館の見学と併せて、明治から現代までの文化史をたどる旅はいかがだろう。
(参考文献)
東京国立近代美術館『国立工芸館石川移転開館記念展Ⅰ 工の芸術― 素材・わざ・風土』
石川県、金沢市『国立工芸館建物見学ツアー』(2019年11月23日〜12月2日)配付資料
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