「暗い・うるさい・怖い」のイメージを払拭し、新たな価値をつくる高架下再生
▲以前は薄暗い雰囲気で女性一人では歩きにくいイメージだった有楽町~新橋の高架下。日比谷OKUROJIの誕生により店舗も一新。「歩いてみたいエリア」へと生まれ変わった。約100年前の構造物であるレトロな赤煉瓦のアーチは、若い世代にとってむしろスタイリッシュな印象に映るようだみなさんは「高架下」と聞くとどんなイメージを連想するだろうか?
「暗い・うるさい・夜になると怖い」というネガティブなイメージをお持ちの方も多いと思うが、それはすでにひと昔前の話。いまや鉄道の高架下は、街の賑わいを創出する集客装置としての役割を担い、新たな地域価値づくりに貢献する存在となっている。
2020年9月、有楽町~新橋間の高架下に開業した「日比谷OKUROJI(オクロジ)」は、高架下利活用の成功事例のひとつといえる。
新型コロナの影響で予定より3ケ月ほどオープンが遅れたものの、その話題性から従来とは異なる若い世代の利用者が増え、地域全体の活性化を促しているという。
開業から約3ケ月。日比谷OKUROJIを訪れ、担当者に開発経緯について話を聞いた。
鉄道開発に伴い拡幅された高架橋、煉瓦構造は明治期から変わらぬ姿で現存
「JRの線路が走るこの一帯はもともと皇居の外濠でしたが、新橋~東京間の東海道線を延伸する目的で明治33(1900)年から高架線工事が行われました。
日比谷OKUROJIの天井を見上げてみると、煉瓦造りの部分と白いコンクリート部分に分かれているのですが、煉瓦のほうは明治43(1910)年の高架線工事のときのもので、現在はJR山手線や京浜東北線の線路が走っています。白いほうは昭和17(1942)年に造られたもので東海道本線の線路。さらにその奥には、昭和39(1964)年に開業した東海道新幹線の線路があり、時代に合わせてどんどん高架橋の幅が拡幅されて現在のような形になりました。
ちなみに最も古い煉瓦アーチの構造部分については関東大震災も第二次世界大戦もくぐりぬけて、一世紀前とほぼ変わらない姿で残っていますから、100年前に工事を担当した人たちが今も見守ってくれているような、そんな温かい気持ちになりますね」
ジェイアール東日本都市開発 開発事業本部の担当者によると、有楽町~新橋間の鉄道高架下再生計画が持ち上がったのは10年以上前のことだったという(以下「」内は担当者談)。
高架下再生により、地域の回遊性を高める“路地”としての役割を強化
▲煉瓦アーチの内側のコンクリートはこれまでも定期的に実施されてきた耐震補強の跡。構造部がむき出しになっているのが面白い。「路地としての役割を果たすため、タテだけでなくヨコの出入口もなるべく多く設けて通り抜けしやすい動線を心がけました。現在は工事の関係で23時に閉鎖していますが、今後は24時間通行できる予定です」「有楽町~新橋の高架下は、飲食店や事務所、倉庫など様々な用途で利用されてきており、長年この場所でご商売を続けている方がいらっしゃいました。そのため、高架下の再生を行うためには事前の調整が必要だったのです。
具体的に計画が進むきっかけのひとつになったのは、高架部分の耐震補強工事が必要になったから。耐震補強はJRの優先課題ですから、店舗の皆様には事情をご理解頂いて移転にご協力頂き、耐震補強工事と同時に高架下の再生を行うことになりました」
有楽町~新橋という東京の華やかな中心街にありながら、高架下の通路は細く暗く歩きにくいイメージで、東京ダンジョンと呼ばれていたこともあったそうだ。そこで今回の高架下再生の命題となったのは「地域の回遊性を高める“路地”としての機能を強化すること」。
「日比谷OKUROJI」のネーミングには、そんな再生への想いが込められている。
「この場所が寂れた雰囲気になっているのは地域にとっても良くない。有楽町と新橋のど真ん中というエリアの優位性を活かし、誰もが安心して歩きたくなるような道をつくりたいと考えました。地元の町内会の方からも“この辺りは紳士淑女の街だから上品なものをつくってほしい”とのご要望をいただき、誘致する店舗についてもかなり時間をかけて選びました」
よく見かける商業施設ではなく「ストーリーのあるお店」にこだわって厳選
全長約300m、延床面積約7200m2のスペースには、東京初出店の飲食店や伝統工芸品店など35店舗が軒を連ねる。集客性を高める意味では量販店を持ってくるのが手っ取り早かったはずだが、「いわゆる最近の大型商業施設にあるような店舗にはしたくなかった」と担当者は語る。
「店舗誘致の大前提として、飲食も物販も“語りたくなるようなストーリーがあるお店”にこだわりました。いわゆるチェーン店ではなく、この空間でしか体験できないようなお店にしたかったので、足を運んで“一緒にお店づくりをしませんか?”と店主の方を口説いていったんです。中には、東京の日比谷にお店を出すということに夢を持って出店してくださった方もいらっしゃいます」
日比谷OKUROJI内にはまだ空き店舗があるが、急いですべてを埋めるのではなく、コンセプトにマッチした“ストーリーのあるお店”に出会うことができたら、その都度誘致していく予定だという。
「おかげさまで店舗の方からも利用者の方からも、好意的なお言葉をたくさん頂いています。まずは一度歩いてみようという好奇心から、気になったお店にふと立ち寄って、次は隣のお店へハシゴしてみよう…と“路地ならではの良い連鎖”を生んでいるように感じます。出店してくださった店舗の方も、当初はコロナの影響で不安を感じていたようですが、最近は不安が自信に変わりつつあるようです。100年かけてつくってきた場所だから、さらに100年一緒に続けられる仲間を集めて、良い経済効果を生み出していきたいですね」
駅ナカ開発に続き、「駅シタ」開発が沿線の価値を高める可能性
「高架下の開発というのは、更地と違ってどんどん上に面積を延ばしていくことができないので、ちょっとずつ足したり直したりしながら“次の世代に受け渡していく仕事”です。
日比谷OKUROJIの開業は一定の成果につながったと自負していますが、これをモデルケースにして他の地域でも同じ展開を行うことは考えていません。
高架下の利活用というのは、それぞれの街にアジャストすることがいちばん大切で、その地域に相応しい開発手法があります。テナントで収益を上げるというよりも、街の新しい価値をつくるということを最大の目的にしてグループ全体で取り組んでいますから、今後も“高架下のイメージ”をどんどん一新しながら、沿線全体の価値の向上につなげていきたいですね」
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JR東日本が、ステーションルネッサンスをキーワードに“快適で人にやさしい駅づくり”を掲げたのは2001年のこと。その後、駅直結の商業施設『エキュート』の展開により「駅ナカ」という言葉が広く浸透し、今では駅ナカの充実度が住まい選びに影響を与えるほどになった。
今後は鉄道高架下である「駅シタ」をどのように活用していくか?で“住みたいまち”の勢力図が大きく変わるかもしれない。日比谷OKUROJIに続く、駅シタ開発のさらなる展開に注目したい。
■取材協力/ジェイアール東日本都市開発 日比谷OKUROJI
https://www.jrtk.jp/hibiya-okuroji/
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