新施設は好調な滑り出し。その始まりは2014年に遡る

シェア型複合施設oneの入り口。右側にあるのが2坪食堂。建物の内側、外側にそれぞれカウンターがあるシェア型複合施設oneの入り口。右側にあるのが2坪食堂。建物の内側、外側にそれぞれカウンターがある

2020年10月3日、東急田園都市線・JR南武線の溝の口駅(*)から徒歩5分ほどのビル1~2階に、コワーキングスペース、レンタルオフィス、貸し会議室、飲食店、不動産会社などからなるシェア型複合施設「one」(以下one)が誕生した。元々は文具店だったが、2フロア合わせて約500m2は広すぎる。店主はここ数年ほど廃業を考えてきたという。

店主から地元の不動産会社株式会社エヌアセットに「いよいよやめようと思う」という声がかかったのはコロナが猛威をふるい始める直前。ちょうど同社では経営する保育園を拡張するために隣接する支店の移転を考えており、移転先が必要だった。そこで2020年1月に「借ります」と返事をしたのだが、それ以降、社会が思いもよらぬ状況に陥ったのはご存じの通り。このタイミングで広い場所を借りて新しいチャレンジをすべきか、社内は紛糾した。

最終的に決め手となったのは同社が2017年10月に開いたコワーキング、レンタルオフィスなどからなる複合施設ノクチカの状況だ。同施設の賑わいからニーズがあると判断。5月末の決定から3ヶ月で工事を終わらせ、開業に漕ぎつけたのである。

取材にお邪魔したのは開業から2週間経った日曜日。まだホームページが立ち上がっていない、メディア向けのプレスリリースを出しただけの状況ながら、すでに会員登録は40件以上、ニュースレターの申込みは90件以上となっており、開始早々としては非常に好調な滑り出しである。

だが、それもそのはず。同社が通常の営業には繋がらない部署を作り、まちと関わり出したのは2014年9月。それから6年ほどをかけて人間関係、信頼を培ってきており、社会が大変という時期にも多くの人を集めているのはそうした積み重ねの結果なのである。

大家と不動産会社からまちを変えるという発想

同社にはワクワク広報室という不思議な名称の部署がある。社長直属の部署で大学でまちづくりを学んだ松田志暢氏が一人で担当している。松田氏は在学中に大手デベロッパーや行政だけでなく、大家さん、不動産会社にもまちを変える力があり、まちづくりができるのではないかと考え、それを縁あって知り合ったエヌアセットの宮川恒雄氏に話したところ、「じゃあ、ウチでそれを実践してみたら」と言われて入社することに。

当初2年4ヶ月ほどは賃貸仲介の営業、管理を獲得する業務などに携わり、しばらくまちづくりを忘れていたが、2014年7月、宮川氏が直属部署を新設。もう1回、企画書を書くようにという指示が出た。そこで2014年9月に生まれたのが前述の部署である。

普通の広報室は会社そのものを広報するのが役割だが、ワクワク広報室が広報するのはまち。外に出て地域の面白がり方を探し、それをまちの人、入居者に伝えることを続けた。例えば、地名に引っ掛けた○○ノクチというタイトルのイベントでは、「麦ノクチ」でクラフトビールを応援、「サルノクチ」でフットサルをやり、「粉ノクチ」では溝の口らしいもんじゃを考えるなどを20回ほど開催した。

仕事を通じて知り合った大家さん・越水隆裕氏をリーダーに、まちのゴミ拾いをするボランティア活動「グリーンバード」の溝の口チームを立上げ、活動は現在も続けられている。店頭では野菜市も開いている。溝の口周辺で賃貸経営をする大家さんは農業を営んでいる人も多く、彼らの生産した野菜を並べることで地元を知ってもらおうという意図だ。小学校5年生を対象にした少年野球大会を開催したり、近隣の梶ヶ谷での祭りやバルイベントに協力することも。活動は多岐にわたり、松田氏はこれらの活動を通じてさまざまな人たちと知り合いになった。

one2階にある不動産会社エヌアセット溝の口北口店。入りやすい雰囲気の店舗だone2階にある不動産会社エヌアセット溝の口北口店。入りやすい雰囲気の店舗だ

「ない」と言われたオフィスニーズを発掘

溝の口の不動産ニーズを大きく変えたノクチカ。ランドマーク的な雰囲気のある建物だったことも大きく寄与した溝の口の不動産ニーズを大きく変えたノクチカ。ランドマーク的な雰囲気のある建物だったことも大きく寄与した

すぐに営業に結び付くわけではない業務を続けて2年余。とある空き家を活用できないかという相談が舞い込む。空き家の隣に建つマンションを同社が管理していた縁からで、築90年以上の建物は地域のランドマーク的な存在。所有者は定期的に掃除をするなど手は入れてきたがメンテナンスは大変で、税金など維持コストもかかる。なんとかできないかという相談だった。

「オフィス系のポータルサイトを運営している友人などにも意見を聞きましたが、溝の口にオフィスのニーズはないだろうという意見が大半。でも、ワクワク広報室の活動を通じて、地元で働きたい、地域で何かやりたいという声を多く聞いていたので、その声を信じて始めたのがコワーキング、レンタルスペース、コーヒースタンドなどからなる『nokutica』(以下ノクチカ)です」

2017年10月にオープンしたノクチカは開業時点でレンタルオフィス5室、コーヒースタンドの入居が決まっており、レンタルオフィスへの問合せは40件余にも。利用者のなかにはワクワク広報室の活動を通じて知り合った人も多く、松田氏が培ってきた人間関係が生きたようだ。コロナ禍を経てリモートワークが急速に現実になった今なら、住宅街近くに仕事場としてのニーズがあることが知られるようになってきたが、それよりも早く、溝の口にはそのための場がまちの人のリアルな声を背景に生まれていたのである。

しかも、利用状況が圧倒的である。レンタルスペースの場合、2室に対して年間約1,700件の申込みがあり、月に換算すると1室当たり70件強。30分からと短時間でも安価に利用できるため、多数の利用があるのだ。内容としては小規模な展示会、マルシェイベントのほか、ママさんカメラマンの撮影の場、ヨガやベビーマッサージの教室など。起業のための第一歩としてここを使っている人も多く、ある種のインキュベーションスペースともなっている。累計利用者は600人ほど。定期的に使っている人も多いそうで、まちに必要な場になっているようである。

培った人間関係が次の施設を生む

ノクチカから2年、2019年11月にはマンション1階のワンルーム3室を利用した共創型シェアマーケット「Nokuchi lab」(以下ノクチラボ)が誕生する。マンションの所有者はノクチカを一緒に運営する地元の大家・石井秀和氏で、ノクチカで知り合った飲食店経営者・丸山佑樹氏が企画からマネジメントその他を担当しており、ノクチカが繋いだ縁である。

22m2のワンルーム3室のうち、手前の2室は壁を抜いてマーケットとなっており、奥の1戸はシェアキッチンのあるシェアリングバー。ここには日替わりでバリスタ、マスターが立つことになっている。また、マーケットに出店している人たちは各店2時間ずつ、ここのキッチンを使って仕込みをする。

44m2のマーケットは真ん中のカウンターを囲んでコの字状に店舗が並んでおり、その数なんと25店(取材時点)。コの字型部分は飲食店で、ほぼ調理された料理に最後の仕上げをして提供する形となっているため、スペースはコンパクトで済む。天井や壁、棚などあらゆる空間には雑貨やドライフラワー、焼き菓子などが並べられているが、それらもすべて店舗。大半は無人で、勘定は総合レジでまとめて行う。場やレジをシェアすることで小さな空間に多店舗をぎゅっと凝縮しているのである。

そのため、店を出す費用は安価で済む。飲食店の場合、昼だけ、夜だけ、終日と出店する時間帯、有人か、無人かで細かく分かれているが、最低で月3万円~。自前で場所を借りて内装工事を行い、厨房設備を購入して店を出すとなると数百万円では済まないが、ここならお試し感覚で出店ができる。

開業から売上は右肩上がり。さらにノクチラボが入っているマンションの住戸を住宅ではなく、アトリエとして貸すことにも成功した。同じ立地でも住宅とオフィスではオフィスの賃料のほうが高い。また、住宅は築年で賃料を下げざるを得ないことがあるが、オフィス賃料には築年数はあまり影響しない。つまり、ノクチラボを作ることでマンション全体の価値を上げることに成功したわけである。

左上から時計回りに、ノクチラボ外観。塀や駐車場があった場所をテラス席にした。さまざまな店舗が出店している。壁や棚などあらゆる場所が店舗になる。カウンターを中心にコの字型に飲食店が並ぶ店内左上から時計回りに、ノクチラボ外観。塀や駐車場があった場所をテラス席にした。さまざまな店舗が出店している。壁や棚などあらゆる場所が店舗になる。カウンターを中心にコの字型に飲食店が並ぶ店内

売る、貸す以外にも不動産会社にはできる仕事がある

ノクチカ、ノクチラボと人が集まる場が増えてきたところにoneである。ノクチカのコワーキングはすでに満員で利用状況はコロナ禍で変化、より使われるようにもなっていた。「ノクチカのコワーキングスペースは定期のみで、利用者は60人ほど。以前はフリーランスの人が仕事の拠点として週に2~3回利用という例が多かったのですが、現在はそれ以外の人も含め、週に4~5回利用する人が増え、一方でソーシャルディスタンスを取る必要もあってこれ以上は利用者を増やせず、空き待ち状態が続いています」

その結果がoneへの多くの問合せというわけである。

最後にoneをご紹介しよう。まず、1階は入口の脇に二坪食堂というコーヒーをメインに、日替わりの一品を出す飲食店が入っている。道行く人、施設利用者と外と内、両側に料理を提供できる作りになっているのが特徴だ。その奥にはコワーキング44席、レンタルオフィス2室、防音個室2室、簡易個室ブース4室に定員6人の貸会議室1室があり、オンライン会議にも使いやすい。

2階は16席のパブリックスペース、定員10人の貸会議室、エヌアセットのオフィスが入っており、これにも当初は異論があった。不動産会社は通りすがりに入る客を期待、1階の視認性のよい場所に店を構えることが多い。それなのに、2階店舗とは!

だが、近年はネット検索をした上での来店が一般的で、1階に店舗がある意味は薄れつつある。加えて同社の場合、これまでの活動を通じて地元のために仕事をしてくれる会社というイメージが定着しつつあり、使われていない店舗その他の相談が年々増えている。

すでにoneに続き、売る、貸す以外のソリューションを求めて、建物、土地などの再生の相談が持ち込まれており、そうした不動産が使われることになれば、まちには新たな魅力が付加される。地域の魅力を探していた当初からすると、ワクワク広報室の仕事はいまや、自ら地域の魅力を作ることへ変貌しているわけである。

(*)東急田園都市線は溝の口駅、JR南武線は武蔵溝ノ口駅、地名は溝口となっているが、ここでは溝の口で統一する。

エヌアセット
https://www.n-asset.com/

ノクチカ
http://nokutica.com/

ノクチラボ
https://www.facebook.com/nokuchilab/

左上から時計回りにone入口。席のタイプはさまざまあり、その時の気分、仕事の内容などで選べる。2階のパブリックスペース。ドロップイン利用者も多いため、入退館はアプリで管理左上から時計回りにone入口。席のタイプはさまざまあり、その時の気分、仕事の内容などで選べる。2階のパブリックスペース。ドロップイン利用者も多いため、入退館はアプリで管理

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