ここにしかない、白樺樹液という資源を生かして
「赤レンガ倉庫」と聞けば、横浜や函館の倉庫群がすぐに浮かぶ。だが規模こそ小さいものの、旭川と稚内の中間にある北海道美深町の中心部にも立ち並び、その1つは2019年6月、日本最北のクラフトビール醸造所として生まれ変わった。国内でも珍しい、地元で豊富に採れる白樺樹液を使ったブルワリー兼レストラン「美深白樺ブルワリー(レストランBSB)」だ。
⽩樺樹液は、雪解けが進む春、⽩樺が芽吹きに向けて⼤地の水分を存分に吸収する時、たった2週間だけ採取できる大地からの貴重な恵みだ。美深町は樹液飲料の発祥の地で、1989年、日本で初めて白樺樹液の飲料化に成功した。国内の生産量の9割は美深産といわれ、美深町での生産量は年間90トンほど。美深観光協会によると世界最大規模で、「国際樹液サミット」も開催されている。
樹液の生産者や美深町観光協会は、抜きんでたこの地域資源を生かし、ここにしかないビールを作れないかと模索していた。2016年には道外の醸造所に委託してビールを試作。すっきりと後味が良く、優しい微炭酸でほのかな樹液らしい甘みと苦みに手応えを感じ、2017年から本格的な検討に乗り出した。
なぜビールなのか。それには美深町ならではの「文化」が根差しているからだという。
美深町ならではの「ビール文化」にマッチ
ブルワリー代表の高橋克尚さんによると、美深町では短い夏を思い切り楽しむように、夏には個人でサーバーをレンタルして楽しむほどビール好きの家庭がいくつもある。美深町内の夏まつりでは道北最大のビールパーティーが毎年開かれ、にぎわいを見せる。
2017年からは、町民有志が主体となった「美深クラフトビアフェス」が毎年開かれ、人口約4,200人の町で500人以上が集まるという実績から、注目を集めている。ビアフェスの会場は現在ブルワリーの店舗となった1928(昭和3)年建築の元農業用倉庫。ジャガイモの貯蔵用倉庫だったため天井まで高く、開放感と重厚感を備えていて、海外のビアホールのような雰囲気づくりにも一役買っている。
高橋さんは、そんな美深町らしい土壌もあって「ビールは浸透しやすい」と直感。ビールを通してさまざまな分野のコミュニティーに所属する人が集まったり、人が出会い、交流したりするツールとしての可能性を感じていた。
さらに、全国的にクラフトビール人気が高まっていることも追い風だった。「いろいろな素材と職人の技術で、一から造りたいビールに挑戦できる。そんな造り手のストーリーを気軽に味わえるのがクラフトビールだ」と高橋さんは考えていた。
地元の思いに共鳴した移住者による「水やり」
ただ、高橋さんにビール造りの経験もなく、地元との地縁もなかった。出発点になったのは、町内の白樺樹液の生産者の熱意だったという。
高橋さんは2017年秋にバイクで美深町を一人旅して、宿泊施設や羊農場を営む傍ら白樺樹液の生産を長く手がけてきた「松山農場」の柳生佳樹さんと出会った。宿で思いを聞き、刺激を受け、美深でのビール造りという地域の夢に引き込まれていった。
生まれも育ちも東京で、大手IT系企業で社内の情報システムを手がけるマネジャーを務めていた高橋さん。地方で、民間の自分たちの手で一からものをつくるプロセスにかねて興味があり、退職して美深町に移り住んだ。
米国ポートランドや東京で修業し、2年後にはレストランでお披露目をするという、松山農場の柳生さんが主宰したプロジェクトに参画。「地⽅の⼩さな町は、想像以上に人が減っていくことが顕著で、現状維持や諦めの風土が強いんです。なかなか変わろうとしない。だから、仕組みではなくてまず目に見えてわかるキーアイテムが必要だと実感しました。とにかくこの町から1杯のビールを出せば、色んなことが変わり、始まると信じてやってきました」と振り返る。
高橋さんは「僕はスキルのない人間。柳生さんたちが畑を耕し、種もまいて、積み重ねてきた。そこに僕が水をやっているだけです」と表現する。ブルワリーとレストランは2019年6月に開業し、酒造免許の関係で同年9月にグランドオープンを迎えた。レストランではクラフトビールの飲み比べに加えて、松山農場の羊肉のジンギスカンや水牛のドリア、町内産ジャガイモのフライドポテトなど、クラフトビールに合う料理を提供している。
目指すのは、地元の人や旅人の外国人が立ち寄り、さまざまな世代が一杯飲んで話す、海外の「ビアパブ」のような存在という。「今まで美深町を知らない、来たことのない人たちが来るようになったことが一番の手応えです。 宿泊施設や飲食店ではなく、新しい地元産のプロダクトができあがったことで、この土地でしか作れないものが1つ増え、地元の自信や誇りが強くなっている気がします。人が減っていく町でも、将来への期待につながるんだと。 『美深町ってどんなとこ?』『 クラフトビールあるよ!』『 飲んでみたい』『行ってみたい』という会話も増えました」と高橋さんは喜ぶ。
眠れるハコをどう生かすか
柳生さんをはじめ地元の思いや資源が土台になり、高橋さんという地元外のプレイヤーを交えて完成した美深白樺ブルワリー。醸造所の新設という大型事業を始める上で、条件の良い物件の存在は、大きなアドバンテージだった。
リノベーションにマッチしそうな農業用倉庫が中心部に複数あったことに加えて、ブルワリーに生まれ変わった農業用倉庫は柳生さんの所有。築90年以上ながら傷みがほとんどなく、物件選びでのハードルはなかった。
さらに、100m2超の古い工場からの用途変更により、費用と時間のかかる確認申請のみならず、数千万円規模の構造補強が求められる可能性もあったが、レストラン部分と醸造工場、倉庫と3区画に分けることでそれぞれを100m2以下に細分化できたため、確認申請も不要になった。高橋さんとしては新規開業のための巨額負担はなく、安心して準備に専念できた。
高橋さんによると、町内には不動産を仲介する会社がなく、空き家の情報が得にくい。だが町外客にも人気の地元ピザ店は古民家のセルフリノベーションで誕生していて、民家を改修したゲストハウスを準備中の移住者もいるという。チーズ工房が無償譲渡物件の仲介サイトで紹介され、マッチングが成立したこともあった。「ハコが埋もれているんです。リノベーションして使えるようにすれば、いろいろな使い道ができて面白いと思います」と活用が進むことに期待する。
「どんな町でも、地域ならではのポテンシャルをどんどん掘り起こせば、きっとその町にしかできない事があると思うんです。美深町にしかできないというわけではありません。そして、点と点が線になって、線と線が輪になって、それが幾重にもつながると、⼤きい球になっていきます。それに関わる⼈をつないでいくアイテムがビールであり、町内外でいろんな化学反応が起こると楽しいですね」
美深町のビールで、美深町を超えたつながりを”発酵”させていく未来を、高橋さんたちは見据えている。
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