源頼朝ゆかりの鎌倉市西御門地区に、ひっそりと佇む日本家屋『旧村上邸』

JR鎌倉駅東口から車で約10分。若宮大路を北上して鶴岡八幡宮前からさらに路地を進んでいくと、瀟洒な邸宅が建ち並ぶ西御門(にしみかど)地区が広がる。西御門という地名は、源頼朝の邸宅であり鎌倉幕府の政務機能が集約された『大倉御所』の西門があったことに由来しており、頼朝の墓所は現在もここ西御門地区内にある。

そんな鎌倉幕府開設以来の長い街の歴史と風格が漂う邸宅街・西御門地区の一角に、鎌倉市景観重要建築物『旧村上邸』は静かに佇んでいた。約780坪の敷地の中に建つ古い日本家屋がその存在を通じて発信していることとは何か?『旧村上邸』を取材した。

▲西御門二丁目の邸宅街に佇む『旧村上邸』。もともとは明治後期の建物とされているが、所有者が変わる都度増改築が繰り返されてきたため正確な築年は不明だ。昭和16年から村上梅子氏が所有。村上氏の没後、平成28年に鎌倉市に寄贈された。母屋は木造二階建ての桟瓦葺き入母屋で壁は漆喰塗り。茶室は桟瓦葺き切妻の土壁。鎌倉のお屋敷の伝統様式を残す建物だという▲西御門二丁目の邸宅街に佇む『旧村上邸』。もともとは明治後期の建物とされているが、所有者が変わる都度増改築が繰り返されてきたため正確な築年は不明だ。昭和16年から村上梅子氏が所有。村上氏の没後、平成28年に鎌倉市に寄贈された。母屋は木造二階建ての桟瓦葺き入母屋で壁は漆喰塗り。茶室は桟瓦葺き切妻の土壁。鎌倉のお屋敷の伝統様式を残す建物だという

地元ニーズに応えて誕生した「企業の研修所」兼「地域コミュニティ施設」

『旧村上邸』は、現在鎌倉市の所有となっているが、公募によって選ばれた民間事業者が委託を受け建物運営を行っている。その運営を担うのは、鎌倉を拠点にしてまちづくりや空き家再生に取組むまちづくり会社『エンジョイワークス』とその系列会社の『グッドネイバーズ』だ。

「もともとここにお住まいになっていた村上梅子さんは、鎌倉の文化や古典芸能に造詣の深い方で、建物の中にある能舞台でお能の練習を行ったり、着物の展示会などを開いていたと聞いています。二階堂にあった上野邸から茶室を譲り受け、敷地内の離れに移築したのも梅子さんのご趣味でした。

梅子さんは亡くなられる前から遺贈を希望されており、市の所有となったわけですが、実は鎌倉市内にはこういう立派なお屋敷がたくさんありますから、すべての邸宅を市の施設として維持するために税金を投入し続けることは難しい。しかし、鎌倉の伝統あるお屋敷街の風景を残すためにも『旧村上邸』の建物はどうしても保存したい…そこで、民間での活用が検討されることになったのです。

建物の寄贈を受けてすぐ、鎌倉市では事業者に向けてサウンディング調査を実施しました。サウンディング調査というのは一般に、事業者が”この建物をどのような使い方をしたいか?”を伝える場ですが、私たちは、利活用案は事業者だけで考えるのではなく、鎌倉の人やこの建物の利活用に興味のある人たちみんなで考えるべきと考え、イベントを開催してアイデアを練りました。

その結果、鎌倉の中でも静かな立地である西御門地区において、”誰もが自由に入館できる開放的すぎる施設”ではなく、”鎌倉の人たちのつながりを広げながら、鎌倉以外の人にも活用してもらえるような施設とは何だろう?”をみんなで考え、ひとつのアイデアとして浮上したのが、企業の保養・研修所と地域コミュニティ施設を兼ねた『鎌倉みらいラボ』だったのです」(以下、「」内はエンジョイワークス執行役員の濱口智明さん談)

▲母屋の前に広がる見事な日本庭園はスタッフが自分たちで管理。並行して村上氏の生前からずっとこの庭の管理をおこなってきた庭師も手入れを継続しているという。この風情ある景観と『研修所』『コミュニティ施設』というキーワードがマッチしないような気もするが「そのギャップにこそおもしろさがある」と濱口さん。近隣の自治会の会合や、市役所の出張健康診断もこの場所で実施されている▲母屋の前に広がる見事な日本庭園はスタッフが自分たちで管理。並行して村上氏の生前からずっとこの庭の管理をおこなってきた庭師も手入れを継続しているという。この風情ある景観と『研修所』『コミュニティ施設』というキーワードがマッチしないような気もするが「そのギャップにこそおもしろさがある」と濱口さん。近隣の自治会の会合や、市役所の出張健康診断もこの場所で実施されている

「人」と「知恵」も含めて、地域の財産をみんなで守っていく

▲2018年5月に誕生した『鎌倉みらいラボ』。村上氏が増築したという見事な能舞台も、オフサイトミーティング用の研修スペースとして使われている。「ビルの中とはまた違う空気感の中で研修を行うことで、新しい発想が生まれる」と利用者からは好評だ▲2018年5月に誕生した『鎌倉みらいラボ』。村上氏が増築したという見事な能舞台も、オフサイトミーティング用の研修スペースとして使われている。「ビルの中とはまた違う空気感の中で研修を行うことで、新しい発想が生まれる」と利用者からは好評だ

鎌倉で暮らしながらフリーランスで仕事をしている人は多い。彼らが取引先の企業と会議を行う場合はわざわざ都心へ出向くことが多いが、時には都心の企業側が鎌倉に出向くことがあっても良いのではないかというのが発想の源となった。

「せっかく鎌倉に来てもらうなら、ビルの貸し会議室ではなく、鎌倉らしい場所で会議や研修ができたら良い、さらには保養を兼ねたプログラムを組み込んでも面白いのではないか?」と、旧村上邸を『オフサイトミーティングができる研修所』として活用するユニークなアイデアが浮上した。

その後、同社の『鎌倉みらいラボ』のアイデアは鎌倉市から採択され、投資型クラウドファンディングによって資金調達が行われた。ファンドの出資者は主に地元鎌倉の人たちを中心にして広域に集まり、資金提供と同時に「こんな使い方をしてみたらどうか?」といった企画案も複数寄せられたというから心強い。

「投資型クラウドファンディングの手法をとったのは“資金が足りないからお金を集めています”ではなく、投資を通じて出資者の皆さんを巻き込むことによって、継続的に新しい企画を掘り起こしていきたかったから。従来の行政の手法とは違って、民間の事業者だからできることを模索したいと考えました。

私たちは“参加型まちづくり”を行うために様々な参加の仕掛けを1つのプロジェクトに組み込むようにしています。アイデア出し、場づくりワークショップ、SNSでのシェア、投資参加、運営協力等、関わり方はそれぞれで、個々の方の興味・関心のあるところを深めつつ、それぞれのモチベーションとタイミングでプロジェクトに接点を持っていただき、それが、ゆくゆく“持続的な地域のコミュニティ”や“まち”そのものになっていくのではないかと考えて活動しているのです。

実際に出資者の中には、いわゆる投資家の方だけではなく、鎌倉在住のお茶の先生などいろいろな方がいらっしゃるので、この空間を通じて地域の様々なつながりが生まれています。また、日本画家の先生を講師に招いて『草木染のDIY体験会』を開いたり、お茶の先生から茶器の名称について教えていただいたり、ご自宅で使わずに眠っていた道具を寄付してくださるなど、出資者以外にも積極的に運営に携わってくださっている方がたくさんいらっしゃいます。

ある意味、鎌倉というのは人材の宝庫でもありますから、この『旧村上邸』の建物活用をきっかけに、地元の「人たち(技術)」と「知恵(アイデア)」も含めて“地域の財産をみんなで守っていく”という取組みが広がりつつあります」

鎌倉市の『SDGsモデル事業』のショーケースとして存在する建物

こうして利活用されることになった『旧村上邸』だが、実はその存在自体が大切な使命を担っている。それは、鎌倉市の『SDGsモデル事業の象徴』としての役割だ。

「平成30年、鎌倉市は全国に10都市ある『SDGs未来都市』のひとつに選ばれました。市が掲げているのは『持続可能な都市経営“SDGs未来都市かまくら”の創造』です。鎌倉特有の歴史的建造物を活用し、経済(労働)・社会(交流)・環境(歴史と文化の継承)の好循環モデルの創出を目標としているのですが、『鎌倉みらいラボ』はそのショーケースとなることを目指して運用を行っています。“鎌倉のどんなリソースがこの場所で使えるか?”について地元のみなさんからもアイデアを出してもらい、地域巻き込み型の企画を立ち上げているのは、まちづくりを“他人ごと”ではなく“自分ごと”として住民の方にも捉えてもらいたいからです」

そんな『旧村上邸』の噂を聞きつけ、SDGsへの取組みを積極的に行っている外資系企業や大手企業から「社員研修に使いたい」といった問合せも増えてきた。実際にこの場所で研修を行った企業担当者からの感想としては「窓ガラス越しに日本庭園を眺めながら考えるうちに、これまでとは違う新しいアイデアが浮かんだ」とか「和室空間でミーティングを行うと参加者同士の距離が近くなるので、会議室とは異なる距離感が前向きな発想につながった」といった好意的な意見も多く聞かれるそうだ。

「単に“行って帰ってくるだけの研修”なら、わざわざ鎌倉まで出向かなくても、都心の会議室を使えばいいじゃない?ということになります。そのため“鎌倉のこの場所で過ごしてもらう意義”を今後も強く打ち出していきたいと考えています。

例えば、和室でグループワーキングをしてから能舞台で発表会を行うとか、午後の休憩時間にお茶の先生をお呼びして茶室で精神性を高めるなど、都心の風景にはない“非日常”を体験することもできます。また、この場所は規約上、夕方5時までしか使えないのですが、一泊二日で研修を行いたいという要望があれば、弊社で運営しているホステルやサテライトオフィスとセットにしてプランを提案することも可能です。

こうした宿泊プランをはじめたのは、せっかく訪れてくれた人たちに“鎌倉との接点”をもっと増やしてもらいたいから。『鎌倉みらいラボ』を通じて多くの接点をつくりだすことで、それが鎌倉の持続可能な都市経営へつながっていくものと考えています」

▲少人数の研修なら茶室を使うことも可能。この茶室は昭和35年に二階堂にあった上野邸(前:住友寛一邸)から移築されたもの。お茶道具の貸し出しも行っているため、研修の一環としてお茶を立てることもできる。都心のオフィス街ではなかなか体験できない“非日常的な時間”をこの場所で過ごすことにより、新たな発想が生まれることもある▲少人数の研修なら茶室を使うことも可能。この茶室は昭和35年に二階堂にあった上野邸(前:住友寛一邸)から移築されたもの。お茶道具の貸し出しも行っているため、研修の一環としてお茶を立てることもできる。都心のオフィス街ではなかなか体験できない“非日常的な時間”をこの場所で過ごすことにより、新たな発想が生まれることもある

新しい象徴をつくるのではなく、古いものを残してとどめることが大切

「この『旧村上邸』が『鎌倉みらいラボ』として活用されるようになって約8ケ月が経ちますが、今後の課題はこの場所がもっと広く認知されるように活動を発信していくこと。ひとことで“SDGsの施設です”と言ってもなかなか世の中に伝わりにくいので、もう少しわかりやすく翻訳しながら施設の魅力をPRしていきたいと考えています。

SDGsというと、まずプラットフォームをつくって、その後はソフト的な部分ばかりが注目されがちですが、結局“そのあとに何が残るか?何を残したいのか?”を明確にしていないと、いくら発信を続けても膨大な情報の中に消えていってしまいます。その点、『旧村上邸』のようにSDGsの活動の“象徴的な存在の場”があるって、とても大事なことだと思うんです。

新しい象徴をつくるのではなく、古いものを残してそこにとどめることがSDGsの象徴となる…これこそが『旧村上邸』と『鎌倉みらいラボ』を通じて、我々が発信すべきことであり、とても大切な任務だと考えています」

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鎌倉市が目指す「持続可能な都市経営」のためには、人も、街も、建物も「鎌倉らしい風景を残し続けること」が重要な課題となる。しかし、そこに最も必要となるのは“地元のひとたちの想い”であって、行政や民間企業が打ち出す「机上の計画」だけでは成り立たない目標でもある。

地域資源である「古い建物」を活用し、その場所をSDGsの象徴として地域の好循環につなげていく…鎌倉市の取組みが成功すれば、全国の各市町村でも展開可能な前例となるだろう。『旧村上邸~鎌倉みらいラボ~』の発信力を今後も期待したい。

■取材協力/旧村上邸~鎌倉みらいラボ~
https://kamakura-mirai-lab.com/

▲『鎌倉みらいラボ』としての活用にあたり耐震補強工事を実施。天井裏にダンパーを設置し、昔ながらの伝統工法を生かしながら建物強度を保っている。地域の子どもたちが建物見学に訪れたときは「ここを学校にしたら?」といった意見も出ていたそうだ。こうして地元の人たちが各自で「古い建物をどうやって使うか考えること」は、地域景観の維持へとつながる貴重な体験となる
▲『鎌倉みらいラボ』としての活用にあたり耐震補強工事を実施。天井裏にダンパーを設置し、昔ながらの伝統工法を生かしながら建物強度を保っている。地域の子どもたちが建物見学に訪れたときは「ここを学校にしたら?」といった意見も出ていたそうだ。こうして地元の人たちが各自で「古い建物をどうやって使うか考えること」は、地域景観の維持へとつながる貴重な体験となる

2020年 03月08日 11時00分