大正時代の「一等駅」として、ネオ・ルネサンス様式で建てられた駅舎

北九州市屈指の観光地・門司港レトロ地区の玄関口で、国の重要文化財でもある門司港駅が、約6年に渡る改修工事を終えてグランドオープンした。105年前の1914(大正3)年に竣工した当時の姿が甦る。

東京駅の竣工も同じ1914(大正3)年だが、開業は東京駅が12月20日だったのに対し、門司港の現駅舎は2月1日の営業開始なので、少しだけ先輩に当たる。現役の駅舎として国の重要文化財に指定されているのはこの2つだけだ。

門司港駅ははじめ、二代目の「門司駅」として建てられた。九州の鉄道の起点として、当時の駅のランクで最高の「一等駅」に位置付けられている。
しかし、戦時中の1942(昭和17)年、関門鉄道トンネルが開通。「門司駅」の名前はトンネル入り口に当たる大里(だいり)駅に譲られ、「門司港駅」に改称することになった。

本来、一等駅は石造りであるべきなのに、門司港駅が木造なのは「建設時、すでにトンネル計画が持ち上がっていたから、工期もコストも削減できる木造にしたようです」とJR九州施設部の稲盛智章さんは言う。

木造とはいえ、仕上げのモルタルに目地を入れることで、石造り風に仕上げている。ネオ・ルネサンス様式の堂々たるデザインだ。

復原された門司港駅。中央の棟は天然石板スレート葺きのマンサード屋根だ。国内では石板スレートを製造しているところが見つからず、カナダから輸入したという。壁面上部の緑色の部分は銅板。年月を経て緑青をふいたためこの色になった。「一方で、新しく1階と2階の間などに使った新しい銅板(茶色く見える部分)が同じように緑になるかどうかは時間が経ってみないと分かりませんね」とJR九州の稲盛さん。中央棟の両端にある柱型(ジャイアントオーダー)が建物に格調を添えている(写真提供:JR九州)復原された門司港駅。中央の棟は天然石板スレート葺きのマンサード屋根だ。国内では石板スレートを製造しているところが見つからず、カナダから輸入したという。壁面上部の緑色の部分は銅板。年月を経て緑青をふいたためこの色になった。「一方で、新しく1階と2階の間などに使った新しい銅板(茶色く見える部分)が同じように緑になるかどうかは時間が経ってみないと分かりませんね」とJR九州の稲盛さん。中央棟の両端にある柱型(ジャイアントオーダー)が建物に格調を添えている(写真提供:JR九州)

改修を繰り返してきた門司港駅。今回の工事で大正3年の建設当時の姿を復原

門司港駅は、約100年の間にたびたび手を加えられてきた。建設から4年後の1918(大正7)年に外壁を薄いグレーに塗り替え、大時計を設置。これは九州初の電気時計だったそうだ。さらに、1929(昭和4)年には正面に車寄せの庇を取り付け、外壁を黒く塗っている。そして、修復直前の2012年には、ピンク色の外壁に緑色の屋根という姿になっていた。

今回の改修では、有識者の議論から、原則として竣工当初の姿に復原するという方針が立てられた。ただし、駅舎のシンボルとして親しまれてきた大時計は残す。また、関門連絡船との接続のために1931(昭和6)年に増築された西側の倉庫も、その歴史的価値から残すことになった。

改修前の門司港駅(写真提供:JR九州)改修前の門司港駅(写真提供:JR九州)

竣工当時の姿を求めて、建物の痕跡と文献を調査。地域住民から情報提供も

竣工当初の姿といっても、100年も前では見た人もいない。JR九州には当時の図面も残っていなかった。

そこで、復原はまず、建物を丁寧に解体しながら建設時の痕跡を探る作業と、全国で文献資料をあたる調査から始まった。地元では、駅に張り紙を掲示するなどして、地域住人からも広く情報を募った。

建設時の図面は、宮内庁公文書館で発見された。大正天皇が門司港に行啓した折、警備用の資料として取り寄せたものが保存されていたのだ。また、福岡県在住の人から、竣工時のイベントで配られたとみられる間取り図と仕様書が提供された。

図面には、屋根周りに、修復前にはなかった柵状の飾りが描かれていた。「おそらく、戦時中の金属供出で取り外されたのでは」と前出の稲盛さん。この飾りも、今回再現されている。

ほかにも、外観については写真や絵葉書などが残っていたが、問題は内部だった。戦前の写真で見付かったのはたった1枚、竣工当時から2階で営業していた「みかど食堂」の絵葉書だ。そこに写っていたシャンデリアを再現したほか、絵葉書と同じ、ドイツのトーネット社製の曲げ木の椅子も、新たに現地から取り寄せている。

壁の塗装の色は、何度も塗り重ねられた塗料の層を剥がし、一番下の塗料の色を分析して再現した。2階にある「旧次室」のカーペットの色は、駅の開業を報じた新聞記事に「オリーブ色」と書かれていたのを参考にしている。また、1階の「旧一二等待合室」の壁を剥がすと、中から黒漆喰と石膏による飾り壁が現れた。この部屋は、現在みどりの窓口になっている。

内装は、それぞれの部屋の格によって異なっていた。「旧三等待合室」の木部は黄色く塗装したスギ材で、壁は漆喰。「旧一二等待合室」はベイマツにワニス塗り、「貴賓室」はチークにワニス塗り、とランクが上がる。

「貴賓室」には壁紙が貼られていたことも分かっていたが、詳細は長らく不明だった。そこへ、北九州市在住の人から、同じものと思われる壁紙の提供を受ける。当時内装工事を手掛けた人が、余った壁紙を保存していたらしい。紙の繊維を分析した結果、駅の古い部材にわずかに残っていた壁紙の断片と一致し、本物と判明した。

左上/旧一二等待合室。マントルピースが据えられ、壁には黒漆喰を石膏で縁取った装飾が施されている。現在はみどりの窓口になっている 右上/旧三等待合室には「スターバックスコーヒー 門司港駅店」がオープン 左下/旧次室。貴賓に付き添ってきた人の待合室だった。ここの壁紙は、北九州市在住の人が所持していた当時の「みかど食堂」従業員の記念写真に写っていた柄を参考に再現した 右下/旧貴賓室。華やかな壁紙も地元の人の協力で復原に漕ぎ着けた。古い絵葉書に写っていたトーネット社の曲げ木椅子を入れ、「みかど食堂 by NARISAWA」の個室に使う(左上と右下の写真提供:JR九州 右上と左下の写真提供:宇都宮照信)左上/旧一二等待合室。マントルピースが据えられ、壁には黒漆喰を石膏で縁取った装飾が施されている。現在はみどりの窓口になっている 右上/旧三等待合室には「スターバックスコーヒー 門司港駅店」がオープン 左下/旧次室。貴賓に付き添ってきた人の待合室だった。ここの壁紙は、北九州市在住の人が所持していた当時の「みかど食堂」従業員の記念写真に写っていた柄を参考に再現した 右下/旧貴賓室。華やかな壁紙も地元の人の協力で復原に漕ぎ着けた。古い絵葉書に写っていたトーネット社の曲げ木椅子を入れ、「みかど食堂 by NARISAWA」の個室に使う(左上と右下の写真提供:JR九州 右上と左下の写真提供:宇都宮照信)

解体調査で、太平洋戦争時の被弾や階段の架け替えも判明

上/JR九州で復原工事を担当した稲盛智章さん(右)と広報部の平畑徳人さん 下/建設当時の姿に戻した階段。当初は貴賓室専用の階段として使われていたらしい。1935(昭和10)年に大きく改造されて、階段の形も幅も変わっていた上/JR九州で復原工事を担当した稲盛智章さん(右)と広報部の平畑徳人さん 下/建設当時の姿に戻した階段。当初は貴賓室専用の階段として使われていたらしい。1935(昭和10)年に大きく改造されて、階段の形も幅も変わっていた

建物をいったん解体することによって判明した新事実もある。

北九州市はB29による本土最初の空襲に見舞われた町で、当時の門司市も何度か罹災している(「北九州市史」)。にもかかわらず、木造の門司港駅が焼けずに残ったのは、空襲を免れたからだと考えられてきた。しかし、今回の調査で、駅舎南側に39発もの機銃痕と2発の爆弾痕が発見された。国立公文書館所蔵の戦災概況図には、ホーム1棟が全壊し3人の犠牲者が出たことが記録されている。

また、駅舎南側の階段を解体したところ、階段の両側を支える「側桁」と呼ばれる部材に2種類の踏み板痕が見つかった。「その痕を調べると、元々はL字型のかね折れ階段だったところを、より勾配の緩やかな折り返し階段に改造していたことが分かりました」と稲盛さん。

復原では、建設時の踊り場付きかね折れ階段に戻している。すると、階段の幅は修復直前の折り返し階段より広くなるため、踏み板を継ぎ足す必要が生じた。「重要文化財の修復では、可能な限りオリジナルの部材を使うのが鉄則。幅の足りない踏み板も、取り替えるのではなく、継ぎ足すことで元の部材を活かしています」。

同様に、柱などの構造部分も傷んだ部分だけ切り取って継いでいる。

耐震補強にも重要文化財ならではの苦労が。構造部だけで工事に1年半

上/現在の門司港駅コンコース。木造2階建ての1階とは思えない、無柱の大空間は1階天井に入れた大きな鉄骨梁で支えられている 下/門司港駅ホーム。九州の鉄道の起点なので「頭端式」と呼ばれる行き止まりの線路になっている。ホームの屋根や駅名標もレトロな味わいが漂う(写真提供:JR九州)上/現在の門司港駅コンコース。木造2階建ての1階とは思えない、無柱の大空間は1階天井に入れた大きな鉄骨梁で支えられている 下/門司港駅ホーム。九州の鉄道の起点なので「頭端式」と呼ばれる行き止まりの線路になっている。ホームの屋根や駅名標もレトロな味わいが漂う(写真提供:JR九州)

木造でありながら大空間のコンコースを持つ門司港駅は、一部に鉄骨を用いている。大正時代のハイブリッド構造だ。「鉄骨梁は建築というより橋梁に使うようなもので、鉄道会社ならではの技術だったのではないでしょうか」と稲盛さん。鉄骨には門司港駅着工の12年前に操業を開始した官営八幡製鐵所のロールマークが残っており、ここでも歴史を感じさせる。

さらに、これからも現役の駅舎として使い続けるため、構造の補強も必要だった。

屋根や天井裏を鉄骨で補強したり、構造の弱点になっていた高窓に鉄骨のフレームを取り付けたりと、補強箇所は建物のあらゆる部分に及ぶ。「既存の木の構造体を傷つけるわけにはいかないので、現場でひとつひとつ調整しながら組み立てていかなければなりません。もともとねじれのある木材と、まっすぐな鋼材を合わせるのはひと苦労でした」と稲盛さんは振り返る。

建物の解体に2年半、構造補強と再組み立てに1年半、外装工事に1年半を費やして、2018年秋、駅舎を覆っていた素屋根が取り外され、門司港駅は約5年ぶりにその姿を現した。それからさらに半年を経て、2019年3月10日、待ちに待ったグランドオープンを迎えたわけだ。

「1989年に閉店した『みかど食堂』も、新たに『みかど食堂 by NARISAWA』として再出発します。かつての貴賓室も、個室として食事に使えることになりました。これからもこの駅で、多くの人にいろんな思い出をつくっていってもらえると嬉しいですね」(稲盛さん)

JR九州HP「門司港駅ものがたり」http://www.jrkyushu.co.jp/company/mojiko_sta/

参考文献:(公財)文化財建造物保存技術協会「重要文化財門司港駅保存修理工事ガイド」

公開日: